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5章

5章  もう、すっかり夜の帳が落ちた後、望月と郁は、眠りについていた。 「――っ、」  いつものひどい頭痛がして、望月は目を覚ました。 「いたぁ……っ」  頭と目の奥が燃えるようだ。  起き上がると頭を抱えて蹲った。  いつまでも、激しい痛みが続いている。 「……また、いつもの頭痛か」  となりで、郁が身じろぎした。 「ごめ、ん……起こしちゃった……?」  びっしょりと全身が汗をかいていた。  喘ぎながら、郁に謝罪する。 「それとも、また夢でも……?」  アレキサンドライトの瞳が、心配そうに望月を覗きこんだ。 「ううん……僕は大丈夫だから、心配しないで……」  とさっと音をたてて、郁が両の腕で望月を抱きしめた。  とく、とく、と少し忙しない彼の鼓動が伝わってきて、ひどく安心した。  もう失われた故郷の幻影は遠ざかり、目の前には生きている郁がいる。 「こんなことしかできなくて……ごめん……」  郁がか細い声で謝る。 「……どうして、君が謝るのさ。僕の頭痛はいつものことでしょう」 「もう、きっと俺が――失いたく、ない、か、ら、」  途中で言葉は切れた。  抱き寄せられた腕と身体が震えていた。  この頃、望月は気がついていた。 (郁は、ひどく脆い、)  あのアネモネの花畑での場面以降――生活のあちらこちらで郁の脆さが見受けられた。  だからこそ、望月の疑念は深まる。 (この狼が本当に僕の故郷を滅ぼしたのか) (郁は口では、僕のことを所有物だと言う。でも、実際の扱いは、単なる家畜とは程遠い。むしろ、丁重に僕に接する) (――でも、それが、罪悪感の裏返しだとしたら?)  望月の中で、疑念は深まり、しかし、確信は得られないままだ。   「もちづ、き」  郁が喘ぐように、望月の名前を呼んだ。  呼吸が浅く、荒い――過呼吸の前兆だと望月は気がついた。 「シャツ……胸元を少し開けた方がいい。それから、息を吐くことに専念して。空気は、自然に入ってくるから」 「おれは、いいから……今はお前が――」  いっそう、郁が強くかき抱いてきた。  いくら、華奢な身体つきとはいえ、自分とは、十数センチ身長差のある狼の力は強い。 「……僕はもう大丈夫だから。だって、これまでも平気だったでしょう?」  望月の問いに郁は黙った。 「君は僕がそばにいたら安心するのかな」  何気なくそう問うた。  どうしたら、発作的な郁の不安を和らげることができるのか分からなかった。  郁が、きゅっと望月に縋ってきた。 「うん。そばにいて」  背骨が軋む音がする。  郁は望月を離そうとしない。  そんな郁に困った。  けして、迷惑ではない。  時々、郁が見せる傷ついたこどものような仕草には愛らしさを感じる。  どうしたら、今このとき、自分は郁を安心させられるのか考えあぐねただけだ。 「じゃあ、寝よっか」 「寝る……」  突然、郁がぱっと身体を離した。  月明りに照らされた彼の美貌が、真っ赤になっていた。 (ああ、そういうこと……)  望月は、郁が何を考えているのか、理解して声をあげて笑ってしまった。 「大丈夫だよ。今夜は何もしないから。だって、おたがいに体調良くないでしょう。ただ、添い寝するだけだよ」  まだ、笑いを含んだ望月の言葉に郁がむう、と口唇を尖らせる。  からかわれたことが不服らしいが、蒸し返す気はないらしい。 「ほら……こっちおいで」  腕を差し出すと、郁が、大人しく頭を預けた。  おずおずと郁がそこに収まった。  腕に郁の小さな頭蓋がある。 「……その、重くないのか……」 「それは……やっぱり、体格差はあるから……少しはね……」  聞かれたから素直に答えただけなのだが、その答えが彼の不興を買ったらしい。  耳がぴん、と立った。  揺れる尻尾が、ひたひたと太腿を叩いてくる。  彼にしては、感情の起伏があからさまだ。 「お前は、もっと気の利いたことが言えないのか」  小さな声で郁が悪態をついた。  いつもと同じ平坦な声だが、拗ねているのが伝わってくる。 「ええー……それは、郁の方じゃない? 一緒に暮らしてるんだから、もう少しニコニコしてもいいんじゃない?」  思えば、こんな軽口の応酬をするのは、初めてかもしれない。  もっと、郁から言葉を――感情を引き出したいと思ってしまう。 ……その先に望月の求めている答えの手がかりがあるかもしれないから。  だが、郁は、望月の腕の中でくるりと身体を丸めてしまった。  存外に、こどもっぽい態度だが、なぜか、憎たらしいとは微塵たりとも感じなかった。 「もういい。寝る」  そう言って、目を閉じた。  それから、小さく、郁がひとりごちた。 「お前にとって、俺は故郷を滅ぼした仇なんだ……」 「……そうだね」  その会話は、この生活を成り立たせている『暗黙の了解』だった。  ふたりの生活は『都合のいいうそ』でしか成立しないのだ。  さすがに鈍い望月とて、その事実は察していた。

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