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5章【真相】追憶のアネモネ編
5章【真相】
望月は、見知らない場所にいた。
気がついたら、どこかの森の中に彼は佇んでいたのだ。
おそらく、広く木の枝を伸ばしている太古の森のどこかに位置しているとは推測できる。
それは、広大な太古の森を中心に、それぞれの種族が形成しているコロニーが各々、形成されているはずだからだ。
望月は、あっと声をあげた。
「郁!」
静かな森の中で郁の姿を見つけたからだ。
(でも、なんか雰囲気が違う……? なんというか……)
黒狼を眷属とした姿――華奢な姿態は変わらない。
黒い癖っ毛も、アレキサンドライトの瞳も――。
だが、その美貌。
まぎれもなく郁と同じかんばせ。
(けど、なんというか、毒が強いっていうか、怖い……?)
表情としては、柔和な笑みを浮かべている。
そこが、郁とその人物の相違かもしれない。
だが、その郁らしき人物は妖艶ともとれる凄みがあった。
郁は華美なことを嫌う質である。
望月は、目の前にいる“郁によく似た人物“の違和に立ちすくんだままだ。
そのとき――。
「兄さん!」
こどもが、泣きそうな声で叫びながら、目の前の『郁』に縋った。
(あ――)
そのこどもの顔を見て、望月は硬直した。
『郁』がふたりいる。
……厳密には、そのこどもは、目の前にいる『郁』より幼い顔立ちだった。
それに身長も望月と同じ程度の少年である。
だが、特異な美貌を持っているという点では目の前の『郁』と変わりがない。
むしろ、凄艶の前兆を感じさせるあどけなく、どこか不安定な美である。
「おや」
『郁』がゆっくりと目を瞬かせた。
どこか、貴族的で優美な仕草だ。
これも望月の知る郁とは違う……。
「コロニーから出ていくって……ほんとう?」
こどもは、しゃくりあげながら、兄さんと呼んだ人物に縋った。
その口ぶりはひどく弱弱しい。
「うん。ここは退屈だからね」
『郁』は、穏やかに、だが、そのことが決定事項であると明確に告げた。
見る間にこどもの顔が絶望に染まっていく。
その兄の言葉が絶対なのか、あるいは、意思を変えない人物であると彼は知っていたようだ。
「で、でも、おれはともかく、もえぎはどうするの……」
こどもは、震える声で問うた。
これから、兄に捨てられるであろうことは決まっている。
けれども――彼は、僅かな抵抗を試みているようであった。
『郁』は笑った。
望月はぞっとした。
思わず、悲鳴がこぼれおちそうになるが、すんでのところで堪えた。
その笑顔は天使のように美しい。
だが、ひどく心をざわつかせる。
表層はとてもきれいなのに、中身はひどく禍々しいものを秘めている――望月は、そのことに気づいてしまった。
だが、目の前のこどもは、そんなことに気づかずにとうとうとまくしたてる。
「昨日から、もえぎが熱を出してる……栄養のあるものを食べさせなきゃ……でも、おれひとりじゃあ、どうすればいいの?」
「なあんだ、そんなことを心配していたのかい?」
『郁』は目を細めた。
例のごとく天使のような表情で。
だが、彼は弟であるこどもに、邪悪なことを囁いた。
「そんなの簡単だよ。オスを篭絡すればいい。そうしたら、食べることに困らないよ」
「え、」
望月とこどもは同時に声をあげた。
目の前の『郁』の倫理感は、常人のそれとは大きく異なった。
「ねえ、郁。お前ならできるよねえ」
甘い蜜のような声が、なおも畳みかける。
薄々、察していたことだが、『郁』は『郁』ではなかった。
この貧相なこどもこそが『本物の郁』だった。
たぶん、望月は千里眼の能力を使って、郁の過去の記憶を視ている。
(僕に……もえぎが見せたかったのは、これ……なの……? どういうこと……)
たまゆら、郁と貸本屋で過ごした時間が脳裏に過る。
今、自分は楽園の林檎に手を伸ばしているのかもしれない。
そんな馬鹿らしい考えが浮かんだ。
「兄さん……おれ、そんな……でき、な、ひっ――!?」
幼い郁が怯えながら、兄を見る。
だが、そんな郁を見下ろしていたのは、冷ややかな視線だった。
それは、彼から言葉を奪うのには、充分な威圧だった。
郁は、身体を震わせながら、ごめんなさい、とだけ言った。
一瞬後、郁の兄らしき人物は、また天使のようなあどけない顔に戻り――不思議そうに小首を傾げた。
「気持ちいいことは別に悪いことじゃないんだけどね?」
そう言って、ポケットを探るとチョコレートの包みをとり出した。
言わずもがな、この時代において高級な嗜好品である。
「ほら、お食べ。郁はチョコレートが好きだろう?」
幼い郁が、ひとかけらチョコレートを頬張る。
その大きな瞳には涙が浮かんでいた。
「どうしたの? もしかして、おいしくない?」
「ううん、そんなことないよ。あとで、もえぎと一緒に食べる……もえぎも好きだから……」
「そうかい? ふたりで仲良くおし」
郁の顔は、青ざめ、まるで、泥の塊を咀嚼するような苦しそうな表情を浮かべていた。
彼はしげしげとそんな郁の表情を眺めた後、髪を撫でた。
だが、郁はビクッと小さな身体を跳ねさせただけ。
「ふうん」
郁の兄は、しげしげと自分の手を眺めた。
自分の何が、幼い郁を傷つけたのか分からないように不思議そうな顔をしていた。
しかし、それも一瞬。
彼は、くるりと踵を返した。
もう郁は、彼を兄さんとは呼ばなかった。
ただ、手に持ったチョコレートを握りしめていた。
それは、郁の体温で、でろり、と溶け、白い手を汚した。
あっという間に、郁の兄は、故郷の敷地を出て――森の奥に遠ざかっていく。
ただ、こどもの郁はその背中をいつまでも見つめていた。
しばらく、彼は身じろぎひとつたりともしようとしなかった。
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