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5章【真相】-4 追憶のアネモネ編

 そのまま、郁は緩やかな丘を登っていった。  丘の上には、もえぎと暮らす家がある。 (もえぎは、元気だろうか)  郁の頭にもえぎの顔が浮かぶ。  自分と兄とは違うやさしい顔立ちの少女だった。  その年の頃の少年よりも背の低い自分よりも、さらに小柄で、性格も言動もあどけない。  郁は、そんな妹のことを思いだしながら、丘をあがっていく。  すると、ぴょんっと小さな影が跳ねた。 「おにいちゃん!」 ……もえぎだった。  郁に気がついたもえぎが、勢い良く、郁に抱きついてきた。  すりすりと郁の胸元に、顔を寄せている。 「もえぎってば外で待ってたの? 身体に障るよ」  やわらかい声でそう妹を諭しながら、髪を撫でてやる。  兄ひとり、妹ひとりという環境ではさみしいのだろう。  もえぎは、自分のことをおにいちゃん、と呼び、こうして甘えてくる。 「さみしい思いをさせたね」  幸いなのは、もえぎには父と母、兄という家族の呪われた存在の記憶がほとんどないことだ。 「ううん。ただ、お兄ちゃんが心配だっただけ……帰ってきてくれて良かった」  すり、ともえぎが、また胸元に顔を埋めていた。 「お話なら、中でもできるでしょう。ほら、家に入ろ」 「はぁい」  くすくすと喉を鳴らしながら、もえぎが早く、早くと郁の手を引っ張る。  妹の甘えは、かわいらしいと思う。  それは、もえぎが郁にとっての唯一の家族であるし、もえぎ自身が裏表のない素直な少女だからだ。 「なんか、いい匂いするね」 「えっと、ショートケーキ……ってお菓子……おやつにもらってきたよ……」 「なあに、それ?」 「わからない。帰ったらもえぎと一緒に見ようと思って……」 「じゃあ、私、お兄ちゃんと一緒にショートケーキ、食べるね!」 「んー、じゃあ、お土産で果物を貰ったから久しぶりにジュースを作ってあげるよ。今日はご馳走だね」  兄と妹は、手と手をとりあって、粗末な廃屋に入っていく。 「わああっ、すごい、すごいっ!」  もえぎが、並べられた郁手製のりんごジュースとショートケーキを眺めて、目をきらきらとさせた。 「うん、きれい、だねぇ」  初めて、兄妹が見たショートケーキは、まるでよくできたおもちゃのようだった。  ふんわりとした真っ白いケーキに熟した苺がひとつ、ちょこんと乗っている。 「これって食べていいのかなあ」  もえぎが、もったいなさそうに、ショートケーキを眺めながら尋ねてくる。 「食べたらなくなっちゃうよね」 「そうしたら、おれの分をあげる」 「もう! そうしたらおにいちゃんの分がなくなっちゃうじゃない!」  もえぎが、ぷくーっと丸い頬を膨らませた。 「私は、お兄ちゃんと一緒に食べたいの!」 「そ、そっか……なら、一緒に食べよう……」  妹ではあるが、女の子ってよく分からないな、と郁は小首を傾げる。  メスが希少種になって久しいが――もえぎは表情がころころ変わるし、笑ったりと泣いたりと忙しい。  感情表現が豊かな方ではあると思う。  だが、たまにコロニー内を歩くと、もえぎは、表情ひとつ変えず、郁以外には一言たりとも口を聞かない。  コロニーの住人は、常にもえぎの顔色を窺っていた。  まるで、絵本の中に出てくる女王様のように、もえぎはいつも誰かに傅かれていた。 「えいっ」 「むぐぐっ!?」  いきなり、半開きの口にやわらかいクリームとスポンジが詰め込まれた。  じんじんと舌が痺れるような甘味に郁は驚いてしまう。  もぐもぐと口いっぱいに詰め込まれたそれを咀嚼して――。 「ぷ、はぁ……っ、もう、いきなり何をするのさ」 「おにいちゃんが変な顔してたから。いつも、考え事をする癖、私、良くないと思う」  こちらにフォークを差し出す恰好のまま、もえぎが冗談っぽくそう笑う。 「あのね、だからっていきなり口に押し込まないでよ」 「……もしかして、怒ってる?」 「俺がもえぎに怒るわけないでしょう。ただ、びっくりしただけ」 「そうなの?」  もえぎがきょとんとした顔をする。  コロニーで女王然と振る舞う女の子だとは思えない。  郁の前では、ただの甘えん坊の妹だ。  もえぎは、ちらちらと郁を見た後、再び、ケーキにフォークを伸ばした。  ふくふくとした頬いっぱいにケーキを頬張る。  相当、おいしいのだろう。  顔がクリームだらけだ。 「口にクリームついているよ、ほら」  ぼろぼろのナプキンで、もえぎの顔を拭ってやる。  もえぎは大人しくしていたが、ややあって恨みがましそうな目を向けた。 「おにいちゃん、いつも、私をこども扱いする!」 「だって、こどもでしょう? もえぎは妹だし、そんなにおかしいかな?」 「おにいちゃんのばか。もういい!」  そうして、またもえぎはケーキに夢中になってしまう。  だが、すぐに顔をべとべとにしてしまうので、その度に顔を拭いてやった。 (そんなにおれって口うるさいのかな……)  何回目かは忘れたが、もえぎの顔を拭いてやりながらそんなことを思う。 ……実際、もえぎにそう思われていたら、かなり悲しい。  だが、もえぎはそんな兄の葛藤など知らない様子で、もぐもぐとケーキを食べだした。  ご機嫌に鼻歌を口ずさんでいる。 「そんなにケーキ、おいしいの」 「うん、あのね、なんかね」  もえぎが一生懸命、考え出す。  上手く伝えたいのだが、言葉が見つからない様子。  そういうところは、やはりまだ、こどもだとは思うが、もえぎの機嫌は天気のようにころころと変わるので伝えないのが無難だろう。  それから、もえぎがぱっと顔を明るくした。 「このケーキ、おにいちゃんみたい」 「え?」  まったく想像もしていなかった言葉だ。 「もえぎには、おれが食べ物に見えるってこと?」  要領を得ない言葉だったので、どういう意味なのか判別がつかなかった。 「ちがうの。このケーキみたいな匂いがね、時々、お兄ちゃんからするの」  それこそ、ピンとこない。  郁はすんすんと自分の手首の匂いを嗅いでみた。  今は、微かに清潔な石鹸の匂いがするだけだ。 (それも、潮さまがお風呂に入れてくれたからだけど……)  郁は、ぱくっとショートケーキを口に含んだ。  とろおり、とした濃厚なクリームにやわらかいスポンジの甘味。  やはり、自分に似ているとは思わない。 「でも、いつも、おれ、泥だらけでしょう」  このケーキと違って自分は汚い。 「そうかも。おにいちゃんって結構、ドジだよね。よく転んだり、怪我して帰ってくるもん」  大概は、コロニーの住人による嫌がらせなのだが、もえぎにはそう説明している。 「……でも、私のためだって知ってる」 「おにいちゃんなんだから当たり前だよ」 「そっかあ」  ふたりでそう雑談しながら、ゆっくりとケーキをつついた。 「でも、おにいちゃん、きれいな服を着ていると見ちがえるね」 「え、あ……これ? 潮さまが、見かねておれに……お古を……」 「そういうレースがいっぱいのきれいな服を着ていると王子さまみたい!」  もえぎが、手を叩いて言う。  それから、なぜか、顔をかーっと赤くして、焦り出した。 「今のはちがうかも! ほら、絵本に出てくる王子さま、みたいっていうか……そう、そんな感じ!」 「もう、そんなに必死にならなくても分かるよ。でも、おれは王子さまって柄じゃないとは思うけど」  もえぎは、何か言いたそうにしていたが、また、ケーキを啄んでいる。 (また、何か、余計なことを言ったかな……やっぱり、女の子って難しいや) (……それより、もえぎにもきれいな服を着せてあげたいな。おれが作ったワンピースがいいって言うけど、女の子だから、きっと、おしゃれ、したいよね……)  郁の頭の中は常に悩みでいっぱいだ。  主に、もえぎのことなのだが。  そんな郁を見て、もえぎがちょいちょいとブラウスの袖を引っ張った。 「……ねえ、おにいちゃん、わたし、久しぶりにシャボン玉で遊びたい……」 「お屋敷の人にはそんなわがまま言えなかったから。おにいちゃんと一緒がいいの」 「うん。おやつを食べたらそうしよう」  郁は、笑んで、頷いた。  とかく、娯楽がない時代ではある。  そのうえ、郁の家は貧しかった。  そのため、郁がシャボン液を作ってやり、ふたりで遊ぶのがルーティーンだった。  そんなやさしい時間を久しぶりに思いだした。  心がすっかり解けている。  やっと、家に帰ってきたのだと郁は実感した。  そして、もえぎの無邪気な笑顔をただ、眺めていた。

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