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5章【真相】-6 追憶のアネモネ編

6  もえぎが、ベッドに横たわりながら、きれいな装丁の絵本を読んでいた。  まだ、恋人として付き合い始めたばかりの頃に、潮が、屋敷の図書室を見せてくれた。  そこには、膨大な書架があり、いくつもの本が並んでいた。  家には兄がどこから持ってきた土産で数冊ばかりの本があり、郁は繰り返し同じ本を読んだ。 その関係で、文字を読むことはできた。  しかし、書く方はてんで、だめで、潮に習っている。  その関係で図書室に自由に出入りしていいと言うので、毎日、数冊借りては、翌日には返した。  本の世界は面白かった。  閉じたコロニーの世界で慎ましやかに暮らしている郁にとって、文字で綴られた世界は、まるで夢のよう!  今や、郁はどっぷりと本の世界に伝っていた。 ……今日も、潮の屋敷に本を借りに行く予定だ。  郁は、潮から与えられた服に着替えていた。  潮はいつもフリルと装飾過多の人形じみた服を郁に着せたがった。 (きれいだけど、家のことをするには不向きなような……)  郁は、ぼろの服から夢のように素敵な洋服に着替えながら、そんなことを思案する。  もぞ、とベッドの中でもえぎが身じろぎした。 「おにいちゃあん……」 「どうしたの、もえぎ」 「今日も、潮さまのところに行くの?」 「ああ、うん……借りてた本を返さなくちゃ。夕方には戻るよ」 「……そっかぁ……」  もえぎが曖昧に頷いた。  そのとき、廃屋の扉がいきなり空いた。  もえぎの目が凍りつき、きゅっと唇を閉じた。 「郁、迎えに来たよ」 「潮さま、でも広場で待ち合わせだって……」  郁は、あわてて、ブラウスのボタンを留める。  潮は、いつもと同じ柔和な顔で、郁の様子を眺めていた。 「早く、郁に会いたくて……」  そんな歯の浮くような言葉に郁は顔を赤らめた。 「ああ、もえぎ。久しぶり」 「……久しぶりです。潮さま」  もえぎが、平たい声で返事をした。  仮にもフィアンセの関係にあるというのに、もえぎの言葉は事務的だった。 「たまには、もえぎも屋敷に来ればいいのに。郁からもえぎは甘いものが好きだって聞いたよ。マカロンでも、チョコレートでもマシュマロでも……ああ、ショートケーキでもなんでも用意するのに」 「……私、そんなの、いりません」  もえぎはすげなかった。 「それに、たまには日に当たってのんびりとすることも大事だ。屋敷の方が日当たりもいいし、清潔な布団だって――」 「いらない! いらないったらいらないもん!」  もえぎが癇癪を起したこどものように、叫んだ。 「も、えぎ……どうしたの……」  郁は、初めて目にしたもえぎの激昂に驚いて、彼女を振り返った。  声を荒げたのが辛かったのか、もえぎは、はぁはぁと浅く荒い呼吸を繰り返している。 「潮さま、やっぱり、おれ――今日はもえぎといます。もえぎの体調が……」 「来なさい、郁」 「でも……」 「すぐに下女を呼ぶ」  郁はかぶりを振った。  到底、こんな状態のもえぎを放っておけない。  もえぎは弱弱しく喘いでいた。 「いや……お願いだから、もえぎのそばにいさせて――い、たぁ……っ」  潮が、郁の二の腕を抓ったのだ。 「……すぐに下女を呼ぶと言っただろう。郁、屋敷に来なさい」 「で、でも……」  また、二の腕を抓られた。  郁は微弱な痛みに眉を歪めた。  もえぎに悟られないよう、悲鳴を洩らさないように頑張る。 「おにいちゃん……わ、わたし、は、いいの……いつものこと……だし……こんなのすぐに収まるから……」 「でも、もえぎをひとりになんてできない!」 「ね、潮さまも言ったでしょう。もうすぐ、お屋敷の人が来るって。それまでの辛抱だもん。ね、私は大丈夫だから……」  びっしょりと額に汗をかき、もえぎは苦しそうなのに、自分のことを気遣う。  潮の乱暴もそうだが、妹の強がりがいっそう辛かった。 「あと、潮さま……」 「なんだい、もえぎ」  ぱっと潮が郁の腕から手を離した。  にこにこと人好きのする顔で、もえぎに向き合う。 「素敵なご本、ありがとうございました。面白かったです」  明らかに苦しそうなのに、もえぎは女王然として優美に微笑んだ。  これは少女が浮かべる笑みだろうか、と郁はぞっとした。  そして、もえぎは弱弱しく先ほどまで読んでいた絵本を潮に差し出した。 「悪い魔女に騙される兄と妹の話……とても面白かったです……」  言葉とは裏腹にもえぎの声は凍てていた。  本を受け取ろうとする潮の手がぴくりと硬直した。 「ああ、ヘンゼルとグレーテル……だね。もえぎは童話が好きなのかい?」  もうもえぎは返事すらしようとしなかった。  潮は嘆息した。 「読みたい本があったら、郁に言うといい。郁に届けさせるか、屋敷にないものなら取り寄せるよ。何せ、君はおれのフィアンセだからね」 「もえぎ、潮さま……」  ただならぬ空気に、郁はおろおろとした。 「いってらっしゃい、おにいちゃん」  布団の中から――まだ、苦しげではあるが、もえぎが明るい声をだした。 「だって、行こうか、郁」  潮が、親しげに郁の肩を抱いた。 (もえぎの前で、こんな……やめてほしい……)  明らかに性的なニュアンスを含んだ接触に、郁は俯いた。  だが、潮には抗えなかった。 (恥ずかしい……おれ、汚い……) 「どうしたの、郁? ほら、行こう?」  いつもの甘やかす声で、潮が促した。 「はい……」  郁は、のろのろと潮に肩を抱かれたまま、歩いた。  外に出て、ちらりと抓られた二の腕を見ると――赤い爪の痕が刻まれていた。

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