73 / 93

5章【終焉】-2 家族の記憶

(もえぎ……もえぎ……)  あの後、すぐにもえぎが廃屋の前で蹲っていないかと確かめた。  たまに郁と喧嘩をしたり、嫌なことがあるといつも廃屋の前にしゃがみこむからだ。  しかし、もえぎの姿はなかった。  郁は、丘を下った。  もちろん、もえぎはいなかった。 「どうして、おれ、あのとき、もえぎの手を離してしまったんだろう」  後悔のあまり頭を抱えて蹲りたくなる。  それから、郁はコロニーの外れにある小川に向かった。  まだ、薫ともえぎ……三人で暮らしていたときによくこの道を散歩した。  兄は楽しそうにステップを踏んで、先を行ってしまう。  兄の奇妙な鼻歌を今でも覚えている。  だから、郁はまだよちよち歩きのもえぎの手を引いて歩いたものだ。 「郁、もえぎ」  兄が、優美な仕草で振り返って、にこにこと郁ともえぎを見た。 「ほら、チョコレート、好きだろう。ふたりでお食べ」  そう言って、よくチョコレートを郁に手渡した。  郁は特別、甘いものは好きではなかったが……。 「どうしたの? 郁、食べないのかい?」  兄は、微笑むと郁ともえぎの頭を順番に撫でた。 「これが■■■■ってことかな?」  うーん、と彼はうなって何やら呟いていた。  どうしても、兄のその言葉が思いだせないのだ。  それから、郁ともえぎと順番に髪を撫でた。  もえぎはきゃっきゃっとはしゃいだ笑い声をあげる。 「……もう。兄さん、どうして、おれまで髪を撫でるの? ぐしゃぐしゃになるでしょ」  ただでさえ、ひどい癖毛なのに、兄が撫でまわすせいで髪がぐしゃぐしゃだ。  すると、兄はやさしそうに目を細めた。 「お前たち、かわいいね」 「……はあ」  兄は軽薄そうに見えるのに、難解な物言いをするので郁にはよく分からない。  郁ともえぎは巨木のうろに並んで、チョコレートを齧り出す。  もえぎは、舌が蕩けそうなほどに甘い菓子をとても喜んだ。  郁はこそばゆく思いながら、甘ったるい菓子を咀嚼したものだ。  だが、もう家族はいない。

ともだちにシェアしよう!