100 / 111

6章-2

2 (知らなかった、知らなかった、知らなかった――!)  望月は、眦に涙を浮かべながら太古の森をただ、ひたすらに走っていた。  郁が出ていってからどのくらいが経っただろう。  まんじりともせずにベッドに横たわり、古い時計が時を刻む音ばかりがいやに耳をついた。  望月は、孤独に息を詰まらせながら思ったものだ。  彼は野暮用だと言ったが、本当に帰ってくるのか不安だった。  そして、瑠璃色の空が開け始めた頃――千里眼がとある記憶を望月に見せた。  それは、過去の郁の記憶。  まだ、白うさぎのコロニーがあった頃。  既に、『郁と望月は出会っていた』  それも、望月が知らない形で。  歪な関係ではあるが、あの時から、望月は郁に守られていたのだ。 「ほんとうに、知らなかったんだ……」  望月はぜいぜいと息を吐きながらそうひとりごちる。  もう何回も繰り返した言葉だった。  だが、それは詭弁だと分かっている。  郁の抱えていた孤独と痛みは想像に絶しがたい。 「どうして、教えてくれなかったの、ひとりで抱えたの……!」 ――だが、それは詭弁だ。  あの奇妙な同居生活の中で、違和感はいくつもあった。  踏み込まなかったのは、望月の方だ。  足がいやに重い。  この先に行かないといけない。  そうは分かっているが、どうしても事実に――郁に向き合うのが怖い。  臆病な望月は、躊躇して足を止めてしまう。  自分の荒い呼吸だけがやけに大きく聞こえた。  そのとき、つきん、と例の頭痛が走った。 「――――――――、」  望月は千里眼の見せたその光景に息を呑んだ。  赤いアネモネの花の中で、郁が仰臥していた。  全身を鮮血にまみれさせ、虫の息だということがまざまざと伝わる。  その唇が、少し震えて、何か言った。  短いその言葉は誰かの名前だった。  でも、誰の名前かまでは聞き取れない。  そして、だらりと彼の腕が弛緩した。  そこで、その光景は幻のように消え失せた。  ごし、と望月は乱暴に服の袖で涙を拭った。 「もう、離さない――そして、」 「郁を死なせはしないから、ぜったい、ぜったいに……!」  そうして望月は、きっと強く太古の森の遠景を瞳に移した。  どこまでも緑の木々が続いているように見える。  その先に――アネモネの花畑がある。  郁と『アネモネ』はきっと、そこにいる――そう確信していた。

ともだちにシェアしよう!