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6章-2

「プティ・アネモネ」  よく知った声が凛と響いたときに、郁はひどく打ちのめされた。 「も、ち……」  アネモネが大きな紅蓮の瞳を見開いて――郁の背後に立つ人物を、望月の名を呼んだ。  少女の顔は、対亜人種討伐兵器ではなく、恋する少女のそれをしていた。 「……会いたかった、ずっと、もちに会いたかったあ!」  アネモネは、年相応の少女らしく、もう郁を顧みることなく、望月の元に向かった。  望月は、いつもと変わらない穏やかな表情で、少女の身体を受け止めた。 「あのときはひどいことを言ってごめん。アネモネは僕の大切な人だ」  その言葉にアネモネの目に涙が浮かぶ。  彼女は、殺戮のことなど忘れたように、ただ、純粋な少女のように紅蓮の瞳からはらはらと涙を流すばかり。 「そんなこと、気にしてないよお! ただ、もちのそばにいたかった。ただ、それだけなの。叶ったから……もう過去のことはいいの……」  望月は、アネモネを抱き寄せたまま、彼女の言葉をただ受け入れた。 (望月の様子が違う……)  郁は何か、違和に気がついていた。  姿に何も変わりがない。  だが、決定的に郁の知っている『望月とは違う』 「もち、すき、あいしてる……」  少女は郁の血にまみれた身体で純粋無垢な愛の告白をした。  ゆっくりと望月が身体を離す。  そして、ゆっくりとかぶりを振った。 「ごめんね。もうその気持ちは受け入れられないんだ」 「え、」  アネモネの表情が一瞬で強張る。  望月が何を話しているか理解できないような困惑。  厳密には、言葉の意味を理解しているが、受け入れたくない葛藤。  そんなもので彼女は揺らいでいるように見えた。 「あ、はは……」  アネモネが泣き笑いの表情でよろめいた。  それから、木にもたれ、息も絶え絶えの郁を指さした。 「きっと、この狼のせいなんだわ! もちが教えてくれたもん。狼は怖くて、悪い存在なんだって! 物語の最後で狼はいつも排除されたわ」 「……それは違う」  温厚な彼にしては珍しく、冷静に断じた。 「これは、僕の感情。僕の意志、」 「僕が、郁に恋をしているから、」  その言葉に郁は息を呑んだ。 (望月が、俺を好き……? うそだ。だって、おれはきたない。いくつも、罪を重ねて……それで、それで……!) (そうしたら、きれいな望月まで汚くなってしまう)  郁は自分を恥じて俯いた。   「じゃあ、話は簡単ね!」  くるっとアネモネが踊るようにステップを踏んだ。  妙案を思いついたように無邪気な笑顔を浮かべる。 「もちがわたしを愛してくれたら、この狼は見逃してあげる。殺さないであげる。ね、それでみんなしあわせ、でしょう?」  しばし、郁と望月は黙った。  ふたりとも少女が痛ましくて、言葉を挟む余地がなかったのだ。  ややあって、言葉を詰まらせながら、苦しそうに望月が訴えた。 「アネモネ……それは愛じゃない……」 「え? どういうこと?」  今度こそ、いよいよ、アネモネは困惑した。  自身に愛という感情を教えた望月自身から、愛という信仰を否定されたのだ。 「……条件付きの愛は成り立たないんだ……郁が、僕にそのことを教えてくれた……」  郁と過ごした日々。  関係こそ歪ではあったが、あの生活には慈しみがあった。  時折、たがいを傷つけることもあった。  郁がどんなに自己犠牲のうえで自分を守ってくれていたかも、今は理解している。  ただ、静かな愛に、望月は彼に惹かれたのだ。 「アネモネ――僕は……」  その言葉の続きを断じようと郁は、望月に腕を伸ばした。  だが、届かない。  何よりも、郁をうろたえさせたのは、その眼差しに以前はなかった強い決意があったからだ。 「僕は、郁を愛している……」  ごほっと郁はまた血を吐いた。  べっとりとした赤くてどろどろとしたそれが郁の華奢な顎を濡らし、頸まで伝った。 「望月……もう言わないで、」  泣きそうになりながら、郁が懇願する。 「それだけは、言ったら、だめ、だから、」 「ううん。何回だって、百回だって言うよ、郁。僕は郁のことが好き。郁を愛してる」  いやに甘ったるい言葉で、望月が愛を囁く。  血とアネモネの花の――息の詰まるような場面にはふさわしくない愛の言葉。  見る間に、アネモネの顔が絶望に染まる。  そして、表情が失せた。  なのに、紅蓮の双眸からはぶわっと大粒の涙が溢れた。 「わ、わたしは……」  アネモネが震えながら言葉を呟く。 「わたしは、亜人種を滅ぼすためにつくられた兵器だ。その名は紅蓮の魔女」  彼女は、プティ・アネモネの名前を捨て――兵器の『紅蓮の魔女』として存在することを選んだ。  少女としての矜持と決意を肌で感じ取り、郁の肌が泡立つ。 「郁、まだ“戦える“?」  望月もまた、アネモネ同様に声を張って郁に問うた。  彼は言葉にはしなかったが、郁は望月が何をしようとするのか察していた。  共に時間を過ごしただけに彼の思惑は手にとるように伝わる。 「だ、だめだ……お前、それだけはだめだ……やるなら、俺ひとりで……」 「ううん。それはだめ」  ひどくやさしい声で、望月は断じた。  郁にとっては逃げ道を塞がれたも同然だった。  汚れた頬を一筋の涙が伝う。  郁はこどものようにあられもなく、泣きじゃくった。 「あれは、望の、大切な友達だろう……? お前がそんなことをしなくていい、から……そんな惨いこと……俺はなんのために、今まで……」  とうとう、郁が地面に崩れ落ちそうになる。  その身体を望月がそっと受け止めた。 「君は僕の知らないところで、いっぱい僕を守ってくれたね。君は泥にまみれて、ぼろぼろになっていたのに――ずっと、気がつかなくてごめんね、郁」 「おれ、おれは、ただ……守りたかっただけ、なのに、何度も間違えた……」 「望を傷つけたいと思ったことはない……でも、何度も踏みにじるように傷つけた……」 「……でも、それはおたがいさまでしょう?」  確実に、望月は郁から、逃げ道をひとつ、ひとつ封じていく。  言葉というたったひとつの、鋭利でやさしい武器で。 「最後に残ったのは――望とアネモネ。ふたりの友情だけは、守りたかった……も、もちの、知らないところで全てを終わらせたかったのに――!」  郁が嗚咽しながら、激しく混乱する。 「で、も……お、おれのしたことに、意味は、なくて……」  そこで郁の言葉が止まった。  望月が、郁に口づけをしたのだ。  一瞬の接触。  やわらかくて、熱い感触がそこに触れて、郁は目を見開いた。 「ごめんね。僕、わがままなんだけど、好きな子が泣いているところは見たくないんだ。これから、また、君を傷つけるのを知っているのに、それでも」 「君を愛してる、」  郁は、驚いた表情のまま、だが、おずおずと望月の白い手に自らの手を重ねた。 「……茶番にはいい加減飽きたわ。さあ、この物語を終わりにしましょう。私とあなたたちの手で。ね、望月」  再び、紅蓮の魔女がふたりの前に対峙した。  

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