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アフターストーリー

アフターストーリー 「郁ー、支度終わったよー」  望月は、簡単に荷物をまとめると、別室にいる郁に声をかけた。  かばんのポケットから、アネモネの押し花のしおりが覗いているが、彼は気がつかない。 「……ああ」  郁がそっけない返事をした。 「まだなの?」  もう20分も経っている。  なんとなく、彼のことだからことの顛末の予想はしていたが――望月は、苦笑して郁の書斎に入った。 「いーく?」 「いきなり、声をかけるな。気が散る」  郁の足元には、ぼろぼろの本の山が積みあがっていた。 「まさか、持っていく本に悩んでない?」  じとっとした目で、望月は郁を見た。  案の定、図星だったようで、郁は顔をしかめた。 「荷物になるんだからやめなよ。どうせ、増えるんだから」 「うるさい。サロメに、カフカの日記、存在の耐えられない軽さに、百年の孤独……荒野へ……どれも選びがたい」  郁の口からつらつらと望月の知らない本の名前が出てくる。  このようなとき、郁は柄にもなく饒舌になるので、望月は聞き流すことにしている。 「じゃあ、僕が選んであげる。これでいいでしょ」  ぽん、と一冊の本を郁に押し付ける。 「ラッセルの……幸福論……」  郁は手渡された本をしげしげと眺めた。  不意に古紙の甘ったるい匂いと水煙草の紫煙の揺らめきが過る。  酒とバラの日々の旋律にモノクロームの映像。  郁の頬に朱が差した。 「この本にはしあわせとティンブクツーが書いてある。君が教えてくれた。それに、いい地図になるでしょ」  にこーっと望月が笑う。 「……それは、一理……あるかもしれない……」  とうに、貸本屋の店子の仕事は辞めていた。  郁と望月は市街地を後にする予定だったからだ。 「それ以外の荷造りは終わった?」 「……ああ、終わってる」  そして、部屋の片隅に視線を落とす。  やや、上の空気味に答える。 『芸術』に傾倒している郁にとって、蔵書を手放すのは名残惜しいのだろうとは思う。 「じゃあ、問題ないよね」  望月は、ぎゅっと背後から郁に抱きついた。  花の香りが強く匂っている。 「……そういう気分になっちゃった」  郁は、望月の理解するところを察してため息をついた。 「明日は出発だろう……疲れるし」  郁と望月は、外の世界を旅するつもりだった。  期限は決めていない。  市街地に戻るかも定かではない。  ただ、息のしやすい場所でふたりで生きていたい、それだけだった。 「郁、少し視線下げて……」 「こうか? ん、」  僅か、一瞬の接触。  望月は、郁にキスをした。 「郁からも甘い匂い、してたよ? そういう気分なのは一緒でしょ」 「分かったような口を聞くな」  いつもの悪口(あっこう)を叩く郁だが、その尻尾が嬉しそうに揺れている。 「……どうしてもだめ?」  上目遣いで、だめ押しをする。  この狼が自分の甘える姿に弱いことを知りながら。 「……仕方ないな」  不承不詳で、郁が頷く。  だが、未だに尻尾を振っているので、いまいち、説得力はないのだった。 「えへへ、うれしい」  そう言って、望月はもう一度、郁にぎゅうっと抱きついた。

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