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第4話 裏切り

「王太子殿下、ホルセムさまっ!」  メネフが再びエンアラムを訪れたのは、トゥアルセティスを見送ってから、十日ほどが経った頃だったろうか。約束の八日を三日も過ぎて、叔父の帰りを今か今かと待ち侘びていたホルセムは、最初、ついにトゥアルセティスが戻ったのだと思って、満面に喜色を浮かべた。  だが、そこに、叔父の姿はなかった。  そして、ひとり戻ったメネフの様子は、どう見ても尋常ではなかった。 「どうしたんだ? 叔父上は?」  ホルセムは恐る恐る訊ねる。メネフはホルセムの前に膝をつくと、深々と頭を下げて畏まった。  その手にあるひと振りの剣を、恭しく差し出している。  見覚えのある剣だった。王権の象徴の剣、アンクラトゥス。だが、それは本来、王である父セベクヘプのもとにあるはずのものだ。 「その剣は……」  ホルセムが言いかけたとき、メネフが顔を上げた。 「ホルセムさま、すぐにご準備を……オレと一緒に来てください」  茶色の眸でじっとホルセムを見据えて言う。ホルセムは息を呑んだ。 「来いって……いきなりいったい、何だっていうんだ? トゥアルセティスは?」  重ねて叔父の行方を問うと、メネフは凛々しい眉をきつく顰め、唇を噛みしめた。  ひとつ深呼吸をすると、まだ細いこちらの肩をがしりと掴み、濃い茶色の眸を、ひた、と、ホルセムに向けた。 「王太子殿下。どうか落ち着いてお聴きください」 「なん、だ……?」  ホルセムは、鬼気迫るメネフの様子に(ひる)みそうになりながらも、なんとか(こら)えて、そう言った。 「お父上……セベクヘプ王が、お亡くなりになりました」 「え……?」  あまりにも予想外の言葉に、ホルセムは一瞬、我が耳を疑った。 「父上が、亡くなっ、た……? そんな、まさか……そんなことがあるわけがないっ!」  ホルセムは鬱金の眸でメネフを睨みつけた。冗談だとしても、あまりにも不敬に過ぎる。何のつもりでそんな偽り口にするのだ、と、相手に掴みかかろうとした。  が、メネフはひどく痛ましげな顔をしている。その表情は、とても、嘘を言っているようには思えなかった。 「ほんとう、なのか……でも……なぜ?」  もしかしたら、叔父が呼び出されたのは、父王が急な病にでも倒れたためだったりしたのだろうか。その後、容体が悪化して、崩御に至ったということだろうか。  でも、それならば、父の嫡子、王太子であるホルセムも、トゥアルセティスと共に王都へ呼び戻されていておかしくなかった。  いったいどういうこと、と、不安に眸を揺らしたホルセムだったが、続けてメネフが告げたのはさらに信じられない事態だった。 「トゥアルセティスさまが……いえ、逆賊トゥアルセティスが」  メネフは、苦々しげに、吐き棄てるように、叔父の名を口にする。仕えるべき主を呼ばわる調子ではなかった。  それよりも、気になる言葉がある。 「逆、賊……?」  ホルセムは混乱しつつ、弱々しく繰り返した。  メネフは口惜しげに、眉根を寄せ、くちびるを噛む。 「王弟トゥアルセティスは、兄であるセベクヘプ王を弑し、玉座を奪いました」 「え……」 「オレはなんとかこの王権の剣を持って脱出できましたが、王宮ならびに王都は。すでにトゥアルセティスによって制圧されております。簒奪です」  信じられない言葉に、ホルセムは呆然とした。いったい何が起こっているのか、まるで理解が出来なかった。 「……そんなはず、ない」  ぽつ、と、つぶやく。 「そんなはずない! 叔父上が、トゥアルセティスが、そんなことをするわけがないっ!」  メネフをきつく睨む。嘘だ、そんなわけがない、と、ホルセムは癇癪(かんしゃく)を起した子供のように、ただそればかりを繰り返した。 「だって、叔父上は……」  トゥアルセティスは誰よりもホルセムにやさしかった。ホルセムの作った護符(アンク)を受け取って、とても喜んでくれていた。王となるホルセムが叔父ひとりを愛することは許されないから、かわりに、自分はホルセムだけをずっと好きでいてくれると言っていた。 「すぐ、戻るって……剣舞、見てくれるって、言っていた」  トゥアルセティスに褒めてもらおうと、たくさんたくさん練習したのだ。それなのに、と、ホルセムはてのひらをきつく握り締めた。  皮膚に、爪が食いこむ。けれども、その痛みすら、気にする余裕がなかった。 「うそ、だ」  ホルセムは呻くように呟いた。 「そう……すべて嘘、だったのでございます、ホルセムさま」  メネフがホルセムを痛ましげに見詰めながら言う。 「セベクヘプ王には目立った失政などございませんでした。討たれる理由など、ありはしない。トゥアルセティスは、正義のために王を討ったのではありません。ただ、己が玉座を手に入れるための所業……いずれ王を殺し、その座を簒奪する日のため、あの裏切り者は、あなたさまのこともずっと(あざむ)いていたのです。やさしい叔父の仮面をかぶって」 「う、そ……? ぜんぶ、が……」  ホルセムに微笑みかける、トゥアルセティスのやわらかな表情。神秘的な眸。優しい言葉。頭を撫でてくれた、しなやかな指。  すべてが、音を立てて崩れていく。 「俺は……だまされて、いた……?」  呆然と口にする。  同時に、はは、と、乾いた笑みが漏れた。 「ホルセムさま、この剣をお取りになってください。正当な、王者の証の剣を。そして、どうか、オレと共に……いまはひとたび逃れて身を潜めるのです。力を蓄え、仲間を募り……来るべき日に、決起を。あの裏切り者を倒すために。――それまで、オレが必ずやあなたをお守りいたしますから」  さあ、と、促され、ホルセムは顔を上げた。  メネフが捧げる剣に手をかける。その鬱金の眸には、昏い憎しみが燃え立っていた。 「叔父上」  ホルセムは絞り出すように言う。 「トゥアルセティス!」  次には、血を吐くような叫びになった。 「父の仇、簒奪者! 裏切り者! 俺はきさまを許さない! 決して……!」  その日、ホルセムの胸に、トゥアルセティスへの憎悪の(ほむら)が点った。  その後、ホルセムはメネフに導かれ、ウルや少数の世話役の少年と共に、下ケメトの地に落ちのびた。  そこで雌伏すること、五年。  メネフはホルセムの手足となって働く軍団を作り上げ、また、ホルセムに政略や軍略を授けてくれる優秀な書記官とも引き合わせてくれた。ウルも、ホルセムを支え、いまでは押しも押されもせぬホルセムの側近になった。  幼かったホルセム自身もまた、五年経って、反乱軍を先頭に立って率いるに足るだけの者に成長を遂げた。  短くて、長かった五年の日々。  長いようで、矢の如く飛び去った五年。  その間、あのオアシスでホルセムの胸の内に点った憎悪の焔は、決して消えることなく、ますます烈しく燃え続けていた。

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