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第6話 思惑

 |水(アセト)の季節は夜が短く、あっという間に曙光が射しはじめる。ほんのわずか眠ったホルセムは、翌朝、玉座の間で朝議に臨んでいた。  雌伏の時代を共に耐えてくれた書記官たち、そして将や兵卒たち。王位奪還の達成のためにホルセムを支え、大いに貢献してくれた彼らの能力(ちから)は、これからは、ケメト王国の統治にこそ活かされていくのだ。  ホルセムは玉座にはつかず、側近たちの間に立って、さまざま取り上げられる喫緊の課題に耳を傾けていた。 「下ケメトへの異民族の襲来は、小規模ながら、現在も続いていると思われます」  今日、ウルがまず持ち出したのは軍政についての話題だ。  ケメト王国と隣国ハトゥサとの間には細長い海が横たわっているが、唯一、下ケメトの東側では陸続きになっている。また、その北には、ミタンナと呼ばれる異民族の小国があった。さらに、大河イテロが注きこむ大いなる青き海(ワジェド・ウル)を隔てては、グッリシャ、トルイなど海の民の都市国家もある。  これまではホルセムたちが下ケメトを拠点としていたため、小競り合い程度の来襲なら、十分に対処することができていた。が、これからは、そうもいかない。新たに警備のための兵団を派遣し、迅速な反撃体勢を整えなければならないだろう。 「早急に駐屯兵を向かわせたいところではあるののですが」 「人手が足りない、か」  ホルセムは唸った。  ケメト王国は、砂漠も含め、その範囲はかなり広大だ。広域の国を治めていくにあたっては、どうしても、人手がいる。ようやく王位を取り戻したばかりのホルセムの朝では、いまはまだ人材が圧倒的に不足していた。 「メネフ将軍」  ホルセムは信頼を置く将軍の名を呼んだ。 「王宮や諸々の神殿、王都の警備はどうだ?」  国境付近への派遣に割くことができる兵卒はどれほどいるのかを確認するため、そう問うた。 「いまのところ問題ありませんね。もともと配備されていた衛兵たちを、いま、我が方の将の下に組み入れて再編を試みています。それが順調にすすめば、じきに王都全体の警備体制は整うかと」 「そうか。そうすれば下ケメトに警備兵を送る余力も生まれるか?」 「ええ」 「任せる。できるだけ急いでくれ」  ホルセムが言うと、メネフは、は、と、軍人らしいきっぱりとした短い返事を寄越した。  国全体を動かすには、とにかく人手は必要だ。反乱軍としてホルセムに仕えていた者たちだけではとても(まつりごと)の、特に実務関係はまわっていかないから、トゥアルセティスのもとで書記官だった者、兵卒だった者も、いまは使わざるをえなかった。  もちろん、逆賊の配下だった者たちだ。警戒しないわけではない。  だが、簒奪者トゥアルセティスに仕えていたはずの書記官や衛兵たちは、奇妙なほど素直に新王ホルセムのもとで仕事をこなしていた。そこには、抵抗や裏切りの気配など欠片(かけら)もない。  あまりに自然な順応ぶりが、逆に不気味なほどだった。  だが、だからといって、皆を排除しては政が行き詰まるのは目に見えている。  警戒、監視はしつつも、うまく使っていくべきだ、と、ホルセムと側近たちは、結局そうした意見で一致をみていた。  いまも、近くの部屋では、下級の書記官たちが忙しく立ち働いていることだろう。そのほとんどは、この五年、トゥアルセティスのもとで仕事をしてきた者たちなのだ。  叔父が五年間、いったいどんな政をなしてきたのか、王位奪還だけを目標に掲げていたホルセムは、これまであまり気にしてみたことがなかった。 「――ああ、そういえば……ホルセムさま」  一瞬の物思いに耽っていたホルセムは、ウルに呼びかけられ、はっと我に返った。鬱金(うこん)の眸をウルに向ける。 「下級書記官のひとりから、ひとつ、とてもおもしろい提案がありました」 「なんだ?」 「大河イテプと東の紅き海(イメンティウ・ウル)を結ぶ運河の造営についてです。イテプとイメンティウ・ウルが直接つながれば、軍事面はもちろんのこと、とくに交易面でかなり有益にはたらくのではないかと……大工事になりますから、いますぐは無理かもしれませんが、いずれ取るべき政策として、検討の余地はあるかと思います」 「たしかにな」 「一度、件の書記官をお呼びになって、詳しく話をなさっては?」 「そうだな。近いうちに」  ホルセムは答え、それからふと、奇妙な違和感を覚えた。 「――しかし……なぜ、いまなんだ?」  提案はなぜ、トゥアルセティスの治世においてではなく、いま、ホルセムに向けてなされたのだろう。それとも、叔父にはすでに献策し、容れられなかったものだからこそ、新王ホルセムに期待したということだろうか。 「……順調すぎる」  ホルセムはぽつりとつぶやいた。  たしかに課題は山積みである。だが、それにしても、あまりにもすべてが順調に滑り出しているように思われた。不気味なほどに。  ホルセムのこぼした言葉に気付いたウルが、そうですね、と、同意した。 「たしかに、トゥアルセティスさまの配下だった者たちは、少々素直すぎるように思います」 「なにか……叔父はまだ、企んでいると思うか? たとえば、いずれ再起をはかるために」 「それは……わかりません。が、警戒は緩めないでおくべきかと」 「もちろんそのつもりだが」  側近の言葉に、ホルセムは眉を寄せながら言った。トゥアルセティスが再びホルセムを(たばか)り、裏切る可能性があるかもしれないと考えるだけで、(はらわた)が煮えるような不快感を覚えた。 「ただ……」  ふと、ウルが何か思案するように細い顎に指を当てた。 「なんだ?」 「いえ、その……王家の血脈に連なる方は、魔術を扱えますでしょう? トゥアルセティスさまも例外ではないはずです。かの御方がお持ちの〈月の眸〉は、人を魅惑する力を宿すとも言われておりますよね?」 「人を魅了する……」 「ええ。だから、もしかするとトゥアルセティスさまの配下にいた者たちは、これまで、()の人の魔力で心を操られていたのかもしれないなと思って。それなら、魔術が解けたために心を取り戻し、我らに従順になったと考えられます」  ウルの説が正しければ、トゥアルセティスの元配下の者たちも、ある意味で被害者である。正気に戻ったのがいまの姿だとするなら、極度に警戒する必要もない。  いまはまだ確証はないが、いずれ確認すべきかもしれない。  それにも増して、ホルセムには気にかかったことがあった。 「もしトゥアルセティスにそんな力があるとして、それを再び使いでもしたら」  ホルセムの忠臣をもふくめ、トゥアルセティスに心を惑わされ、操られてしまうことがあり得るかもしれないということだった。そうなれば、ホルセムを廃し、再び王位を簒奪することだとて容易に可能だろう。  それはそれで、別の脅威である。 「やはり、どちらにせよ、当面の油断は禁物ということですか。――まあ、新王の(ちょう)の初期とは、そうしたものでしょうが」  ウルが、ふう、と、息を吐いた。  トゥアルセティスに、新たなたくらみはあるのだろうか。トゥアルセティスが再度ホルセムを裏切る可能性はあるのだろうか。もしかしたら、いまこの時も、叔父はその機会を虎視眈々と狙って、待っているのかもしれない。  そう考えるだけで、ホルセムの胸には、苦々しい想いが込み上げた。 「わかっている。――なにを信じても、もう二度と……あの男だけは、信用などするものか」  ホルセムは己に言い聞かせるように低く呟いた。

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