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第16話 降臨

 ホルセムは王だ。そうである以上、よほどでなければ、その決定に従わずにいることはできない。ウルもハクラカァも、結局はそのままホルセムの部屋を後にしていった。  ホルセムはその後、ほとんど一睡もできないままに夜明けを迎えた。  曙光が射してくると、部屋に女官たちがやってきて、即位式に臨むホルセムの衣装を整えていった。  (まと)うのは、太陽神ラァの子であり、その化身、現人神(あらひとがみ)としての、ケメト王の正装である。  純白の亜麻(あま)布を幾重にも重ねた長衣には、(きら)びやかな黄金の縁取りがなされている。腰には金と瑠璃を交互に組んだ帯が巻かれ、前垂れの(ぬいとり)も鮮やかだった。  胸元で燦然と輝くのは、数多の宝石を嵌め込まれた幅広の胸飾り(ペクトラル)だ。黄金の腕輪もまた、瑠璃や紅玉、碧玉などが埋め込まれた豪華極りないものだった。  頭に戴くのは、上下ケメト統一を象徴する二重冠。手に持つのは、王権を象徴する曲杖(ヘカ)鞭笏(ネクロク)である。  想像よりもずっと重い。これが王として立つことか、と、ホルセムはそう思った。  背負わねばならないものの大きさを改めて意識しつつ、ひとつ、深呼吸をする。隼のそれのごとき鬱金(うこん)の眸で前を見据えると、ホルセムは玉座の間へと向かった。  そこにはすでに、こちらも王妃の正装に身を包んだトゥアルセティスが、群臣と共に静かにホルセムを待っていた。 「あ……」  盛装のトゥアルセティスを目にしたホルセムは、思わず声を詰まらせていた。  細い身体を包むのは、幾重にも重なる白亜の薄絹である。光に淡く透けるような布には、金糸、銀糸がたっぷりと織り込まれているらしい。それらが射し込む曙光の中で神秘的に輝いていた。  黄金と碧玉、紅玉を連ねた大きな首飾り(ウセク)がきらきらしい。耳許には蓮の意匠の耳飾りが揺れ、細い腕を飾るのは幾重もの細い金の腕輪だった。額飾りの中央に輝くのは、太陽を象徴する円盤である。  トゥアルセティスはホルセムの姿を見とめると、神秘的な〈月の眸〉を静かに伏せ、こちらに向かって優雅な礼をしてみせた。目許を縁取る黒いコールは、もとより涼しげでうつくしい叔父の目許を、さらに妖艶に際立たせている。  息を呑むほどの美しさだった。  刹那、その姿に見惚(みと)れた己を自覚するがゆえに、それに気付かれぬよう、ホルセムは殊更足早にトゥアルセティスに歩み寄った。 「行くぞ」  その手を、やや強引に取る。トゥアルセティスは逆らわず、ホルセムに導かれるまま、歩み出すホルセムの後に従った。  向かうのは、王宮に正対して建てられている石造りの宮殿である。  ケメトにおいて、建材として石が用いられるのは、永遠性を有すべきもの、すなわち神殿および王墓のみであった。  そここそは、ケメトの最高神、太陽神ラァの神殿だ。  列柱の間へと歩を進める。祭壇の前に立って、ホルセムは深く息をついた。  傍らには、この世のものとも思えないほどうつくしく着飾ったトゥアルセティスが立っている。  この祭壇で、いまからふたりは、ケメトの新たな王と王妃として、ラァの御前に誓いを立てる。そうすれば、このうつくしいひとは、正式にホルセムの王妃となるのだ。  隣に立つトゥアルセティスの横顔を盗み見たホルセムは、急に我が心臓が高鳴り出した気がした。その奇妙な昂りを抑え込み、祭壇の前に(ひざまず)く。  トゥアルセティスもそれに倣った。  最高位の神官が、太陽神ラァと月神トゥト、そのほか数多のケメトの神々の名を唱えながら、神々を讃え、感謝する文言を述べ立てていく。それに続いて、ホルセムは王としての誓言を口にした。 「我はここに、太陽神ラァの子、神の化身として、ケメトの大地と民とを、日と夜とを分かつ境なく、守護することを誓う。神々と共に治め、神々の賜いし秩序と繁栄とを、尊く偉大なる黒き大地(ケメト)の隅々にまで行き渡らせん」  ホルセムが言い終えると、それに続いて、今度はトゥアルセティスが口を開いた。 「我はここに、太陽神ラァの子たる王の伴侶として、月神トゥトの化身として、ケメトの大地と民とを護る王を、光と影とを分かつ境なく、護り支えることを誓う。神々と共に守護し、神々の賜いし真理と慈愛とを、尊く偉大なる黒き大地(ケメト)の隅々にまで映し広めん」  トゥアルセティスが誓い終えた、その瞬間だった。  唐突に、祭壇に(まばゆ)い光があらわれた。 「――ケメトの新たなる王となりし者、我が子よ」  天から降り灌ぐような、荘厳な声が聞こえてくる。  黄金の焔のようなものが、祭壇に燃え立っていた。瞼を焼くほどの白金の輝きは、列柱の影をもすべて消し去るほどの強烈なものである。  太陽神ラァの降臨――……ホルセムはそう直感し、目を瞠る。  しかし、傍にいる神官も、またトゥアルセティスも、慌てた様子を見せてはいなかった。どうやら、いまその姿は自分にしか見えず、声も自分にだけ届いているらしい。 「いま傍らにある者を護るのだ。邪悪なる存在(もの)に惑乱させられぬよう、肝に銘じよ。光を喰らわんとする邪神の魔手に奪われることのないよう……(なれ)(あやま)てばケメトが災禍に呑まれるのだと、ゆめゆめ、忘れることのないように」  響いてくる荘重なる声に、ホルセムは身の竦む思いがした。けれども同時に、身の引き締まる思いでもあった。  自分は正式にケメトの王となった――……太陽神ラァの子、現人神となったのだ。  ケメトの大地、ケメトの民、そのすべての命運がホルセムの肩にかかっている。  かたかた、と、無意識に身体がふるえた。情けない。  けれどもそのとき、ふと、ホルセムの手にそっと重なる手があった。  トゥアルセティスだった。はっとしたホルセムが傍らの叔父を見ると、〈月の眸〉が静かにホルセムを見詰めていた。それだけで、すぅっと気持ちが楽になった。 「トゥアルセティス……」  ホルセムが呟くと、相手はわずかに目を伏せた。 「だいじょうぶだ。おまえが国のため、民のために、わたしを憎む己の心を抑えてこの場に立っていること、神々は見ておられる。きっと、加護があるはずだ」  そんな叔父の言葉に対して、ホルセムは何も言わなかった。否、言えなかったのだ――……あなたさえ傍らにいてくれるなら、と、刹那浮かんだそんな言葉を、口に出来るはずなどなかった。  ホルセムに出来るのは、逃げるようにトゥアルセティスから視線を逸らすことだけだった。

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