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第17話 王家の谷

 熱風が砂を巻き上げて吹き抜ける。崖の上から遠く眺めやると、赤茶けた谷間は熱砂に(かす)んでいた。  王家の谷――……歴代の王たちが永遠の時を過ごす第二の家である王墓が並ぶ場所である。ホルセムとトゥアルセティスは、即位の儀式の一環として、古き王たちへの報告のためにこの場所を訪れていた。  トゥアルセティスは、先程来、両の手を重ね合わせて胸に押し当て、じっと目を閉じて祈り続けていた。白絹が風に揺れ、淡く光を反射して、神秘的にきらめいている。 「……いったい長々と何を語っているんだ? おまえがその手で葬った王に、懺悔してでもいるのか」  ホルセムは、黙したまま祈り続けるトゥアルセティスに、つい、そんな皮肉を言い放っていた。けれども、吐き捨てるように言った言葉には、冷たさの裏にざらつく焦燥も混じっている。  トゥアルセティスは振り向かない。ホルセムは眉根を寄せた。  歴代の王墓の前で祈りを捧げるのは、新たに王妃として立った者として、当然なすべきことである。頭ではわかっているはずなのに、どうして自分の心はこんなにもささくれ立っているのだろうか。  いままさにトゥアルセティスは、自ら殺した王、彼にとっては血縁のない兄であり、ホルセムの父であるセベクヘプのことを、思っているのかもしれない。ホルセム以外の者が、叔父の心を占めているのかもしれない。そのことが――……理屈ではなく、癪に障る。  俺以外を想うな、と、そんな言葉が脳裏をかすめたた。  その途端、自分の信じられない思考に、ホルセムは愕然とした。  いまのはなんだ、と、思う。ありえないはずの想いに蓋をするように、ホルセムは視線を下に移した。  延々と石で出来た陵墓が続いているのが見えている。  やがて自分もあの眠りの列に加わる――……そして、その王墓には、トゥアルセティスもともに眠るのだ。  王墓に合葬されるのは、唯一、正式な王妃のみである。自分たちのミイラが納められた棺が並べられる部屋の石の壁には、互いに向かい合う自分とトゥアルセティスのレリーフが、彩色も鮮やかに彫り込まれるのだろう。その名もまた、ホルセムの王妃として石に刻まれ、ホルセムの名とともに永遠に残るのだ。  死後に続くとこしえの時を、共にする相手。  誰よりも憎むべきそのひとは、今日から後、果てしない時を、ホルセムの傍らに在り続ける。  それを想像した。ぞく、と、した。  おぞましさからではない――……これは、ふるえるばかりの歓喜だ。  誤魔化してしまうには、その想いはあまりにも強烈だった。ホルセムの心の中には、いま、トゥアルセティスが永遠に己の伴侶となったことに、たしかに満ち足りたきもちがある。  絶望にも似た想いが込み上げる。  自分の中に隠れていた思いの忌まわしさに、目の前が真っ暗になった。  ホルセムはきつくてのひらを握りしめる。気付きかけてしまった気持ちを認めるのが、それでも恐ろしく、身体がかすかに震えていた。  ふと顔をあげると、いつの間にか、トゥアルセティスがこちらを見ていた。  ホルセムを映す〈月の眸〉がかすかに揺らいでいる。うつくしい眸を縁どる長い睫が、どうしてか、重たげに濡れていた。  ホルセムははっと息を呑む。  そして、ぎ、と、鬱金の眸でトゥアルセティスを睨み据えた。 「何を泣く? あなたにここで涙する資格があると思うのか」  ホルセムがことさら相手を責めたのは、そうしなければ、己の胸の内の感情に正面から向かい合わねばならなかったからかもしれない。それをしたくなかったからかもしれない。  それに対してトゥアルセティスは、え、と、軽く目を瞠って、自分の目許にふれた。驚いたように瞬いているから、本人も、自分が泣いていたことに気付いていなかったのかもしれない。 「なんでも、ない」  涙を拭ったトゥアルセティスは、そう言って、また顔を背けた。その拒絶の仕草が、ホルセムをいつものように苛立たせる。  そんなに嫌か、と、思った。  ホルセムの妃として、やがてこの王家の谷で永遠の時を共にすることになるのが、無意識に涙を落とすほど嫌なのか、と、そう考えると、急激に苛立ちが腹の底に渦巻いた。  その感情は、まるで突き上げられるように、ホルセムの喉からきつい言葉となって溢れ出す。 「ははっ、どうせ王墓を前に、俺の妃になったことを実感でもしたのだろう。俺の妃は嫌か? この先も殺した王の子に辱められ続ける己を憐れんで泣いているのか?」  そう言いつつ、我が言葉ながら、ホルセムはしくりと胸が痛むのを感じた。  そうだ、と、思う。トゥアルセティスにとって、ホルセムの妃になることは、泣くほど嫌悪することなのかもしれない。  てのひらを握り込みながら、答えを待って、相手を見据える。  けれどトゥアルセティスはやはり、黙したままで何も言わなかった。いつものごとく、真っ直ぐに見据えるホルセムの眼差しから逃げるように、顔を背けたままでいる。  ち、と、ホルセムは舌打ちした。 「もう帰るぞ」  短く宣告する。そのまま、トゥアルセティスを待たずに、(きびす)を返して歩き出す。  やはり自分はトゥアルセティスを憎んでいるべきだ、と、改めて己に言い聞かせる。自分たちは神託によって結び付けられた王と王妃、どこまでも、ただそれだけの関係でいるべきなのだ。  そうでなければ――……傍らにいるそのひとの心が見えず、掴めないことに、きっとホルセムはいつまでも苦悩することになる。  はは、は、と、ホルセムはひとり、乾いた嗤いを漏らした。思った以上に弱々しいものだった。  トゥアルセティスがホルセムを実は泣くほどに嫌悪しているというのなら、いっそ、そのほうが都合がよいではないか。自分たちは憎み合っている。それで、いいのだ。  自らに言い聞かせたホルセムは、けれども、無意識に眉を顰めてくちびるを噛んでいた。胸が詰まって、じん、と、瞼が熱くなっていた。

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