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第21話 追及

「兄上」  ハクラカァが再びホルセムの前に立ったのは、神託の乙女を連れてきた日から、四日ほどが経った晩のことだった。  即位式の初夜の儀以来、ホルセムは後宮を訪れていなかった。  山積みの課題を前に政務を片付けるのに手いっぱいだったからだ。トゥアルセティスのことよりも、いまは政を優先すべきである。  そう思いつつ、けれどもそれが欺瞞(ぎまん)であることは、ホルセム自身がもっともよくわかっていた。  自分自身に、多忙が理由で他意などない、と、必死でそう言い聞かせている。そうしなければ、自身の輪郭がもろく崩れてしまいそうだった。  側近たちとの議論を交わし、書記官とともにめいっぱい働いて、時には練兵にも顔を出した。極限まで身体も心も酷使してから、自室に戻って食事を掻き込み、それがすんだら泥のように眠る。  そうしていれば、余計なことは何も考えずにいられた。  そうでなければ、自分を保つことができなかった。  その日も、日が暮れて随分が経ってから、ホルセムは部屋へ戻った。軽い食事のあと、葡萄酒(ワイン)を満たした杯を片手に、寝台に座ってぼんやりと空を見上げる。  星の瞬く夜空に、いま、月は見えない。  ここのところ月齢を気にしているような心の余裕はなかったが、いまは新月か、そうでなくとも新月から間もない細い月の晩であるはずだった。だから、月はもとより空にないか、あるいはすでに西の地平に沈んでしまったあとなのだ。  そんな(らち)もないことを思ったりするのは、トゥト神の加護の証、〈月の眸〉のことが心に懸かり続けているからかもしれない。  そう思い至ったホルセムは、ぐい、と、葡萄酒(ワイン)を呑み干した。  気分が重い。理由はわからないままなのに、自分がひどく滅入っていることだけはたしかだった。  奥歯を食い締め、再び手酌で注いだ酒精を呷る。どうせどれだけ呑んでも気は晴れないのだから、いっそもう寝てしまおう、と、そう思ったときだった。 「兄上……まだ起きていらっしゃいますか」  部屋の外から、弟王子の声が聞こえた。  あの日以来、ハクラカァはホルセムに何も言わなかった。が、もの言いたげな視線だけは感じていた。  ホルセムは忙しさにかこつけて敢えて気づかない振りをしていたのだが、そろそろ、相手も(しび)れを切らしたものと見える。〈月の眸〉を持つ娘の処遇のことで訪ねて来たのだろうということは、容易に想像がついた。 「ホルセムさま」  だが、予想しないことに、今宵はもうひとつ声がある。 「ウルか……おまえも一緒か」  ホルセムはちいさく息を吐いて、寝台から降り、部屋の入り口へ向かった。 「入れ」  布扉を持ち上げ、弟王子と側近とを部屋のうちへ招き入れる。自分は卓の前に腰掛け、酒壺から、空になっていた杯に葡萄酒(ワイン)を注ぎ足した。  今宵はもうよしておこうとと思っていた酒精を、自棄(やけ)のように、ぐい、と、(あお)る。ひと息に杯を空けて、更に三杯目を注いだ。 「何か用か」  酒杯を片手に持ったホルセムは、鬱金(うこん)の眸をホルセムはハクラカァとウルとに視線を向ける。ウルは困ったように口を(つぐ)んだままでいたが、弟は碧玉の眼差しを鋭くしてホルセムを見返した。 「兄上の新たな妃の件で」  臆することなくきっぱりと言う。  やはりそれか、と、ホルセムは暗い気持ちになりながら溜め息をついた。 「……神の前で誓った以上、廃位は簡単ではないと言ったはずだ」  口にしながら、我ながら言い訳じみていると思った。  それならば、そもそも、即位式を延ばせばよかったのである。儀式の前に、ハクラカァからは、該当者が見つかってまさに王都に向かっているという報告は受けていたのだ。  そうしなかった自分の判断、その裏にある罪にも等しい想いを見透かされたくなくて、ホルセムはふたりから視線を逸らす。逃げるように顔を背けたこと自体も誤魔化したかったから、杯を傾け、またひと口、葡萄酒(ワイン)を呑んだ。 「ええ、承知です」 「ではなぜ、また……」  ホルセムが問い詰めかけたところで、ハクラカァはこちらを(さえぎ)るように言葉を差し挟んできた。 「兄上がそのようにおっしゃいましたので、なんとかならぬものかと、ウル殿に相談いたしました。そして、我が国の歴史を、調べていただいた……王妃の廃位について」  どきりとした。  それを悟らせぬよう、殊更ゆっくりと、手の中の杯を卓に置いた。 「……それで?」  ホルセムが促すと、ハクラカァはウルのほうを見た。ウルが頷き、躊躇(ためら)いながらも口を開く。 「王は神の現身(うつしみ)、王妃はその伴侶。即位式を経て、ともに、神に認められた存在となります。ですから、それが廃されるのは、滅多にないこと……ですが」  全くないというわけではないのだろう。ウルは言葉を続けた。 「神、または、その化身たる王に背いたと認められた際には、廃位され、新たに王妃が立てられた前例がございます」  ウルの言葉に、ハクラカァが続いた。 「兄上。トゥアルセティスはそもそも、正統なケメト王、すなわち太陽神ラァの子であった父、ケベクセプ王を弑しました。その時点でもはや、神にも背いた存在であった。そう言う意味では、あやつに王妃たる資格など、もとよりありはしないのです」 「だが……それでも、神託があったのだから……」  ホルセムは掠れた声で反論する。  そう、それは紛れもなく反論だった。そのことにホルセムは、我ながら愕然とした。  本来ならば、ホルセムこそ真っ先に、いまのハクラカァが持ち出した論理でトゥアルセティスを断罪していておかしくない。それなのに、なぜかトゥアルセティスを庇っている己を認めたくなくて、気づかれたくもなくて、ホルセムは黙りこんだ。  ウルがそんなホルセムを、どこか痛ましげな眼差しで見た。 「神託が示したのは、トゥト神の加護ある者、で、ございました。あの時点では、該当するのはトゥアルセティスさまのみと思われた……ですから、かの御方を、我々はホルセムさまの王妃として立てることにした。――逆賊であると知りながら、それでも、神々のご意志なのだから仕方がないことだ、と……あなたさまも、そう己に言い聞かせ、何とか事態を呑みこんでおられた」  「そう、だな」  たしかに最初はそうやって自分を納得させた。そして、父王の仇をとることができないかわりに、トゥアルセティスを辱めることで、復讐を果たそうとした。  だが、いまや――……ホルセムはどうかしてしまっているのだ。  きつく眉を顰め、くちびるを噛みしめた。 「ホルセムさま……」  ウルが心配そうにこちらを呼ぶ。 「兄上。神託の相手は、もとからトゥアルセティスなどではなかったのです。兄上がお苦しみになる必要など、なかったのです」  ハクラカァが畳みかけるように言った。 「もうすこし早く、僕があの者を発見できてさえいれば……」  弟王子は、忸怩(じくじ)たる想いを噛むのか、口惜しげにうつむいた。  たしかにそうかもしれない、と、ホルセムも思う。最初から、トゥアルセティスの他にも〈月の眸〉を持つ者がいることがわかっていれば、ホルセムは迷いなくその相手を王妃としただろう。その場合、トゥアルセティスはあの場で速やかに斬り捨てられていたはずだ。  だが、すべては過程でしかない。  もう、なにもかもが遅すぎた。 「それでも……いま、トゥアルセティスは俺に背く行いを為したわけでもなければ、俺の王妃とされて以来、神に背いたわけでもない。むしろ従順に宿命(さだめ)を受け入れているんだ。それを……」  そのことは、ホルセムが最もよくわかっていた。  トゥアルセティスは、夜毎にホルセムに辱められながらも、抗うことなく、おとなしくされるがままになっていた。まるでホルセムの怒りを受けとめるのは己の義務であり、当然のことだとでも言わんばかりに、だ。  たしかに苦悶に呻き、泣き濡れて、目を伏せて顔を背けることはあった。だが、たったそれだけの姿に、廃位を持ち出すほどの反意を見出だせというのは、無理が過ぎる。 「兄上」  そのとき、ハクラカァが、ぞっとするような低い声を出した。 「理由がないというのならば……そんなものは、作ってしまえば良いのです」 「なん、だと……?」  ホルセムが聞き返すと、ハクラカァは、にこ、と、場違いなほどに朗らかに笑う。 「先日、中庭で見かけた犬……たしかイプワトとか言いましたか。兄上は、あの犬は王の犬、いまの飼い主は自分だおっしゃいましたね」 「確かに言ったが……それが、どうした? イプワトなら、もう……」 「ええ、即位式の数日前に死んだと耳にしました。それを利用するのです」 「どういうことだ?」 「犬はアンプゥ神の使いの神聖な生き物とされている。しかも、王の飼い犬……これを殺したのだとすれば、それは立派に、神に背き王に背く罪だといえるのではないですか。――いかがです?」 「……いかが……?」  笑いながら言う弟に、ホルセムは問い返す。喉がひりついていた。 「なにって、もちろん逆賊トゥアルセティスを罪に問い、廃位に追い込む理由ですよ、兄上。――理由が必要なのでしょう?」  当然だとばかりにハクラカァは事も無げに口にする。ホルセムは継ぐべき言葉を失った。 「っ、だが……!」  それでも言い募ろうとすると、碧玉の眸がこちらを見据える。 「兄上はあの男を憎んでいるのではないのですか」  ハクラカァの声は静かだった。それだけに、その言葉には、ホルセムを厳しく追及するような響きが籠っていた。 「あの男は、弑逆の罪を犯した、しかも簒奪まで行った憎むべき逆賊なのではないのですか。父上の仇……それをどうして、庇おうとなさるのです?」 「っ、俺はトゥアルセティスを庇ってなど……」 「いないと言えますか? ほんとうに? それならなぜ、こうまで、あの者の廃位を拒まれるのです」 「拒んでいるわけではない。俺はただ……」  ただ、なんだろう。  神託の指し示す唯一の相手だという言い訳は、否定された。廃位に持ち込むための理由も、なんとか整えることができる。  それにも関わらず、これ以上抗おうとするのは、いったいどんな感情のためなのだ。  トゥアルセティスは、ホルセムにとって、本来ならば尽きせぬ憎悪を向けて然るべき相手である。そうだ。ハクラカァがトゥアルセティスに対して抱く感情のほうが、いっそ正しい。何が何でもあの男を断罪する。父王のためにも、完全なる復讐を遂げる。  それこそが、あるべき態度だ。  おかしいのは――……ホルセムのほうだ。  この、わけのわからない執着。執心。  そんなものに振り回されるのは、もう、うんざりだった。  たとえばトゥアルセティスがホルセムの傍らからいなくなれば――……荒れ立つ心は、おさまるのだろうか。  まるで砂嵐に巻かれたかのごとく、自身の心も、立っている場所も、目指すべき方向すらも見失っているいまの自分。そんな自分も、叔父さえ消えれば、まっとうな状態に立ち返ることが出来るのだろうか。

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