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第23話 賜毒

 トゥアルセティスを牢へと連行させた後、部屋へ戻ったホルセムは結局、一睡もしないままに次の朝を迎えた。  朝日は白く(まぶ)しいが、うらはらに、ホルセムの気分は昨夜のまま(くら)い影の中に沈んでいた。朝議では、王妃の罪を断じたうえで、その投獄の事実について群臣に説明しなければならない。それを考えると、ひどく気分が重かった。  そもそもトゥアルセティスは逆賊である。それを捕えて、処断する環境が整ったのだとしたら、群臣はそれを喜びこそすれ、誰も大きく異を唱えたりはしないはずだった。  理性では割り切れる。  それなのに、気が滅入っている。  それでも、もうこれ以上トゥアルセティスのことで心を乱されるのはたくさんだった。だから、いまこそ――最初の望みの通り――父王の復讐を果たす。そうすれば、この乱れた心も収まるはずだった。  ホルセムは、必死にそう信じ込もうとしていた。  部屋を出て、朝議の場へと向かう。  このあと、王座の間で、群臣を前に、トゥアルセティスの廃位を宣言するのだ。そうすればもう後戻りは出来ないが、それこそが望むところだった。そうなれば、ようやく、己の心にもけじめをつけられるに違いないのだから。  ホルセムが回廊を抜け、角を曲がればもう皆の集う部屋が見えるところまでさしかかったときだった。  柱の影から、ふいに、ハクラカァが姿を見せた。 「兄上」  弟王子の傍には、いまも:例の〈月の眸〉を持つ娘の姿があった。それを見ると現実を突きつけられるようで、ホルセムはまた憂鬱になった。  だが、と、自分に言い聞かせるように思う。  いっそちょうどいいと考えるべきではないか。トゥアルセティスの廃位を宣するとともに、新たに王妃として立つべき者の紹介もしてしまえば良いのだ。神託を無視するわけではないとわかれば、トゥアルセティスを断罪することにしたと告げても、側近たちも安心だろう。  そこまで考えて、ああそうか、と、ホルセムは思った――……この先に待っているのは、トゥアルセティスを断罪せねばならないという現実だ。自分はそこから目を逸らしたくて仕方がないのだ。  ホルセムは沈みかける気分を振り払うように、ふるふると(かぶり)を振った。顔を上げて、弟王子を見る。 「ハクラカァ。おまえたちも共に……」  朝議の場に、と――己から逃げ場を奪うためにも敢えて――ホルセムが言おうとしたときだった。 「あの男の処刑は、いつお命じになるおつもりですか?」  唐突に落ちた冷徹な響きの言葉に、ホルセムは息を呑んだ。 「処刑……」  呟くと、ぞっとする。  これまでは、トゥアルセティスは神託に護られていた。だが、その担保を失えば、もはや単なる逆賊でしかなくなる。  そうなれば、王への叛逆は死罪である。トゥアルセティスはその手で先王を弑逆しているのだ。  王族だろうが、もと王妃だろうが、極刑以外を以て臨むことなどありえない――……そうだ。ホルセムは、叔父を処刑しなければならない。  断罪などという中途半端な言葉で自分を誤魔化そうとしていたけれども、それこそがホルセムを待ち構えている、向き合わねばならない重たく冷たい現実なのだった。  この手でトゥアルセティスを処刑する。  ホルセムは己の両手に視線を落とした。 「やつが生きている限り、兄上の心は休まらない。そうではありませんか? ならば、一刻も早く、処刑なさるべきです」  強く言い募るハクラカァに、ホルセムは気圧される。 「それとも、躊躇(ためら)われる理由でもおありですか?」  冷たい碧玉の眸が、疑わしげにホルセムを見た。その眼差しには嘲りや侮蔑が滲んでいる気がした。あるいは、ホルセムの裏切りを責めているようですらある。  自分の胸の内にある罪深い感情を見透かされているようで、たまらない気分になった。 「っ、そんなもの、あるわけがない!」  ホルセムは反射的に強く否定した。  ハクラカァは一拍黙り、それから、ふう、と、息を吐く。 「では、あの男に死をお命じになってください……いますぐ、ここで」  迫るように言う。そして、てのひらに収まる大きさの、ちいさな壺を取り出してホルセムに見せた。 「王家に伝わる毒薬です。兄上もこの毒の威力については、お聞き及びでは?」  弟の言葉に、ホルセムは黙りこくった。 「首を斬って血を流すのは(けが)れにあたる……いま漕ぎ出したばかりの新王朝に、それは不吉で、ふさわしくないでしょう。ですから、毒杯を(たまわ)るのです。兄上がお命じくだされば、僕が、いますぐにでも始末をつけて参ります」  じっとこちらを見据える眸には、情念にも似た焔が宿っている。それは、トゥアルセティスへと向けられた強い感情が滲み出たものにも、また、兄王のためならば自らは汚れ仕事も辞さないという決意の表れのようにも見えた。  ホルセムは、こく、と、ひとつ喉を鳴らした。ハクラカァの念に()てられたかのように、何の言葉も返せなかった。 「あの男を生かしておいても、兄上の心を乱すばかり」  追い打ちをかけるように、ハクラカァは言う。 「兄上とて、それは重々にご承知のはず」 「っ、俺はあれに、心乱されてなど……」 「いないとおっしゃるなら、なおのこと……はやく、命じてください」  こちらを追いこみ、追い詰めるような言に、ホルセムはまたしても思わず息を呑んでいた。  脳裏に、即位式の晩、トゥアルセティスと触れあったときの記憶がよみがえる。共に熱に溺れた時間。肌のぬくもり。唇の甘さ。ふいに背にまわった腕。それだけで満たされた心。  ぞくりとする。  許されるわけもない情だった。こんなものに、これ以上、惑わされるわけにはいかない。否、もう、たくさんだ。御免だ。  熱をかき消すように(かぶり)を振った。 「さあ、兄上」  ご決断を、と、ハクラカァが促す。 「俺、は……」  声が震え、言葉が続かない。  胸の奥で、拒絶と渇望とが(せめ)ぎ合う。  憎んでいるはずだ。父王のため、仇討ちを果たそうと思っていたはずだ。そして、復讐は、あの男をこの手で殺せば、完全に成し遂げられる。それなのに――……なぜ、これほどまでに苦しいのか。  唇を噛み、ホルセムは視線を逸らした。  トゥアルセティスがこの世からいなくなってしまえば、もう、こんなふうに苦しまずに済むのだろうか。  わからない。  わからないけれども、そうなれば、再び彼に裏切られるかもしれない恐怖からは、すくなくとも、解放される。  そうだ。いなくなってさえしまえば、叔父はもうホルセムを裏切ることはない。できない。見捨てられる恐怖に、絶望に、苦悩する必要だけはなくなるではないか。  ぞろ、と、蛇が這うように、その思考はホルセムの心に忍び入る。いっそそれが甘い誘惑に思えた。 「……っ、毒杯、を」  掠れた声で、ホルセムはついに口にしていた。  それでもまだ、逃げるようにハクラカァから視線を逸らしている。 「トゥアルセティスに、毒を、賜われ」  言った瞬間、自分の声が、まるで自分ではない何者かが発しているかのように錯覚される。まるで現実感がなかった。

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