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第25話 過誤

「廃嫡、だと……?」  信じられない思いで、ホルセムはつぶやいた。 「父上が、俺を……?」  言葉を続けると、ホルセムの前に跪いているメネフがひどく辛そうな表情で頷いた。 「五年前、トゥアルセティスさまが王宮にお戻りになるとすぐ、王は群臣会議の場で、あなたさまを廃する旨を切り出されました」 「っ、なぜ……!?」 「表向きは、あなたさまの母君がすでになく、強い後ろ盾が望めないこと……それでは王権が弱くなると、そう仰せだったようです。ですが、真実は……セベクヘプ王が、あなさたまを……どこかで(うと)んじておられたからでしょう」  すこし言いにくそうにしながらも、メネフは言った。 「父が、俺を疎んじていた」  ホルセムは口に出す。はは、と、乾いた笑いが漏れた。  そうではないのかと、まったく考えなかったといえば嘘になる。いまも、やはりそうか、と、そんな気持ちが心の片隅にはあった。  ホルセムはセベクヘプの最初の子であり、嫡長子だ。それにも関わらず、セベクヘプは、まるでホルセムに関心を寄せなかった。即位にあたって献上された犬イプワトに興味を持たなかったのと同じように、ただただ周囲の者に世話をさせるばかりで、自ら愛情を注ぐことなどなかった。  父は王だからだ、王とはそうしたものだ、と、幼いホルセムは必死に自分に言い聞かせていた。  けれど、どこかでは、わかっていた気がする。  父はホルセムに愛情を抱いていないのだ。それどころか、どこか、ホルセムを嫌っているふうすらあった。  わかっていたが――……実の父に疎まれているだなどと、認めたくはなかった。  だが、やはり、そうだったのだ。ホルセムはきつく眉を寄せた。 「ホルセムさま……」  (ひざまず)いたままのメネフが、気遣う声でこちらを呼ぶ。だがホルセムは、いまは誰の慰めも受けたくはなかった。かえってみじめになる気がする。 「構うな……続きを」  だから、努めて平静を装い、メネフに先を促した。  メネフは一瞬ためらったようだが、すぐにまた口を開いた。 「トゥアルセティスさまは、あなたさまの廃嫡を、頑としてお認めにならなかった。ケメトの王位は長子相続が基本、これを敢えて無視すれば災いを呼ぶと」 「叔父上が……」 「はい。他にも、何人かの書記官や軍人が、トゥアルセティスさまに賛同なさった ようです。ただ、セベクヘプ王は……反対する者を投獄し、更には、刑戮(けいりく)にすら及んだ」  一瞬、鉄くさい血の匂いを嗅いだ気がして、眩暈(めまい)がした。父の信じ難い所業にホルセムは言葉を失う。  五年前、この王宮で、そんな血(なまぐさ)い事態が起きていようとは、まるで知らなかった。父王に非はなく、それにも関わらず、トゥアルセティスに弑逆されたのだとばかり思っていた。 「そのうえ……」  メネフが言葉を継ぐ。 「セベクヘプ王は、呪詛(じゅそ)を」 「呪、詛」 「はい。長子相続だというなら、その長子がいなくなれば何の問題もなかろうとおっしゃって……廃嫡だなどと面倒な手続きなど踏まずとも、最初からそうすれば良かったと、あなたさまを呪う術をお使いになったとか」  ホルセムは目を見開いた。  足元がふらつく。てのひらが冷えていく。  目の前が真っ暗になったかのようだった。  いつか王宮で、父に向けられた眼差しを思い出した。冷徹な目だった。それが王と言うものかと自分を納得させたあの昏く冷たい視線の奥底には、ホルセムへの殺意の種が、すでに宿っていたのだろうか。  父が、自分の命を狙った。  殺そうとするほどに疎まれていた。否、父にとってのホルセムが、死んでも構わない程度の存在でしかなかったということなのかもしれない。  どちらにせよ、それはあまりにも衝撃的な事実だった。 「はは、は……父が、俺を、殺そうと……? なんだ、それは……俺はいままで、いったい、なんのために……」  父王の仇を討ち、玉座を取り戻す。そう思ってここまで来た。だが、その王は、邪魔なホルセムを殺したうえで、別の者を嫡子にしようとしていたのだ。  そこでホルセムは、はた、と、思い至る。 「だが……俺は、呪詛など……」  魔術による呪いを受ければ、身体に異変が現れる。先日のイプワトがそうだったように、苦しみ、弱っていくものだ。しかし、当時のホルセムはそんな目には遭っていなかった。 「トゥアルセティスさまが、呪詛を、お返しに……あの時、あなたさまをお救いするには、それよりほか、手だてがなかったのです。そのことが結果として、兄王を死に至らしめるのだとしても、あの方は……」  ホルセムを呪詛から護るため、トゥアルセティスはセベクヘプによる呪いの魔術を、術者本人に返した。呪殺自体も高度な魔術だ。それを返すとなれば、相当な消耗があっただろう。  持てる魔術のすべてをつぎ込み、トゥアルセティスはホルセムを護り抜いた。  その結果、呪詛を返されたセベクヘプは命を落とした。そして、トゥアルセティスのほうは魔力を失い、かつ、弑逆の汚名を着ることとなった。  それが、五年前の真実だというのか。 「事情があるとはいえ弑逆の罪を負ったトゥアルセティスさまは、オレに命じられた。あなたを下ケメトへお連れして護るように、と。いつか決起させ、そして自分を討たせよ、と」 「な、ぜ……」 「あなたさまへの、贖罪のおつもりも、あったと思います。それから、逆賊を討って玉座につく強き王者を、民は歓迎するだろうから、とも、仰っておられました。そうやって、あなたさまの王権を固める意図がおありだった。来るべき日まで玉座は自分が預かり、出来る限り朝を整えておくから、と……弑逆と簒奪の汚名を着ても」  メネフの声は、最後、震えていた。  ホルセムの胸には父の真意を聞いたときよりもずっと重い衝撃が走っていた。自分が今まで依って立っていた場所が、がらがらと音を立てて崩れていくようだ。言葉もない。  けれどもうらはらに、これまで自分を苦しめ続けていた呪縛が、ふいに、やわらかくほどけたようにも思った――……トゥアルセティスは、最初から、ホルセムを見捨ててなどいなかったのだ。  裏切られてなど、いなかった。叔父の心はずっとホルセムのもとにあった。離れてなどいなかった。  それだけで、すべての(わだかま)りがとけていく。  そして、もう、ホルセムは認めないわけにはいかなかった。  トゥアルセティスが憎かった。ずっと、燃え立つような憎悪を向けてきた。それは事実だ。だが、この胸に滾る憎悪の根源は、父王を殺されたことにあったわけではなかったのだ。  誰よりも慕った人が自分を捨てた。その一事が、ホルセムには許せなかった。トゥアルセティスがホルセムを騙していたかもしれないこと、与えられたやさしさが偽りだったかもしれないこと、そのことがつらかった。あまりにも簡単に置き棄てられてしまったことが、なにより、苦しかったのだ。 「叔父上……」  胸が熱い。瞼が熱い。  彼がくれた優しさは、決して、嘘などではなかった。ホルセムを見詰める穏やかな眼差し、名を呼ぶ声、頭を撫でてくれた手。どれもこれも、真実だった。  そして、この五年、見えないところで為され続けた彼の献身によって、自分はずっと守られ、導かれてきたのだ。  かつての淡い思慕が胸に戻ってくる。  否、それはずっと、ホルセムの胸の中に在り続けたものだ。押し込められ、ぐちゃぐちゃに歪みながらも、決して消えなかった()だ。  憎悪や執着に絡みつかれ、いまや情慾にまで(まみ)れても、ずっと胸の奥底にあったもの。それがいま、深く強烈ないとおしさになって、込み上げた。 「トゥアルセティス……」  ホルセムは声を詰まらせながら、縋るように、求めるように、叔父の名を呼んだ。 「ホルセムさま……トゥアルセティスさまに口止めされていたとはいえ、これまで黙っていたこと、どうかお許しを。そして、どうか……どうか、トゥアルセティスさまを牢から解放してください。弑逆は事実、けれども、あの方に私利私欲などありはしません。すべては、あなたさまの御為……どうか」  メネフは伏してそう請うた。  けれども、その言葉は、途中から、ホルセムの耳には半分も届かなくなった――……さっと血の気が引いている。  自分は先程、弟に何を命じた。  冷たく吐き棄てた己の言葉を思い出し、ホルセムはかたかたと震えた。 「……毒、を……」  声が、かすれる。 「え……?」  顔を上げたメネフが、様子のおかしいホルセムを前に、訝しげにする。 「ハクラカァに……毒を、預けた……俺、俺は……」  メネフははっと息を呑む。その顔もまた一挙に蒼褪めた。 「ハクラカァさま……」  呆然とつぶやく声が、奇妙に耳の奥で反響する。  父王はホルセムを廃そうとしていたのだという。それはつまり、別の者を嫡子として立てようとしていたということでもあった。  それはいったい、誰だったのか。  もう、問わずともわかるような気がした。  ホルセムを見据えて叔父の処刑を迫ったときの、碧玉の冷たい眸を思い出す。 「っ、トゥアルセティス」  ホルセムは弾かれたように駆け出した。  恥も外聞もない。王としての振る舞いなどはかなぐり捨てて、わき目もふらずに牢へと走った。 「トゥアルセティス!」  間に合ってくれ、と、願う。歯を喰いしばる。心臓(イブ)が止まっても良い、どうか間に合ってくれ、と、息せききって牢へと駆けつけた。  格子の嵌った牢の扉は、いま、開いていた。  トゥアルセティスの姿が見える。そして、彼と向かい合うように、ハクラカァと〈月の眸〉の娘も立っていた。  トゥアルセティスの手にはすでに、毒杯であろうカップがある。はっとしたホルセムはトゥアルセティスに駆け寄ると、その杯を問答無用で叔父の手から取りあげた。  カップごと中味を放り投げて棄てる。それでようやく息をついて、ホルセムはトゥアルセティスを見詰めた。  神秘的な〈月の眸〉がホルセムに向けられる。  叔父は、ふわ、と、やさしく穏やかに微笑んだ。 「ホルセム」  トゥアルセティスのくちびるが、こちらの名を呼ぶ形に動いた。 「トゥアルセティス」  やわらかな相手の表情を前に、ホルセムは一瞬、心底から安堵の息をもらす――……間に合った、と、そう思った。  だが、そのほんの刹那ののち、ホルセムは絶望の淵へと叩き落された。  ホルセムの前にそっと微笑むトゥアルセティスの口許から、つぅ、と、一筋、赤黒い血がこぼれ落ちる。 「あ……」  ホルセムが無意識に声をあげたとき、とさ、と、何かが倒れ込む音が聞こえた。 「あ、あぁ……おじ、うえ……」  あまりにも呆気なく、頼りなく、細い身体はその場に崩れ落ちていた。

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