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第28話 兄弟神

「太陽神ラァの子にして、その現身(うつしみ)たる、ケメト王よ。君は愚かにも判断を誤った。その結果、我らが愛するケメトの地が、いま、危機に瀕している。君はこの事態をなんとかしなければならない。――王たるものの、責任として」  オサイリスの言い放った声がしんと響く。静かで穏やかな口調ながらも、言葉は厳しかった。 「俺、は……」  ホルセムは言葉を詰まらせた。  いまの危機が、まさしく自分の不明が呼び込んだことであるのは、たしかだ。けれども、だからこそ、責任というならば甘んじて神罰を受けるくらいのことしか思いつかなかった。心弱く未熟な自分に出来ることが、果たして、いかほどあるのだろうか。  あるいは、むしろこの危機を打開できる者に、王の座を譲ればいいのだろうか。 「王位を……誰か、ふさわしい者に……」  ホルセムが言いかけたときだった。 「はっ、誰がそんなことを言った?」  セテスが不快げに眉を寄せて吐き捨てた。 「背負うのはおまえだ。おまえの引き起こした事態なのだから、当然だろうが」 「でも……俺、は」  何の力もない。守られるばかりで、しかも、そのことに気付きもしなかった。弱く、愚かだ。そのせいでトゥアルセティスを死なせてしまった。そんな我が身が為せることなど、あるわけがない。  自己嫌悪から自虐に陥るホルセムを、しかし、セテスは容赦なく叱りつけた。 「自己否定に逃げるな。おまえがここでどれだけ自らを(さげす)んでみたところで、何も変わらん。むしろ、賦抜けたままに無駄な時間を過ごせば過ごすほど、アポォピスを利すことになるのだぞ」 「で、も……もう、何もかも、遅い。ぜんぶ俺のせいだ。俺が弱かったから、頼りなかったから……叔父上を、トゥアルセティスを……死なせた」  護ることが出来なかった。それどころか、自らの手で葬ってしまったのだ。ホルセムはまた肩を細かく震わせた。 「そう思うなら……!」  セテスが苛立たしげに声を荒らげる。黒い眸が怒りに燃え立ち、白亜の髪が熱風に逆巻いた。 「己の弱さを悔いるなら、なおさら心根を入れ替えろ! いますぐにだ! ――おまえが……大切なものを、取り戻したいと思うのなら」  眉を寄せて告げられた言葉を、一瞬、聞き間違いかと思う。それでも、一縷の望みに縋りつくように、ホルセムは顔を持ち上げていた。 「取り戻、す……?」  大切なものを取り戻すとは、いったい、どういうことだろうか。ホルセムは太陽神ラァの子である砂漠神をじっと見詰めた。 「言ったろう? ぼくたちは君を罰しにきたのではない、と」  言葉を継いだのはオサイリスだった。 「ぼくたちはケメトを覆う邪神の災禍を退けるため来た」 「災禍を、退ける……」 「そうだよ。そして、そのためには、トゥト神の化身をアポォピスの手から取り戻すこと……冥府(イメンドゥアト)から連れ戻すことが、必要なんだ」 「……おじうえ、を……? でも……」  ホルセムは揺れる眼差しで大河の神を見た。ずっとうつむき、昏く濁っていた眸に、わずかに期待の光が灯っていた。縋るような気持ちだった。 「叔父上は、毒を……俺の与えた、毒を呑んで……」  トゥアルセティスの命の(ともしび)は、それによって、消えてしまったはずだ。それでも、まだ、彼をこの手に取り戻す術があるというのだろうか。  そんなホルセムを見て、セテスが溜め息をつく。 「トゥト神の化身は、その肉体ごと、アポォピスが連れ去ったようだな。ということは、いまはおそらく、やつの巣がある西の冥府(イメンドゥアト)にいる」 「冥府(イメンドゥアト)……」 「そう。――つまりね、彼はまだ、死者の国(アァル)までは赴いていないということだよ。だから、うまくいけば地上に連れ戻せる。君次第だ」  そう言うと、息を呑むホルセムを前に、オサイリスは目を細めてしずかに微笑んだ。 「ぼくたちは、君が彼を地上に連れ戻す手助けをするために来た。ケメトの危機を打破するためにも、トゥト神の化身を、冥府(イメンドゥアト)から……アポォピスの手から、一刻も早く取り戻さなければ……それには君の力が要るんだよ、ケメト王」 「っ、ほんとうに、トゥアルセティスを……取り戻せる、のか?」  ホルセムは目を瞠り、そして刹那の後には、食ってかかるようにオサイリスに問うた。  毒杯を呷り、死者の国へ行ってしまったと思っていた叔父。その肉体すらアポォピスに連れ去られ、二度と、再会はかなわないかもしれないと思っていた。  そのひとを、この手に、取り戻せるかもしれない。  絶望に暮れていたホルセムの胸に点った希望は、すぐに、燃え立つ(ほむら)となった。  「どうすればいい!? なんでもする! なんでも……!!」  身命を(なげう)っても構わなかった。否、トゥアルセティスはそのすべててホルセムのために尽くしてくれていたのだ。惜しくないどころか、むしろそうするのが当然だ。 「まあ、ちょっと、落ち着いて」  オサイリスは、畳みかけるホルセムを前に、ちいさく息をついた。 「まず………アポォピスがトゥト神の化身を奪った目的を話しておいていい?」  大河神の言葉に、ホルセムは焦れた。が、神の言葉に逆らうこともできない。焦る気持ちをぐっとこらえ、相手の話に耳を傾けた。 「やつはね、常に光を欲しているんだ。光を呑みこむことで、完全なる存在(もの)になることができるから」  オサイリスの言葉に、腕組みをして眉間に皺を寄せているセテスが言葉を続けた。 「原初の混沌ヌゥから、太陽神ラァと月神トゥトが生じた。ラァは昼の世界をあまねく照らし、トゥトは夜の世界に光を(もたら)した。その余ったところの暗闇に生じたのが、邪神とも呼ばれる闇の神、アポォピスだ」  砂漠神が口にするのは、ホルセムも良く知る、この国の太初を語る神話だった。 「そのアポォピスの棲処(すみか)は、冥府(イメンドゥアト)……西の果ての、光が沈むところ。果てしない闇の世界だよ。そして、やつは本来、地上世界には直接干渉することが出来ない。地上(ここ)はぼくたち、ラァを祖とする神々の領分で、やつのいるべき世界ではないからね」 「でも、アポォピスは……」  牢に姿を現し、トゥアルセティスを奪って行ったではないか。ホルセムが疑義を投げかけると、セテスは凛々しい眉をきつく寄せた。 「人の心には闇がある」  端的に言う。 「そこに巣食って、やつは人の世界にちょっかいをかける。形代(かたしろ)として使うことで、地上に干渉する」  そういえば、顕現した邪神アポォピスは、それまではホルセムの弟ハクラカァの肉体を器にしていたと言っていた。どうやらそういうことだったらしい。 「生身の人間では、冥府(イメンドゥアト)に連れて行くのに不都合でもあったんだろう……だから、小賢しい策を(ろう)した」  自分はその小賢しい策にまんまと踊らされてしまったわけである。ホルセムは改めて、己の不明に、忸怩(じくじ)たる想いで唇を噛んだ。 「アポォピスは、光を呑みたがっている。光の余るところの闇に生じたやつは、光を呑むことで、欠けなき完全なる存在(もの)になれる……この地上へも、自由に干渉できるようになる」 「そのために必要なのが、太陽神の化身、もしくは月神の化身というわけだね」  兄弟神の語る言葉に、ホルセムは血の気を失った。 「そん、な……では、トゥアルセティスは、まさかもう……」  ケメトでは、空を厚い雲が多い、太陽が姿を見せなくなった。それはすでにトゥアルセティスがアポォピスに呑みこまれ、邪神が地上に手を伸ばせるようになったためではないのだろうか。 「いや……もし完全に呑まれていれば、ケメトを襲う災禍はこの程度では済まないよ。だから、いまのところはまだ、無事のはずだ」  オサイリスが言って、ホルセムは、ほ、と、息をついた。  だがすぐに、セテスがその安堵を打ち消す言葉を口にした。 「だが、おそらくやつは満月を待っているだけだ」 「満月……?」 「月神トゥトの力が最も強くなる日だね。それを待って、トゥト神の化身を、完全に呑みこむつもりなんだろう。そして、そうなってしまえば、十中八九、ケメトは滅ぶよ」  ホルセムは言葉を失う。満月まではあと数日だった。それに間に合わなければ、トゥアルセティスを永遠に失うのみならず、ケメトまでもが滅亡してしまうのだという。 「そこで、だ。まず君には、冥府へ行ってもらう」  オサイリスが端的に言った。 「アポォピスが地上で力を十分に行使できないように、我らの力もまた、冥府に直接は干渉できない。それは世界が世界に生ったときに出来た掟、動かせぬ摂理(きまり)だ」  セテスが忌々しそうに口にする。 「冥府(イメンドゥアト)で我らが力を行使するには、形代(かたしろ)がいる」  言いながら、砂漠神は黒い眸をホルセムのほうへと向けた。大河神もまた、黄金の眸を細めつつ、ホルセムを見る。 「俺に……あなたがたの、形代になれと?」 「そのとおり。理解が早くて助かるよ、ケメト王」 「おまえを形代に、我らは冥府に干渉する。端的に言えば、アポォピスと戦うということだ」 「そのあいだに、君はトゥト神の化身をうまく取り戻し、地上へ連れ帰るんだ。もちろん危険だよ。失敗すれば、君の魂は、永遠に冥府(イメンドゥアト)の闇の中を彷徨(さまよ)うことになるかもしれない。でも、それ以外にいま、ケメト滅亡を避けうる手立てはない。――すべては、君にかかっている……ケメト王」  人を超越した存在の二対の眸にじっと見据えられ、ホルセムは息を呑んだ。  てのひらを握り込む。くちびるを引き結ぶ。  一度目を閉じ、大きく息を吸って、吐きだした。  そして、瞼を持ち上げる。  強い光を取り戻した鬱金(うこん)の眸で兄弟神を真っ直ぐに見返した。 「ふふ、いい目だね。――行こうか」  オサイリスが、ふ、と、微笑みながら言った。ホルセムは力強く頷いた。 「でも……あなたがたは、どうして……」  なぜ彼らがホルセムに力を貸してくれるのか、ふいに疑問が湧いた。 「愚問だな。王と共にケメトを護るのは、神々(われら)の務め」  セテスが鼻を鳴らすようにして言った。 「この国は、神と王とが共に治める。そうだろう? だから当然のことだ。――まあ、こうして直接手を貸すのは、例外中の例外なんだけれどね」  オサイリスが、くすん、と、肩をすくめた。  「君は、ラァの子だから」 「我らにとっては……弟のようなものだ」  大河と砂漠とを司る兄弟の神は、やわらかく目を細めて、静かに言った。

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