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第9話 高1_年度末試験

 年度末の期末試験が近づくにつれ、校内の空気は少しずつ変わっていった。  昼休みも廊下で騒ぐ生徒は減り、放課後には図書館や自習室へ向かう姿が目立つ。  橘も例外ではなかった。  図書館で数学の問題集を開き、黙々と式を書き進める。 (さすがに、今回はちゃんとやらないとな。)  そんな現実的な理由だった。      ◇  昼休みの終わり。  廊下を歩きながら、橘はさっき解いていた問題を見返していた。  ノートを片手に歩いていると、前方から誰かが歩いてくる。  九条だった。  互いに歩みを止めることはない。  そのまますれ違う。  すれ違いざま。 「そこ、違う。」  低い声だけが落ちた。  橘は思わず立ち止まる。 「え?」  ノートへ視線を落とす。  九条はもう数歩先を歩いていた。  振り返らない。  橘は言われた箇所を見る。 「あ……。」  一行だけ計算がずれている。  そこを直すと、答えがきれいにつながった。 「本当だ……。」  思わず小さく呟く。  九条はそのまま廊下の角を曲がり、姿を消した。      ◇  一部始終を見ていた生徒たちが、小さくざわつく。 「今の見た?」 「九条が教えた。」 「え、歩きながら?」 「しかも一瞬だったよな。」  別の生徒が首を傾げる。 「橘って、脚立の一年だろ。」 「ああ、あの。」 「九条が勉強教えるとかある?」 「見たことない。」 「普通、自分で解けって終わりじゃね?」 「だよな。」  一人がぽつりと呟く。 「橘って、特別なんじゃないか。」  その言葉に、周囲は笑おうとして――やめた。  否定できる材料もなかった。      ◇  その日の放課後。  橘は図書館で再び数学を開いていた。  昼間の式をもう一度解き直してみる。  やはり途中で詰まる。 (さっきは何で分かったんだろ。)  考えても答えは出ない。  その時、椅子が引かれる音がした。  向かいではなく、隣。  九条が静かに腰を下ろす。  本を一冊机に置く。  橘は少し迷ってから口を開いた。 「九条さん。」 「ああ。」 「昼のところなんだけど。」  九条は橘のノートへ目を向ける。 「まだ分からないか。」 「途中までは。」  九条はノートを自分の方へ少し寄せると、空いている余白へ数式を書いた。 「ここで整理する。」  たった一行。  それだけで、複雑だった式がすっと形を変えた。  橘は目を見開く。 「そういうことか……。」  思わず声が漏れる。 「理解したか。」 「はい。」  九条は頷くと、ペンを置いた。  それ以上は何も言わない。  橘も礼を言う。 「ありがとう。」 「ああ。」  また本を開く。  図書館にはページをめくる音だけが響いた。      ◇  少し離れた場所。  本を探しに来ていた二年生が、その様子を見て立ち止まる。 「……まただ。」 「また?」 「九条と一年。」  視線の先では、二人が並んで本を開いている。 「勉強教えてる。」 「え?」 「今年の一年、何者?」  声は小さい。  それでも十分だった。  その日のうちに、学校ではまた新しい噂が流れ始める。 『九条が一年生に勉強を教えているらしい。』  事実は、それだけだった。  けれど周囲は、その一文に勝手に意味を付け加えていくのだった。

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