29 / 31
第29話 高2_生徒会旅行
夜。
ホテルの廊下は静かだった。
本来なら、全員同室で雑魚寝の予定だった。
だが、その案は昼のうちに消えている。
理由は単純だった。
九条の「分けろ」の一言。
その言葉で、宿泊構成は強制的に個室分離へ変更された。
誰も異議は出さない。出す前に空気が止まっている。
薄々、全員が理解していた。
(あ、これ怒ってるやつだ)
ただし、その“怒り”の中身までは共有できていない。
◇
そして今。
橘の部屋。
照明は落ち、カーテンは半分だけ閉まっている。
副会長、会計、書記、そして橘がそこにいる。
本来なら起こりえない配置だった。
「……ここ、いいんですか?」
「いいかどうかで言えば多分ダメだ」
「でも来ちゃったんだよね。せっかくだし」
「九条いないし、少しくらいは……」
橘は少しだけ視線を落とす。
(九条いないと、こうなるんだ)
空気は軽い。けれど、どこか落ち着かない。
ふと笑い声が混じる。
「正直さ、橘くんも怖くない?」
「怖い……ですか?」
「九条のこと」
橘は少し考える。
静かで、正しくて、判断が早い人。
そして決まったことは変えない人。
「怖いというより……読めない、です」
「やっぱそうだよね」
「でも、それは危ないって意味じゃなくて。そういう人なんだと思ってます」
一瞬だけ沈黙が落ちる。
「俺らの怖さとは違うんだよね」
「うん。“何されるか分からない怖さ”って感じ」
橘は少し首を傾げる。
「何されるか、じゃなくて……決まってる感じです」
「決まってる怖さ、か」
◇
その時だった。
廊下の空気が変わる。
鍵の音。
「え」
ドアが開く。
九条。
一瞬で全員の動きが止まる。
(やばい)
(なんでここに)
(終わった)
室内を見渡す。
一人ずつ視線が落ちる。
そして最後に橘で止まる。
「何をしている」
「いや、その……少し話を」
「夜だ」
「はい……」
「部屋だ」
「はい……」
声は静かだった。
だが、静かすぎる。
橘が一歩前に出る。
「九条、皆で少し話してただけだよ」
視線が橘に移る。
一拍だけ止まる。
「ここは不要だ」
その言葉で空気が落ちる。
(あ、これ本気だ)
誰もが同時に理解する。
これは怒りではない。
もっと別のもの。
“逸脱の検知”と“修正”。
「解散しろ」
誰も逆らわない。
「すみません……」
「失礼しました……」
「申し訳ありません……」
一人ずつ部屋を出ていく。
廊下に消える背中は速い。
橘だけが残る。
ドアが閉まる。
沈黙。
「そんなにまずかった?」
九条はすぐに答えない。
視線だけが一度落ちる。
「“夜に”“複数で”“部屋”。ーーー許可していない」
「そういうルールがあるんだ」
「ああ」
「知らなかった」
「必要ないからだ」
そこで気付く。
(これはマナーじゃない。線だ)
「九条が嫌だから?」
一拍。
「嫌ではない。許可していないだけだ」
その言葉が一番冷たく見える。
感情ではなく、基準。
少し黙る。
「俺は……よく分からない」
「それでいい」
即答。
説明する意思はない。
一歩だけ近づく。
「お前はここにいればいい」
小さく頷く。
(ここ=許可された範囲)
その裏側で処理は終わっている。
それは感情ではない。
怒りでもない。
ただ橘を誰の近くにも置きはしない。
◇
翌日。
全員が理解する。
昨日の静けさは感情ではなかった。
誤った距離の強制修正。
それだけ。
そして同時に思う。
(怒られるより怖い)
ともだちにシェアしよう!

