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ユルは目をつむってじっと立ち続ける。足は疲れるが、それほど退屈はしない。鉄格子の向こうから、風に乗っていろんな音がするからだ。小鳥のさえずり。洗濯をするオメガたちの談笑。
外の気配を感じ取りながら、ユルは考え事もしていた。
「運命のつがい……」
──彼はどう思っているのだろう。運命のつがいという言葉を知っているのだろうか。
ハンカチに視線をやる。枕元に置きっぱなしで、手が届く位置ではなかった。ただの布切れなのに、触れられないと思うと妙にさみしさを持てあます。
自分がディミタルのことばかり考えていることに気付いて、頭を左右に振った。
「ヒートのせいで、調子狂っちゃうな」
たとえ彼が運命のつがいだとしても自分には関係がない。なぜなら、歌のない場所へ行くつもりなど毛頭ないのだから。
気を紛らわせようと鼻歌を歌う。
だがそれも、ディミタルが即興で引いていたメロディだった。
「ユル? そこにいるのか」
あまりにその人のことばかり意識しているから、立ったまま夢を見ているのかと思った。
聞こえるはずのない声を聞いて、鉄格子の小窓を見やる。その向こうには空が見えるだけだ。
「ディミタル様?」
「ああ、俺だ。ディミタルだ。洗濯してたキミの友達にこっそり案内してもらった」
「なぜここに?」
「父が契約書を交わすために慈愛院へ行くと聞いて、無理を言ってついてきたんだ」
マム院長から教えてもらったが、ディミタルはただの貴族ではなく、高位の公爵令息だった。先日慈愛院へ来ていた理由はディミタルの側室を選ぶためで、父親の独断によって一人のオメガが指名された。それはお披露目にいた十九歳のオメガで、ユルではない。
「私と会話をして、ディミタル様は叱られませんか?」
音楽室でディミタルは父親に叩かれていた。また同じようなことになるくらいなら、ユルはさみしくてもディミタルを追い返すつもりだった。
「いいんだ、そんなこと。俺は側室なんかいらないし、ユルといるほうがいい。また、ピアノのある部屋にいかないか?」
「しばらくこの部屋から出られないんです」
「閉じ込められてるのか? それは俺のせいか」
「違います。心配しないでください。──そうだ、ハンカチ返さないと」
迷いなく石灰を踏もうとするが、声に制止される。
「窓越しに投げるなんて野暮なのは嫌だぞ。顔を見せて直接渡してくれ」
「それは……むずかしいご希望です」
「ユル、キミとは一度会っただけなのに、あの日から魂の半分と生き別れたような心地なんだ。もう会えないかもしれないと思うと、さみしい」
「……私もです。ディミタル様」
壁に背中をつけ、両手を当てた。
向こう側ではディミタルも壁に触れている。
ざらつく厚く硬い感触越しに、互いの気配を確かめていた。
──今日は日差しが暑い。風になって窓の向こうへ吹き抜け、彼の頬を撫でてあげられたらいいのに。
余計な会話はいらない。相手がそこにいて、自分のことを想ってくれている──それだけで安らぎに包まれる。
静けさの対話が二人を繋げていた。
遠くからディミタルの父親の声がする。息子を探して、大声で名前を呼んでいた。
「……ここで見つかるとまたユルが怒られてしまいそうだな。もう行くよ」
「お元気で、ディミタル様」
無意識に今生の別れのような挨拶になる。間違ってはいない。側室はもう決まっていて、そのオメガが引き取られれば彼がここに来る理由はもう無いのだから。
「キミの歌が聴きたい。また会いにくる、約束だ」
ユルの暗い声色を察して、ディミタルははっきりとそう言った。
草を踏む足音が離れていく。
ユルはいつまでも耳を澄ませて、去りゆくディミタルの後ろ姿に思いを馳せる。
また会いにくる──その言葉は、お守りのようにユルの心に刻まれたのだった。
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