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6 誘拐【1】
ユルは十八歳の誕生日を迎えた。
オメガたちは誕生日──慈愛院に来た日から今日までを健やかに迎えられたことを祝い合う。しかし、今日に限ってはユルを祝いに来る者はいなかった。
地下室の出来事からユルは笑わなくなった。誰とも関わらず心を閉ざしている。
故に、突然変わってしまったユルの態度に誰もが戸惑い、はじめは声をかけていた者もやがて敬遠するようになっていた。
ユルは一人ぼっちで窓の外を眺める。そんな毎日を繰り返していた。
聖歌隊としての活動は続いているが、以前のような情熱は失われている。
それでも歌い手としてのユルの人気は強まっていた。幼い愛らしさが隠れ、憂いのある美人へと開花した姿に人々がいっそう惹きつけられているのだ。
ユルあての教会への寄付が増えたことで司祭は上機嫌だ。ユルに個室を与え、自由に過ごすことを良しとしている。
ユルをめぐる王太子と司祭の交渉はまだ続いていた。司祭が稼ぎ頭であることを理由にユルを出し渋り、寄付金の額を引き上げようとしているためだ。
契約書が交わされないうちは、北の棟に呼ばれない。
「今日も花束が送られてきてるぜ」
鍵のない扉を足で開けたイザンが、両手いっぱいの花束を運んできた。
イザンの行いをマム院長に報告していない。疲れ切ったユルは、厄介ごとを増やしたくなかった。
それをいいことに、イザンはマム院長に取り入ってユルの世話係のポジションを手に入れ、しつこく付きまとっている。
あくまで友好的に関係を結びたいのか、いつかのように力づくで襲ってくることはない。
「ありがとう」
花束に見向きもせず、イザンと目を合わせるもなく、ユルは背中を向けたまま簡潔に答えた。
「あいよ」
イザンは花束を一度も下ろすことなく、抱えたまま踵を返す。
彼が去れば部屋はまた静かになり、ユルは安らぎを得る。
「もう何も考えたくない……疲れるだけだもの」
しばらくすると、窓の向こうの景色に動きがあった。草木の向こうから煙が上がっている。焼却炉でイザンが花束を焼いているのだ。
王太子がユルを見初めたことは秘密にされているため、何も知らない貴族たちによるユルを引き取りたいという声が尽きることはない。
ほとんどの花束にはラブレターも差し込まれていたが、マム院長の命によりイザンがあらかじめ抜き取っている。
あの煙には届かなかった手紙たちの死も含まれていたが、ユルは知り得ない。
煙の臭いがそばまで届いて、ユルは窓を閉じて離れる。
ささやかな化粧台に座り、置きっぱなしの木製カップから水を飲んだ。
「ユル、いますか」
部屋の扉がノックされ、マム院長の声が聞こえた。
「はい、マム」
扉を開けたマム院長は、部屋に入ることなく淡々と告げた。
「必要な荷物だけまとめなさい。今から北の棟へ案内します」
ユルはどくんと心臓が跳ねるのを感じて目を見開く。まな板に上がる魚の気持ちが今わかった。
──ついに、このときが来た。
まだ一度も王太子とは顔を合わせていない。話し合いや交流の場も設けられず身請けの契約書が交わされるのは滅多にないことだ。なぜなら「実物に喋ってみたらオメガがイメージと違う」なんてことがあるからだ。それで揉めては元も子もないため、司祭も場を設けようとはしたはず。
それでなおの即決ならば、相手方がよほどの意思であることだけがわかる。
すぐに動かないユルを見て、マム院長は厳しく言う。
「また地下へ行きたいのですか?」
「いいえ……すぐに準備します」
荷物など大してない。ベッド下に置いていた小箱を引き出し、蓋を開けた。──この箱はしばらく開けていない。中には多くの楽譜と、一枚のハンカチがしまわれている。今のユルには意味のないもので、しかし捨てられないかつての宝物たちだ。
「…………」
箱ごと持っていこうかと思いもしたが、ハンカチだけ手に取ってエプロンワンピースのポケットに突っ込んだ。
──もう、返すタイミングもないだろうから……置いていけばいいのに。
そう思いながらも、ポケットの中でそれをぎゅうと握って離せない。
ポケットに手を入れて荷物を持たずに部屋から出てきたユルを見ても、マム院長は何も言わなかった。
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