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6 【2】

 廊下を移動しながら、マム院長から今日の予定を伝えられる。北の棟の寝床を整え、医務室で健康診断を受けて、昼食、勉強、自由時間。 「殿下はご多忙ですから、使いの者が来ています。あなたに会うつもりだったようですが、主人になる殿下以外は面会不可と伝えてあります。ですから、今日は北の棟から出ないように」  北の棟はひと気がなくて静かだ。足音がよく響く。  二階の寝室に着くと、マム院長とは扉の前で別れた。  ユルは一人で部屋に入る。 「ベッドメイクが終わったら、一階の医務室か」  黙々とやるべきことをこなす。時間をかけようがかけまいが、未来は変わらないのだから。  貴族に引き取られることが決まったオメガは、迎えが来る日まで北の棟で過ごす。聖歌隊などの活動からは外れ、健康状態を調べたり、オメガとしての機能に問題がないか診察したり、貴族の勉強をするのだ。  一階に向かい、医務室に近づくと医師とマム院長の会話が聞こえてきた。 「──ミリウッド家のお家騒ぎが……」  一年ぶりに聞く姓に思わず息を潜めた。扉越しに聞き耳を立てる。 「ハレムを維持するために大層な税金をとっていただろう。それが今や──」  中庭で遊ぶオメガの子供たちの笑い声が音をかき消してしまった。一部聞き取れなかったが、内容はおおむね理解できる。 「ディミタル卿がお父上を蟄居させてから、ずいぶん楽になった。爵位の継承はまだでも、事実上の……。それがなぜ……」 「あなたが気にすることではありません」  マム院長がぴしゃりと話を終わらせたかと思うと、医務室の内側から扉を開けた。足音でとうにユルがいることに気付いていたのだ。  じとりとした目で睨まれ、屈んで聞き耳を立てていたユルは気まずそうに姿勢を正す。  マム院長と入れ違いに医務室へ入る。  老年の医師と二人きりになり、服を脱ぐように言われた。  素直に従い、着衣をカゴの中へ入れていけば貞操帯だけの姿になる。 「座って」  診察台の縁に腰掛けると、聴診器を胸に当てられた。  ユルはじっとする。  されるがまま、任せておけばいいと思っていた。──ほんのさっきまでは。 「心臓の鼓動が早いね。緊張しているのかな」 「少しだけ……」  手元がさみしい。視線はカゴの中の服──ポケットにあるものへと向かう。  すべてに無関心になり、出荷されるのを待つだけの日々だった。  ただ、いつも頭にはディミタルのことがあった。  彼のことを考えると、出会った日のことを思い出すと、世界に色が戻ってくる。そしてたまらなく切なくなる。なのに、忘れることができない。  ──ディミタル様に会いたい。あの人のピアノの音が聴きたい。  秘めていた自分の願いに気付いて、涙がぽろぽろとこぼれた。 「口を開けて」  医師は動じず検診を続ける。北の棟に来たオメガが情緒不安定になることなど日常茶飯事だった。 「横になりなさい」  医師が白衣のポケットから鍵を取り出した。マム院長が持っているものと同じ、貞操帯の鍵だ。  貞操帯が外れ、生まれたままの姿になったユルはほんの少し恥じ入って頬を赤らめる。つつましく閉じた脚をしわしわの老人の手がこじ開ける。 「っ……」  股を覗き込まれ、未通かどうか確認される。慈愛院から旅立ったすべてのオメガが受けた処置である。  自分も耐えるしかない。ユルはギュッと目をつむって時間が過ぎるのを待った。  どうせ馬車から降りればその日のうちに身体を暴かれるのだ。このくらいで恥じらっていては気がもたない。  忍耐を自分に言い聞かせるほど、ユルの涙は止まらなくなる。  今一番考えたくない人のことが、頭から離れない。 「ふむ、綺麗な身体だね」  事務的に仕事を済ませた医師は顔を上げ、ユルの顔を見る。オメガを見慣れている彼も、美しいユルが声を殺して泣く姿には胸にくるものを感じ、哀れみの表情を作る。同時に、邪な心にも刺激を受けるのだった。 「そう泣くでない。悪いことばかりではないのだから。一足先に楽しみを教えてあげようか……」  身体に伸びてくる手が、見知らぬアルファの手に見えた。  ユルはとっさにその手首を掴み、制止する。  ──無理でも、ありえなくても、私が仕えるのはディミタル様がいい。あの人の笑顔のためなら、私はオメガでいい。オメガで良かったときっと思える。だから、だから……! 「っ、ごめんなさい、ごめんなさいっ!」  力いっぱい突き飛ばすと、医師は尻もちをついてひっくり返った。  ユルは診察台から飛び降り、カゴの服を掴む。  ──他のアルファにお仕えするなんて嫌だ!  ブラウスを羽織り、ボタンを止めるのも惜しんで医務室から飛び出す。  エプロンワンピースを腕に持ち、裸足で廊下を走った。  角を曲がると、軽食の乗ったトレーを持つマム院長と鉢合わせてしまう。  マム院長は、決意したようなユルの目を見て怒りで顔色を変える。トレーを落とし、廊下にがちゃんと騒音が響いた。 「いけません。戻りなさい」  外に繋がる道を塞ぐようにマム院長が立っている。  ユルは迷わず廊下の反対側に逃げて窓から飛び出した。  追いかけ、窓枠を乗り越えるのに苦労しているマム院長が叫ぶ。 「この……恩知らず! 街のオメガがどう生きていくのかあなたは知らない。傷付いた後ではここに戻れないのですよ!」  ──それでもいい。自分が誰かのものになってしまうくらいなら。  本棟の玄関に向かうため、中庭を抜けようとする。後ろばかりを気にしていたら植木を整えていたイザンにぶつかった。 「ユル、おまえ……」  半裸の姿を見て目を丸くしたイザンは、ユルが追い詰められていることを察してニヤリと笑った。

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