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 階段を降りた先は客引きを兼ねた酒場だ。カウンターとテーブル、そして小さなステージがある。ステージの上では小綺麗な歌手が竪琴(リラ)弾きと組んでしっとりと歌っているところだった。  ユルは思わず立ち止まってステージに聴き入る。それは初めて聴く大衆向けの艶歌だった。  聖歌のような遠くまで声を届ける歌い方ではなく、一人のために囁いて歌っている。歌詞は人から人に向ける情に満ちたもので、愛や平和を讃美したりしない。扇情的で品がない印象を受けるが、傷付いた心を慰めるような暖かさも感じた。  それが『自分のものにならない相手に焦がれる歌』だと気付けば妙に共感してしまって、涙腺がまた緩みそうになる。  演奏が終わっても、ユルは頭の中で歌を何度も反芻していた。歌詞の向こうに想い人の姿を探そうとしてしまう。  音はないまま、自然と唇が動く。  ユルの隣では、イザンと店の男が親しげな会話をしている。 「こいつは俺のオメガだから、丁寧に扱ってやってくれよな」 「はいはい、いつものね」 「今回は違うんだって。──ユル、聞いてるか?」  イザンに肩を掴まれて、驚いて身体をこわばらせた。  視線をステージからイザンに戻し、手から逃げるように一歩後ずさる。  店の男が値踏みするようにユルをじっと見つめていた。歳はマムと同じくらいだろうか。ベリーショートの白髪に、両耳には大ぶりのピアス。露出の高い衣装を着ている。舞台役者かと思うような色気のある男だ。 「体も小さいし、頭の弱そうなオメガだこと。本当に働けるの?」 「まあそう言うな。──ユル、こいつはハツ。この酒場兼宿屋である『ウィアークテ』のオーナーで、おまえの面倒を見てもいいと言ってくれてる」 「よろしく」  ハツに握手を求められ、ユルは応えあぐねる。ここで世話になるつもりなどない。  ユルがずっと黙っていると、ハツは諦めて手を下ろした。 「イザンから聞いているよ。男娼として客をとるなら一部屋貸して、住まわせてやってもいい」 「一番目の客は俺だからな。まあ、客をとるのが嫌なら俺の女房になるという選択肢もあるぞ」  自分の預かり知らぬところで話が進んでいる。どう転んでもイザンにとって良いように仕組まれているのは明らかだった。  どちらも断れないくらい、気の小さな子供だと思っているのか──ユルはわずかに怒りを抱き、抗議しようとした。  そのとき。 「やってらんないよ!」  ステージから怒声が聞こえた。振り返ると、さきほどまで歌っていた男が客席を睨んで叫んでいる。 「誰もあたしの歌を聞いちゃいない。どいつもこいつもオメガしか頭にないんならここでストリップでもやらせな!」 「そりゃいいな。へたくそなおまえの歌を聞かなくて済むし!」 「ちげぇねえ! チップが少ねえのはてめえのせいだろ、年増!」  客はげらげらと笑いながら心無い言葉を歌手に浴びせる。客の隣では店のオメガが見て見ぬふりで酒を注いで接待していた。  孤立した歌手は自分の髪──カツラを掴むと、乱暴に剥ぎ取ってステージに叩きつけた。 「こんな店で二度と歌うか!」  歌手は捨て台詞を吐くと、ステージを降りて店から出て行ってしまった。  取り残されたリラ弾きは顔を青くして固まっている。  客席は盛り上がったまま、悪びれもせずに歌手の悪口を続けていた。  ぱん! ハツが手を打って客の視線を集める。 「皆さん、お騒がせして申し訳ない。一杯ご馳走しますよ。気を取り直して、どうぞゆっくりなさってくださいな」  静かな雰囲気を取り戻そうとしたのだろうが、収拾はつきそうにない。 「あいつの言った通り、ストリップをやらせろ」 「そうだそうだ。いまさら上品な店ぶるなよ」 「オメガども、脱いで踊れ!」 「一番愉快に踊ったやつを二階に上げてやるよ!」  調子づいた酔客たちの態度が不穏になっていく。  ハツが面倒くさそうに眉をひそめ、イザンにアイコンタクトをとった。イザンは店の用心棒も兼ねているのだ。  ユルはずっと、ステージを見つめていた。スポットライトが当たる一人分の空席がそこにある。心がそこへ吸い寄せられていた。 「ハツさん、私に歌わせてください」  客席に向かおうとしたイザンが立ち止まり、口をあんぐりと開けてユルを振り返った。  ハツも予想していなかった小鳥の自己主張に片眉を上げている。 「あんたにそんな度胸があるのかい。……おもしろそうだ。やってみな」  くすくすと笑うハツの横で、イザンはあからさまに嫌そうな顔をしていた。 「よせよ、こいつは聖歌しか知らないガキだぞ」 「いつからあんたがこの店のオーナーになった? 決めるのは私だ」  一蹴されてイザンは舌打ちする。不服そうに腕を組み、ユルへ「さっさと行け」と顎でステージを指した。

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