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 ユルはおそるおそる客席の横を通り抜け、ステージに上がった。  ユルの登場に戸惑っているリラ弾きに話しかける。 「さっきと同じ曲を弾いてくれませんか?」 「構わないが……」  演奏が始まると、騒がしかった客たちが静かになってステージを見上げた。場末の酒場には似つかわしくない、肌つやの良い美しい男を物珍しがる目だ。  注目を一身に浴びたまま、序奏が終わる。だが、ユルは歌い始めない。  リラ弾きは歌唱パートの異常を察知して冷や汗をかくが、一度始めた演奏を止めるわけにもいかず黙って指を動かした。 「おい、なんのつもりだ?」  客もユルの棒立ちをいぶかしみ、ざわつきつつある。 「ほら、あいつにゃ無理だ。聖歌しか知らないんだから」  イザンがふんと鼻を鳴らした。このままユルが恥をかき、ウィアークテにはいられないと泣きついてこればいいと思っている。  ──曲がとあるところへさしかかったとき、ユルは顔を上げ、大きく息を吸った。  心を震わせる透明な歌声が客席を覆い。全員の意識を一斉にさらう。  黙っていたのは、歌を途中から聴いたために頭の部分を知らなかったからだ。ただそれだけ。緊張していたわけでも、怖気付いていたわけでもない。  聴いたところからなら歌える。  立ち去った歌手の発声を器用に真似た、無垢な風貌からは想像もできない情感のある歌い方で、想い人の側に行けない切なさを吐露していく。  この歌を聴いたときから、長らく忘れていた歌うことへの欲求が湧き上がっていた。聖歌では消化できない感情が、この歌でなら吐き出せるような気がして。その予感は正しかった。  ユルは夢中で歌う。ただ一人のことを考えながら。  やじを飛ばしていた客たちもとんと黙って、ステージに釘付けになっている。イザンも、ハツも。  あのオメガの歌の先にいるのが自分であったならと、あれほど求められたならどんなに満ち足りるだろうと魅入る。  歌が終わると、その場にいる人間全員がユルを好きになっていた。  余韻と沈黙が続いた後、ハツの拍手が客席を起こし、口笛と喝采が始まった。  客席に来るよう求める声と共にステージへチップが投げ込まれ、ユルの足元には硬貨の絨毯ができていく。  歌いたかっただけで稼ぐつもりはなかったが、ユルは足元のチップを見てひらめいた。  ステージを飛び降り、ハツのもとへ駆け寄る。真っ直ぐに相手を見据えて言った。 「男娼にはなりません。ここで歌手として雇ってください。雑用としてもできることはなんでもします」  隣でイザンが呆れた声を上げる。 「はぁ!?」  ハツは既にその選択肢を値踏みしていたのか、うんうんと好意的に頷いていた。 「初物オメガの歌姫か。儲かりそうだ」 「おい、ハツ。こいつは」 「イザン、残念だけどこの子はもうウチの従業員だ。口出しは無用だよ」 「……チッ、勝手にしろ!」  思い通りにならない怒りで顔を真っ赤にしたイザンは、そばの椅子を蹴って店から出て行った。 「あいつはね、ここに紹介したオメガの売り上げの二割を受け取ってるんだ。大事な収入源だから私には強く出られないのさ」  ハツが片手をユルに差し出した。 「しばらくは試用期間だよ。構わないね、ユル」 「はい。よろしくお願いします」  ユルも手を差し出し、握手を交わす。

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