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 物置部屋に戻り、転がっていた空き瓶に硬貨を流し込んだ。  これらの合計がいくらで、どんな服が買える程度の額なのかわからない。誰かに聞くしかなさそうだ。  瓶を持って物置を出たものの、二階の部屋はどれからも営みの音が聞こえてとてもノックできない。  今の格好のまま再び一階に降りるのもはばかられる。  廊下で呆然と立っていると、並ぶ扉のうち一つが開いた。 「あれ? 新人?」  ウィアークテで働く男娼だ。休息を終え、客を取るために一階へ行こうとしていた。 「すみませんっ。服を買いたいんですが、これで買えますか?」  ユルは瓶を見せる。  男娼はじっと瓶の中身を見て、吹き出して笑った。 「あははっ、そんなお小遣いで買えるわけないよ」  ぱたんと扉が閉まる。男娼が部屋に戻ったからだ。  あからさまに馬鹿にされたことがショックで動けないでいると、扉がまた開いて男娼が顔を出した。 「これあげる」  はいと手渡されたのは、着古されたブラウスとズボンだった。 「……いいんですか?」 「僕もここに来たとき、人からもらったし」 「あ……ありがとうございます!」  頭を下げて礼を伝える。  ふと見ると、男娼の肩越しに見える部屋の中は散らかっていた。洗濯カゴは服やタオルがこんもり。  ユルは、汚い部屋を見るのが初めてだった。感心にも似た感情でじっと見つめてしまう。  男娼は視線を遮るように立った。 「なに。ほっといてよ。水仕事すると手が荒れて支障があんの。僕たちは若さと美しさが武器だから」 「……服のお礼に、掃除と洗濯、やらせてください」 「えっ、いいの?」  扉が大きく開き、ユルは部屋に招かれた。  そうして、ユルはウィアークテの暮らしのコツを掴んだ。他の男娼の部屋も似たり寄ったりな惨状だったからだ。  朝方から昼過ぎまでの男娼が睡眠をとる間に掃除洗濯をして、引き換えに日用品や服のお下がりをもらう。  夕方はステージに立ってチップを貯めて抑制薬の購入に当て、リラが休憩しているときは酒場の手伝いをして食料を分けてもらった。  一階で動き回っていると男娼と間違われて客に捕まったりするが、断りきれないときはイザンが守ってくれる。  イザンはユルを諦めていなかったが、ハツの目を恐れて必要以上に関わってこない。  立て付けの悪い窓が風でガタガタと揺れる。一階の窓にはカーテンがなく、ガラスの向こうには木枯らしの吹く寂れた街角が見えた。  開店前の店内をユルは雑巾掛けしている。 「……本来なら、今ごろ私は殿下の側室だったのかな」  あのとき逃げ出したりしなければ、今ごろ贅沢に暮らせていたかもしれない。  けれどそこではユルの意思は求められない。当時のまま歌にも何にも心が動かず、死んだように生きていくことになっただろう。  ウィアークテに来たユルの手はあっという間に荒れ、睡眠も栄養も足りない。ずっと疲労が付きまとっていた。  けれど不思議とつらいとは思わない。むしろ、自分の力で生きている充足感を得ている。  なにより、恋の歌がユルの心を奮い立たせ、癒してくれた。  ボイスから教わった歌はどれも、傷付いた人間のために作られた歌だ。それを口ずさむとたまらなく寂しくなるが、それでも前向きな気持ちになれる。  生まれてきた人間は、生きていくしかない。どんな運命の中でも、心の支えになる人と出会えたなら、その人の幸せを祈れるなら、それ以上の幸福はない──ユルは今夜もそんな歌をうたう。 「これで良かった。私は……私でいられる」  ウィアークテにいる男娼たちも似たような事情を抱えていて、ユルの歌に慰められているようだった。  朝方にひっそりと男娼の部屋へ呼ばれることもある。子守唄を歌ってほしいと。  同じ傷を負ったオメガたちに必要とされることは、ユルがここで生きる意義にもなっていた。  時刻を告げる大聖堂の鐘の音が聞こえる。ウィアークテは風向きの関係で鐘の音がはっきり届く。  ユルは床を拭く手を止め、窓の向こうの空を見上げた。  ──この空が続くどこかで、ディミタル様も同じ音を聞いているのだろうか。

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