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8 鳥たちは静かに眠る

 夏も暮れ、ユルは二十歳になった。 「出番だよ!」 「はい」  ハツに呼ばれ、ユルはステージに上がる。  ユルはウィアークテの看板歌手になっていた。  服や化粧品を客から貰うようになり、姿もだいぶ変わった。大人びたコルセットドレスに身を包み、腰まで伸びた髪を巻いて、暗い店内でも映える紅を唇に塗っている。  周囲からは歌姫(シレーヌ)ともてはやされるようになり、ユルと呼ばれることはめっきり減った。 「シレーヌ、今日こそ俺と二階に上がってくれ!」 「シレーヌー! 俺のほうが金出すぞ!」 「あなたのオメガは隣にいるでしょう。私は誰のオメガにもならないよ。ごめんね」  連日の通い客も微笑みでいなす。  ユルが客慣れしたことで助けに入る回数が減り、守護者顔をしていたイザンは欲求不満そうに店の端でステージを睨んでいる。これもお決まりの風景になっていた。  ステージを終えて物置部屋に戻る。有名になってもウィアークテでの扱いが変わることはなかった。客を取らない限りいつまでも下っ端だ。  ベッド代わりのソファに寝そべった。ソファは元々部屋にあったものだ。あちこちが破れていて危ないため、貰い物の古着を縫い合わせてシーツを作って被せてある。寝心地は見た目ほど悪くない。  いまからは男娼たちが客を二階に上げてもてなす夜の時間だ。ユルにとっての睡眠時間で、これが終わったら男娼の部屋を掃除して回る。  薄い壁の向こうから営みの物音が聞こえるのにも慣れた。  すぐそばでオメガが誰かとまぐわっている。時にはヒートを起こしながら。  安宿の造りなどたかが知れているため、フェロモンが漏れ出して周囲の部屋がつられて発情してしまうこともある。  そんな場所で二年近く生活しながら、ユルは不思議とそうならなかった。  ──私はオメガとして壊れてしまったのかもしれない……。  地下牢で激しいヒートを起こしながらも身体を鎮めなかったことなど、心身に負担をかけた心当たりはある。  抑制薬が効いているからだと思いたいが、抑制薬を飲んでいるのは周りのオメガも同じなのだ。自分だけがみんなと違うのはおかしい。  ユルは、自分が不能になってしまった不安を密かに抱えながら生活しているのだった。 「ユル、いるー? あ、いまはシレーヌか」  扉越しに声が聞こえて、返事をした。  部屋に入ってきたのはポポーだった。ユルがウィアークテに来た日に服をくれた男娼だ。 「眠れないんだ。話し相手になってくれる?」 「いいよ、おいで」  ユルは起き上がってベッドの縁に座った。隣のスペースにポポーを招く。  横並びになったポポーは甘えるようにユルの膝へ寝そべった。ユルはその頭を撫でてやる。  ポポーはそばの化粧台に置かれた新聞に気付き、ユルを見上げる。 「また客から新聞もらって読んでるの?」 「だって、私の楽しみなんだもの」  場末の酒場にはいろんな噂が飛び交う。ディミタルは今年で二十二歳。父親が病死して爵位を継ぎ、領地のためにさまざま活躍しているという。  ユルが噂話に興味を示すと、ディミタルの活躍を知るには新聞を読むのが良いと教えてもらった。それからは、客の差し入れにねだるものが甘いチョコレートではなく新聞になった。  隙間時間に蝋燭の灯りで読むのが日課になっている。 「シレーヌって難しい字も読めるよね。ま、僕も読めるけど」 「ふふ」  慈愛院で教育を受けたユルは、字が読めない平民のほうが多いことを街に出てから知った。  ポポーは商人の家で生まれたため教育を受けており、ウィアークテでは色々と頼られる存在だったようだ。後から来て能力を発揮するユルに嫉妬半分、親しみ半分といった感情を向けている。  ユルからすると、負けず嫌いで背伸びしたがりな性格はカサエラを思い出させて親しみが湧く。 「読めても、理解できないことのほうが多いよ。ポポーにいつも聞いてるでしょ」 「なんでも聞きなさい。えっへん」  ユルに施された教育は貴族の機嫌を取る方法のひとつとしての偏った教育でしかなく、商人として生きるための実用的な教育を受けたポポーとは知識の量が違う。  新聞を読み、ポポーに解説してもらってやっと、ディミタルの父親──前公爵の悪政によって街が貧困にさらされていたこと、ここ数年でディミタルがどれほど改革に心を砕いていたかを理解できた。  もっと理解したくて、たまの休日は図書館に通うようになった。綿が水を吸うように歴史を学び、紐付く学問の扉を叩く楽しさを知った。 「でも最近は、キミのほうがいろいろ詳しいよ」 「そうかな?」 「僕は新しいことを学ぶ気ないしね。もう覚えたって、使う機会は無いんだから」  寝返りをうち、ポポーは目を閉じた。  彼は裕福な家に生まれ、愛されて育てられた。たが、いまは身寄りのないオメガとして身体を売っている。  家族の反対を押し切って恋人と駆け落ちしたものの、貧しい暮らしで抑制薬を買えなかったがためにヒートで他の男と間違いを起こしてしまい、捨てられた。途方に暮れていたところにイザンと出会い、ウィアークテを紹介されたのだ。 「それに、イザンは賢いオメガは嫌いなんだ」 「じゃあ、もっと勉強しようかな」 「あはっ、キミはそうだよね! でもあんまり目をつけられると、抑制薬を安く売ってくれなくなっちゃうよ」  イザンはウィアークテに入れたオメガの稼ぎの二割を懐に入れ、さらには抑制薬を売って生計を立てている。抑制薬の製造元と深く繋がっているのだ。  慈愛院でマムの小間使いをしていたのも、抑制薬の取引がきっかけだった。  ポポーもユルも、ウィアークテのほとんどのオメガはイザンから抑制薬を買っている。 「そーいえば、新聞にはいいこと書いてあった?」 「ディミタル様は元気そう。最近は抑制薬の価格を下げるために動いてるみたい」 「そうなんだ。ありがたいね」  ポポーが切なげに微笑む。オメガが日常的に必要なものでありながら高価である抑制薬が初めから安ければ、彼はウィアークテに流れ着くこともなかった。 「ユル……シレーヌは、本当にその人のことが大好きなんだね」 「どうしたの、急に」  ユルはポポーにだけ、断片的にディミタルとの関係を話している。運命のつがいであることは伏せて、昔の初恋で、憧れの相手だと。 「……もし、もしも、運命の人がキミを迎えに来るようなことがあったら、僕の部屋の抑制薬、ぜんぶ持っていっていいからね」  ユルは驚いて目を見開く。ポポーなりの、自分と同じ失敗はするなという切実な祈りを感じたからだ。 「や、相手は公爵閣下だもん。そんな心配いらないか」  へらりと笑う友達を、ユルはぎゅっと抱きしめた。 「ありがとう。私はポポーのことも大好きだよ」 「僕もユルのこと大好き。ずっと一緒にいたいけど、キミはここに向いてないもの。だからいつかは、冬を超えて飛び立ってね」 「いまは夏だよ?」 「そうじゃなくて。『幸福とは、冬を耐えた鳥の羽音である』っていう言葉があるの」 「私がいなくなっても、ポポーは喜んでくれる?」 「鳥自身も、羽音を聞く者も、春の訪れを感じて嬉しくなるから幸福なんだ」  ユルは曖昧に微笑む。  夏はそろそろ秋になり、訪れる冬もやがては過ぎ去るだろう。時間は勝手に過ぎていくものだ。  けれど、鳥が飛び立つとは限らない。ユルは渡り鳥ではなく、籠の鳥なのだから。

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