24 / 29
9 黒い計画
「金を貯めたらどこかに行ってしまうよ。抑制薬をもっと高く買わせたらどうなんだい」
一階の奥、事務所でハツとイザンが喋っている。
ユルが歌うようになってから、酒の売り上げが上がっていた。男娼の稼ぎほどではないが、いまでは大切な稼ぎ手だ。
ハツはユルがウィアークテから出ていかない方法を日々画策しているのだった。
「ユルは逃げないさ」
「なぜそう思うんだい。まさか、あんな綺麗で賢い子が本気であんたなんかの女房になるとでも?」
「おい、なんだよその言い方は」
「あの子はね、ほとんどの人間が手放したものをいつまでも大事に守り続けている。だから誰もが好きになっちまうんだ。無垢で純粋な子。誰かの手垢が着こうもんなら価値がなくなっちまうよ。あんただって一度抱いたら魅力が失せて飽きるだろうさ」
「いままでのオメガみたいにか」
「よくわかってんじゃない」
「あいつは特別だ」
「珍しく食い下がるね。そうまでこだわるわりに、乱暴に抱かないなんてらしくないんじゃない? 私の顔を立ててくれているにしてもさ」
イザンは組んでいた腕を腰に当て、面白い話でもするかのように打ち明ける。
「あいつは公爵のオメガだ」
「なんだって!?」
「身請けの手紙を燃やして捨てたから、ユルは初恋の相手である公爵と両想いだと知らないんだ。失恋したと思ってるところを連れ出した」
美しい人間の不幸が好物であるイザンはけらけらと笑うが、ハツの表情はみるみる険しくなる。
「貴族のオメガを略奪するなんて正気? だからあんな噂が出回ってるのね。公爵がどんな縁談も蹴って一人のオメガを探し回ってるっていう。あの子のことじゃないの。よくもそんな面倒事にウチを巻き込んでくれたね」
「怒るなよ、稼がせてやってるだろ。それに、ユルは俺と駆け落ちした噂が広まっていることを恥じて、公爵に会わせる顔がないと思ってる。しかも通り名もシレーヌだ。見つかる可能性なんざほとんどないさ」
「ならいいけどねぇ……」
「それに、計画がある。抑制薬のシノギに口出ししてきてるからな、あいつに消えてもらいてぇヤツはいっぱいいるんだぜ」
■
酒場の客がハツに用があるらしく、呼んでくるように頼まれた。ユルはカーテンをくぐってバックヤードに入り、ハツの事務所へ歩いていく。
事務所の扉をノックしようとしたとき、会話が聞こえた。
『──それに、計画がある。抑制薬のシノギに口出ししてきてるからな……』
扉の向こうにイザンもいると気付いて、ユルはとっさに気配を殺して聞き耳を立てた。
その話がディミタルに繋がることだと感じ取ったからだ。
『オメガの抑制薬を流してる大元が黒い集まりだって薄々わかってはいたけど、あんた……ただの末端じゃないんだね』
会話の相手はハツだ。
イザンとハツが、秘密の会話をしている。
ユルはドキドキと跳ねる心臓を押さえるように胸に手を当て、声を出さないよう唇を引き結んだ。
『オメガの暮らしが良くなると困る。おまえだってそうだろ。だから俺がみんなのために一役買ってやろうってだけさ。不幸な事故のひとつでも起きれば、公爵サマもおとなしくなるだろうよ』
──イザンは、ディミタル様に危害を加えるつもりなのか?
汗ばむ手を握る。
『あいつが消えた後は好きにさせてもらうぞ』
『好きにしなさいよ。私は関わりたくない』
がたん。誰かが椅子から立ち上がる音がした。気配が扉に近づいてくる。
慌てて足跡を消して来た道を戻った。
そして、今度は足音を大きくして事務所へ向かって歩く。
扉が開いてハツが現れる。
ユルはいま来たばかりのような顔で声をかけた。
「ハツさん、お客さんが呼んでますよ」
平静を装いながらも、心臓はまだバクバク暴れている。
ハツの肩越しにイザンと目が合って、すぐに顔を伏せた。
──バレてない。盗み聞きしたことはきっと。
詳細を聞けなかったことが心残りでならない。今後、イザンの様子には注意しなければならないだろう。
何かを知ったところで、ディミタルへ伝える方法は無いけれど。
ともだちにシェアしよう!

