31 / 48
13 【2】
そのころ、ユルはウィアークテを抜け出してイザンが住むアパートまでやって来ていた。以前に尾行して突き止めたのだ。
イザンのアパートは柄の悪い人間が出入りし、後ろ暗い話をするための拠点になっている。
「街の人って、こういうところで暮らしてるんだ……」
窓から狭くてごちゃついた部屋を覗き込む。カーテンどころか窓そのものが半開きだった。
秋になってもまだ蒸し暑いため、窓を開けている家が多い。イザンもそうだ。彼の家に泥棒に入る命知らずはいないと思っている。
部屋が無人であることを確かめて忍び込む。
月に数回、イザンはウィアークテでオメガと二階に上がり、夜通し飲む。今日がその日だった。
机の上は乱雑としていて、触れば雪崩が起きそうだった。
イザン宛の手紙や、おそらく仕事の帳簿まで置きっぱなしだ。ユルとしてはありがたいが、無防備さに驚いてしまう。
「ミリウッド?」
机の古い紙束のうち、一枚が目に止まった。ディミタルの名字であるミリウッドの文字があったからだ。
そっと手にとって読む。どうやら手紙のようだった。
「これ……ディミタル様じゃない。ディミタルのお父様のことだ」
ディミタルの父はイザンが届けた裏金を受け取り、相場が下がらないよう抑制薬の開発や流通を制限することを約束したと書いてある。かなり前の日付だ。
「ディミタル様はこれを知ってお父様を蟄居させたのだろうか……」
そのとき、玄関のほうから人の話し声がした。合鍵で扉を開けようとする気配がある。
「!」
ユルは慌ててクローゼットに隠れた。
「ったく、俺ばっかり働いてないか?」
「仕方ねぇよ。下っ端なんだから。で、ブツはどこだ?」
男が二人、入ってくる。イザンの手下と、イザンの息がかかった薬師だ。
真っ直ぐにキッチンへ向かって会話している。
そう広くないため、声ははっきり聞こえてきた。
「おい、こんなとこに置いてるのか」
「口に入れるものはキッチンに置いといたほうがいいかなって」
「そのオツムだからいつまでも下っ端なんだよ、おまえ」
「うるせーうるせー。これを渡したら何日くらいで薬はできるんだ?」
「そう急ぐな、同じ見た目の同じ味にするのは大変なんだから」
「俺は公爵のハレムに完成品を届けないといけないんだ。もたもたしてるとイザンにどやされる。頼むぜ」
彼らの会話はまさに知りたかったことだ。
ユルは息を潜め、じっと耳を傾ける。
「これが毒になるとはなぁ」
「触るな、手がかぶれる。──それにしても、大それた計画だわな。ディミタルが依頼した薬師の試薬……新しい抑制薬とすり替えるんだろ? バレないか?」
「俺がどれだけ長い間、配達人として公爵家に通ってると思ってんだ。しっかり信頼を得てるぜ」
「初めはハレムのオメガに配るんだろ? 仲間とはいえ、イザンの残酷さにゃ震えるね。ひどく苦しんで、醜く死ぬ毒にしてくれなんて」
「インパクトが大事なんだ。尊い犠牲ってやつだよ。公爵が作らせた抑制薬にひでぇ毒性があると噂が広がれば、現行の抑制薬は安泰だ」
「まぁ、俺は金が入ればそれでいい。また連絡する。これも駄賃にもらっていくぞ」
「俺の酒!」
ユルはどっと冷や汗をかく。
イザンの計画とはこれのことだ。
ディミタルは安価で買える抑制薬を増産する予定だが、イザンは毒入りとすり替えて悪評を広めるつもりなのだ。
彼らが受け渡しているのは、新しい抑制薬のサンプルと材料、そこに追加する毒だ。
完成した薬はまず公爵家のオメガに配られるという。そこには慈愛院時代の友、カサエラもいる。
──ディミタル様の立場だけじゃない。カサエラの命も危ない!
ユルは慌てる気持ちを抑えながら静かにクローゼットから出た。キッチンからは見えないことを確認して、窓から外へ出る。
ウィアークテに戻って裏口から入り、酒場でポポーを探す。二階に上がっていなければ一階で客の相手をしているはずだ。
「どこに行ってたんだ」
「イザン……」
よりにもよって、イザンと鉢合わせてしまった。二階に上がらず、オメガをはべらせて酒を飲んでいたようだ。
ユルはとっさに嘘をつく。
「あなたを探していた。抑制薬が欲しくて」
「この前くれてやっただろ」
「他のオメガのヒートに当たりそうになったから、多く飲んだの」
いつものようにねっとりと見つめられ、居心地が悪くて顔を伏せる。
イザンは懐から抑制薬を一包取り出した。一つの包みには数回分の薬が入っている。
ユルが受け取ろうとすると、イザンはその手を掴んで引き寄せた。ユルの耳元へ囁く。
「金はいい。次にそうなったときは俺のところへ来いよな」
ユルは逃げるように離れて、イザンを睨んだ。
「……ハツさんに怒られるよ」
「はいはい」
酔っているイザンは気だるそうにユルを手で追い払うしぐさをした。空いたグラスを手にすれば、隣のオメガが酒をつぐ。
ユルは後退りののち、早足にその場を去った。
ともだちにシェアしよう!

