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15 炎上【1】
ポポーが墓参りのため遠征している間、ユルはおとなしくウィアークテで過ごした。
ディミタルから音沙汰はないが、ジウガストの手紙が届いていると信じるしかない。
暮れの時刻、酒場のステージで歌っていると入り口の扉が乱暴に開くのが見えた。肩を怒らせたイザンが現れ、ソファ席にどかっと座る。見るからに機嫌が悪そうだ。
歌い終えてステージを降り、客席に挨拶回りをする。チップや差し入れ、花束がどんどん集まり、両腕で抱え持った。
最後の席がイザンだった。テーブルには空のボトルが転がり、イザンはずいぶん酔っている。
「座れよ」
ユルは花束などの荷物をテーブルの端に置き、イザンの隣に座る。彼と自分の間にほんの少し隙間を開けていたが、肩を抱いて引き寄せられてしまった。
イザンがユルに対してこうも横暴なのは久しぶりのことだった。いつもならハツの目を気にして触れてこないのに。
ユルは離れようとするが、力任せに押さえつけられていて動けない。
そのとき、ユルの肩に触れるイザンの手がわずかに震えていることに気付いた。怒りと、怯えだ。
「何かあったの?」
「仕事でミスしちまった。上が黙ってない……まずいことになる」
「ウィアークテとは違う仕事?」
「そうだ。俺はこの街を出る。今度こそ一緒に来い」
ぐ、とイザンの指がユルの肩に食い込む。それだけで痣ができそうな力で、ユルは痛みに顔をしかめた。
「な……んで、私が」
「てめえのせいだからだろ!」
イザンは怒鳴りながらテーブルを蹴飛ばした。
すさまじい音と共に酒瓶やグラスが砕け、賑やかだった店内が静まり返る。
倒れたテーブルの陰で、転がった蝋燭の火が花束をくすぶらせていることに誰も気付かない。
「おまえが素直に俺のものにならないからだ! 行くぞ!」
ユルの腕を引っ張り、イザンが店外へ連れ出そうとする。
イザンの言い分をユルは理解できない。八つ当たりとしか思えなかった。
「い、……嫌だ!」
ユルはめいっぱいの力でイザンの手を振り払う。
はっきりとした拒絶を受けて、イザンは一瞬呆気にとられた。あんぐりと開いた口がわなわなと怒りで震え、恐ろしい形相に変わる。
ユルはびくりと身体をこわばらせる。イザンに睨まれるのはしょっちゅうだったが、明確な殺意を向けられるのは初めてだった。
「あっ」
視界がぶれ、遅れて喉に痛みが走る。
イザンによって首を掴まれ、持ち上げられていた。
──い、息ができない……っ。
足をばたつかせても靴の先が地面に触れることはない。
イザンの手に爪を立てるが、絞める力は緩まなかった。
離れた席のポポーが隣の常連客に頼み込む。
「ねぇっ、イレーヌを助けてよっ」
「馬鹿言うな、イザンと喧嘩できるヤツなんかいるかよ。おいっ、おまえが行っても無駄に決まってるだろ!」
誰を頼れないとわかったポポーが立ちあがろうとするが、客が慌てて止めた。
他の席のオメガや客も同じだ。イザンの怒気に気圧されて身を小さくしている。
「ちょっと、私の店で暴れないでよ!」
店の奥にいたハツが騒ぎに気付き、慌てて飛び出てくる。
イザンはすっかり頭に血が昇った様子で、止めようと近づくハツを突き飛ばした。
すると燃える花びらが舞い上がり、各席のテーブルクロスに燃え移る。
可燃性の高い布で編まれたそれは、ごうと炎をあげて店内を明るく照らした。
炎はあっという間に天井に届いてしまう。
「火事だ!」
客の一人が叫んだ途端、パニックが巻き起こった。我先にと皆が出入り口へ向かう。
ポポーを含め、逃げたところで行くあてのない一握りのオメガだけが、呆然と火を眺めていた。
「嘘でしょ、勘弁してよ!」
起き上がったハツが火を消そうと動き回るが、火の成長のほうがずっと早い。一人ではどうにもならないと諦めて、助けを呼びに外へ飛び出して行った。
イザンは周囲のことなど見えていない様子で、憎々しげにユルの首を絞め続けていた。
「ぐ……っ、ぅ……」
「いいか、おまえは俺が助けてやったんだ。おまえの命は俺のものだ。黙って言うことを聞け」
暴力に晒され、命が脅かされている。本能的な恐怖で全身が氷のように冷たくなる。それでもユルは、イザンを睨み返した。
店のオメガたち──ポポーに、諦める姿を見せたくなかった。
──イザン。あなたは報いを受けるべきだ!
「なんだその目は」
天井を舐める炎の焦げ臭さ。
周囲の熱で皮膚がちりちりと焼ける。
ぱちぱちと家具の表面が爆ぜる音がする。
「──そんな目で俺を見るな!」
力任せに放り投げられた。衝撃に備えてとっさに目をつむる。
しかし柔らかく受け止められ、痛みが来ることはなかった。
「……煙が出ていて驚いたぞ。間に合ってよかった」
「ディミタル……様」
張り詰めた空気の中で、ディミタルは温かく柔らかにユルを支えた。
ユルの身体の緊張がほっと緩む。
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