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15 【2】
ウィアークテへ向かう途中で上がる黒煙を見つけて走ったため、ディミタルは息を切らしていた。
ユルの安否を確認するために後先考えずに建物へ飛び込めば、ユルを脅かしているのは火ではなく屈強な一人の男だった。──慈愛院で見かけたことがある。
「慈愛院の小間使い、ユルへの手紙を止めていたのはおまえだな」
凛とした声が通る。
ハツもオメガたちも初めて見るディミタルの端正な容貌に目を奪われ、息を呑んでいた。誰もが彼を、窮地に駆けつけた守護者と理解する。
イザンだけが、憎しみの炎を瞳に燃え上がらせて吠えた。
「ディミタルうぅ!! 貴様がすべて台無しにしやがった!!」
イザンは床の割れた酒瓶を掴み上げ、ディミタルへ襲いかかる。
ディミタルはすんでのところで避け、イザンを組み伏せた。
「火の周りが早い、みなここを出るんだ。俺の従者が外にいるから、行くあての無いものは合流するといい」
動けなくなっているオメガたちへ語りかけながらも、ディミタルの視線はユルに向けられ続けている。彼の目的は一貫していた。そのため、イザンにどれほど憎悪を向けられようと眼中にない。
「……面白かったぜ、ガキが一生懸命書いたラブレターはよ!」
膝を突かされたイザンは思いのほかディミタルの力が強いことに苛立ち、悔し紛れの挑発も無視されて悔しそうに歯軋りしていた。
ユルはいまにも自分の頬をつねりそうだ。目の前にディミタルがいる奇跡をまだ飲み込めていない。
「どうしてここへ……」
「約束しただろう」
──ということは、ジウガスト殿下から手紙が渡って、ディミタル様はカサエラたちを守れたんだ。
イザンが自棄になっている理由も理解した。
ようやく、ディミタルはイザンを見た。ディミタルも裏で調査を進めていたため、イザンの後ろ暗い素性を把握している。
「俺が手を下さなくてもおまえはもう終わりのようだ。それとも、助けを乞うか?」
「誰がおまえなんかに!」
力任せにディミタルを押し除け、その顔を殴ろうとする。
体格こそ優っているが身のこなしではディミタルに勝てず、避けられて的を外した。バランスを崩して無様に床へ倒れ込む。
ディミタルはユルへ振り返り、手を伸ばした。
「帰ろう」
「はい、ディミタル様」
ユルがディミタルの手を取る姿を、イザンは苦々しく睨む。
「てめぇら……数年ぶりの再会ってわけじゃなさそうだ。そういうことかよ、くそが、くそがっ!!」
ディミタルとユルが繋がっていたことを知り、イザンは順調だった毒抑制薬の計画が崩れた理由もやっと理解した。
イザンの息がかかった配達人がミリウッド家の屋敷で衛兵に捕まり、毒入りの抑制薬はオメガに配られることなく回収された。配達人は無関係を主張したが釈放されずに尋問が続いている。イザンの情報を吐くのは時間の問題だ。
このしくじりが抑制薬ギルドに伝わるのもそう遠くない。
衛兵に捕まり犯罪者として処刑されるか、ギルドから邪魔者として消されるか、イザンには二択しかない。両方から逃げ続けることは難しい。
イザンは雄叫びをあげて立ち上がり、そばにあるものを無差別に破壊し始める。
「馬鹿にしやがって! 全員ぶっ殺してやる!」
折れたテーブルの脚を引き抜き、凶器として構えるがハッと気付く。
いつの間にかオメガたちがイザンを取り囲んでいた。
オメガたちは怯えを宿しながらも意志のある瞳でイザンを見つめ、液体の入ったグラスや火のついた蝋燭を手にしている。
「てめぇらっ、オメガのくせに俺に逆らうのか!?」
「おまえなんか、もう怖くない!」
ポポーが一歩前に踏み出し、グラスの中身をイザンに浴びせかけた。途端にアルコールの匂いが広がる。
周囲のオメガもそれに続き、手にしているものを投げつけた。
悲鳴と共にイザンの身体が炎に包まれる。
「アアァッ、畜生ォおッ!」
「逃げるよ!」
イザンの悲鳴を置いてオメガたちは燃え盛るウィアークテから脱出していく。
ついに室内にはユルとディミタル、イザンだけが残された。
「熱い! 熱い!! 助けてくれ! ……ユル!!」
真赤な手がこちらへ伸びるのを見て、ユルは後ずさる。
店のすぐ裏手が水路だ。オメガ全員の力を借りれれば助けようもあったかもしれない。一人二人の力での消火は現実的ではない状態だった。
「……ここは危ない。来るんだ、ユル」
ディミタルが外套を広げ、炎の手から守るようにユルを隠した。
そっと連れ出されていく。
ウィアークテの外に出ると、火事を聞きつけて人が集まっていた。半分は野次馬で、半分は消火活動を始めようと道具をかき集めて声を掛け合っている。
人混みの間を縫い、二人は現場から離れた。
ユルは周囲を注意深く見たものの、ポポーの姿を見つけることはできなかった。
「近くの繋ぎ場に馬を置いてある。そこまで歩けるか?」
こくりと頷いたが、次の瞬間に腰が抜けてしまった。ディミタルに支えられてやっと立っていられる。
脚も震えていた。いくら報いだとしても、人の死を目の当たりにした動揺が消えない。
「怖い思いをしたな」
抱き上げられ、ユルは心細さのままにディミタルへしがみついた。ぽんぽんと背中を撫でられても、子供扱いするなとへそを曲げる気力さえ今はない。
ディミタルに運ばれながら、ユルは一度だけ振り返った。
風と炎が渦巻き、低く唸るような獣の声を聞く。
宵の空を照らすウィアークテ。ここに戻ることはもう無いだろう。
ディミタルの膝を借り、なんとか馬の背に乗った。前に詰めるよう言われて従うと、後ろにディミタルが跨り、手綱を握るユルの手を包み持つ。
二人乗りの馬で街を駆ける。
馬の背はよく揺れて、慣れないユルにはバランスをとるのが難しい。けれどディミタルがしっかりと支えてくれているから怖くなかった。
愛しいアルファの腕の中にいる。実感が伴うにつれ安心して、ついうとうとしてしまう。
「着いたらまずは休もう。疲れただろう」
「はい……」
くっついていると子供のころを思い出す。ピアノを前に横並びで座ったとき──褪せていた遠い記憶が昨日のことのように蘇った。
「ユル?」
妙に静かで、不安になったディミタルがユルの顔を覗き込んだ。
目が合うと、ユルは無防備に微笑む。
「夢みたいです。ディミタル様とまたいられるなんて」
ディミタルも表情を和らげた。自分に初恋を教えた微笑みが変わらないままそこにある。
規則正しい蹄の音に被さるように、時刻を告げる鐘の音が街に響いた。二人静かに聞きながら、一仕事終えた安堵を分かち合う。
「待っていてくれてありがとう」
穏やかな声だった。くっついていたからこそユルにも聞き取れた。
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