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17 新しい朝
翌朝、広いベッドの上でユルは目を覚ました。清潔な白いシーツがさらりと肌を撫でる。
出窓から明け方の光がたっぷりと差し込んでいて、艶やかな木材で組まれた天井は高い。
埃で毛羽立ったウィークアテの物置部屋とは程遠い光景だ。
ミリウッド邸での生活が始まったことを実感する。
隣でディミタルが寝息を立てていた。普段は凛々しいその人の無防備な寝顔が、どうにも可愛らしくて頬にキスを落とす。
夢の中にいる彼はむにゃむにゃとユルの名を呼ぶ。
起こすのは悪いと思い、静かにベッドを出た。
脱いだままになっていた床の服を集めて着る。
──起きたはいいけれど、私はどうしたらいいのだろう。
いつもならウィークアテの裏手にある水路で顔を洗い、水を汲んで朝の家事を始める。みんなの洗濯物を集めて、洗って、干して、掃除をして……。
とりあえず部屋を出て庭に行き、噴水の水で顔を洗った。
通りがかった使用人がギョッとした顔で走ってくる。
「ゆゆゆユル様! 朝のご支度のお手伝いは私共に!」
背中を押されて屋敷の中へ戻る。その慌てようを見て、ユルは早速自分がおかしなことをしたのだと察した。
「おはようございます。すみません、こんな立派なお家での勝手がわからなくて」
「ユル様の身の上は伺っております。お屋敷のことがわかるまではどうぞお任せください」
ユルは内心で焦った。ここで生活するのなら、使用人たちに認めてもらわなければならない。第一印象は大事だ。
「あの、私にできることはありますか? 掃除とか……」
「そんなことをさせては私共がディミタル様に叱られます」
ぴしゃりと跳ね除けられてしまった。
親の手伝いもさせてもらえない幼児になったような心地になる。恥ずかしさといたたまれなさで小さくなっていると、謹厳な面持ちだった使用人が表情を崩して微笑んだ。
「ユル様のことは、ディミタル様だけでなくカサエラからもお聞きしていますよ」
「……カサエラからも?」
「歌がお好きで、ことあるごとに行事を抜け出して歌っていたと聞き及んでおります。時には屋根に登って隠れるわんぱくぶりであったと……」
「そ、そんなことまで話したのですか」
「ええ。屋根で鳥の巣を見つけて、ヒナがカラスに襲われていたから追い払おうとして落っこちたそうではありませんか」
遠い昔のことだ。自分がどんな怪我をしたのかはすっかり忘れたが、ヒナが無事だったことは覚えている。
「カサエラにとって自慢のご友人なのでしょう。少々おとぼけですが慈愛あふれる賢明な方だと、いつも話していますよ。あなたを見ていると、話の通りの方だととてもよくわかります」
──おとぼけは余計だ、カサエラ。
信頼の下地をあらかじめ作っておいてくれたのは助かるが、なんだか照れくさい。
せっかく好意的に思ってもらえているのなら、尚のことそれを裏切らないよう努めようとユルは思うのだった。
「ディミタル様も、あなたが来て笑顔が増えました。私共はユル様を歓迎しております。どうか気負いなく、堂々と過ごしてください」
「……はい! ありがとうございます」
ユルがにっこりと微笑むと、使用人は目をぱちくりさせて頬を赤らめた。主が選んで連れてきたオメガの美しさに見惚れている。
すぐ仕事の顔に戻った使用人は、気を取り直して言った。
「そうだ。朝食の時間まで少しありますから、ゆっくりお召し物を選ばれてはいかがでしょう」
「お召し物……?」
巨大なクローゼットのような衣装部屋に通された。右にも左にも、季節や用途に合わせた様々な衣服が揃えられている。装飾品も数えきれないほど。
扉が開き、睡眠から叩き起こされたらしいカサエラが目をこすりながら入ってきた。
道案内してくれた使用人は深々と頭を下げて退室する。
「おはよぉ、早起きだねぇ」
「カサエラ、これって誰の服なの?」
「ぜーんぶユルのだよ。ディミタル様がユルが困らないようにって用意させたんだ」
「わ、わぁ」
「わかる。ちょっと引くよね。ま、貴族のやることなんかこんなもんだよ。僕がサイズを教えたから、着れないものはないと思う。細かい仕立て直しは任せてね。で、どれにする?」
華美すぎないものを選んで着た。それでも長く垂れる袖にいかにもな上流階級感があり、着慣れない。
──いや、慣れていかなくちゃ。ディミタル様が恥ずかしくない男になるんだ。
顔を上げて椅子に座り、待ち構えていたカサエラに髪を任せる。
首の後ろでさらさらと櫛が行き来していたかと思うと、束に分けられた髪が編み込まれていく。
「うなじ、まだ噛んでもらってなかったんだ」
カサエラがユルの首の後ろを見て言った。
そこには傷ひとつない皮膚と白い産毛がある。
法的な婚姻とは別で、アルファとオメガが真のつがいになる方法がある。それはアルファがオメガのうなじを噛むことだ。アルファの歯形は痕になって残り、一生消えることはない。
「あんまり……気にしてなかった」
満たされているからか、今はディミタルといても無闇にヒートにならない。自分がオメガであることをひととき忘れていた。
「すごいね、二人とも本能抜きでエッチしてんの? 僕なんかハレムに来たその夜に噛まれたよ。痛かったなー」
「え、えっちって……」
まだ話していないのに、ディミタルと関係を持ったことをカサエラに見抜かれている。あからさまな言葉にユルは顔を赤くした。
ピュアなユルの反応を楽しんで、髪を編み終えたカサエラはパンと手を叩いた。
「終わったよ。ほらほら立って。慈愛院と違って朝ごはんは逃げないけど、ディミタル様は予定があるから発っちゃうよ」
窓の外を見ると、すっかり朝の空になっている。
慌てて食堂へ向かった。
■
食堂では、支度を済ませたディミタルがすでに着席していた。なんだか不機嫌な顔をしている。
「目を覚ましたらユルがいなくて、心臓が止まるかと思った」
じとっとした目で見られた。
ユルは気まずくなって目を泳がせる。平民の感覚のまま庭の噴水で顔を洗っていたとは言えない。
「す、すみません」
「起こしてくれればよかったのに」
「あまりに気持ちよさそうに寝ていらしたので……」
「確かに、久々にぐっすり眠れたがな……もうあんな目覚めはごめんだぞ」
朝食は昨夜と比べて質素で、これがディミタルの生活の本来だと知る。ユルに対してのみ金銭感覚のタガが外れるらしい。
このくらいの食事のほうがユルも気兼ねなく口へ運べる。
黙々と食べていると、早くも完食したディミタルが口を拭きながら言った。
「この後、俺は公務で出かける。キミは休んでいるといい」
ユルはハッとして、手元のパンを口へ押し込んだ。膨らんだ頬を忙しくもぐもぐ動かして一気に飲み込む。
「早くこの生活に慣れたいです。同行させてください」
「うーん……ジウと会う用事だから、心配いらないか。ジウガストのことは覚えているか?」
「忘れられるわけないですよ」
苦笑して見せると、ディミタルはきょとんとする。
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