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19 健やかな夜へ【1】
数日後、ディミタルの言う通りだった。
親類への挨拶と王の謁見は一瞬で、婚姻はあっさり許可された。無関心ゆえの即決というわけでもなく、ディミタルの人徳の成すところだとやりとりを聞いていればわかる。
謁見から帰ると、屋敷の書斎へ連れて行かれた。そこには知らない男がいる。
「こちらはどなたですか?」
ユルがディミタルにたずねると、ディミタルは来客用のソファを客人にすすめながら答えた。
「記者だ」
「記者」
「公爵の婚約は記事に載るからな」
「こうしゃくのこんやくはきじに……」
記事を通し、噂を通し、国中の誰もがユルの名を知るということだ。
「ユル? ユル……ユル!」
「はっ……すみません、最近の出来事の何もかもに心が追いつかなくて」
「まだまだ忙しくなるぞ。俺も手伝うから、ふんばってくれ」
「は、はいぃ……!」
記者と紹介された男と改めて挨拶する。
良心的な記事を書くことに定評があるからと、ディミタルのほうから呼んだらしい。貴族のニュースは頼んでも頼まなくても勝手に記事にされるものだが、放っておいてユルのことを好き勝手に書かれては許せないからと。
記者は鞄から初稿を取り出し、ディミタルとユルへ内容の確認を頼むのだった。
記者が帰ると、他に仕事があるディミタルと別れ、ユルは勉強用の部屋へ行く。
「本当に忙しい……」
婚姻の許可を得たあとは、社交界へ婚約を発表しなければならない。そのために公爵家主催の晩餐会を開く。晩餐会は女主人が主導するのがしきたりだ。つまりユルの初仕事である。
「よし……読むぞ!」
椅子に座って机と向き合う。机にはたくさんの資料を蓄えていた。公爵家の親族や関係者を含めた王侯貴族の情報である。
晩餐会で会ったとき、相手が誰かを知らないでは済まされない。失礼のないよう、名前や姿の特徴などを覚えておく必要があるのだ。
「会ったこともないのに、文字だけで顔の特徴とか説明されてもな。でも、ディミタル様もこれをやったって言ってるんだから……」
こんこん。扉がノックされた。返事をすると、ディミタルが現れた。その手にはポットと二人分のカップがある。
「ユル、少し休憩しないか」
「お茶を持ってきてくださったんですか? ありがとうございます」
ユルは勉強机から来客用のテーブルに移動し、長ソファにほったらかしていた本をサッと退けた。
横並びに座って、暖かい紅茶で喉を潤す。
ディミタルは勉強机の散乱した紙束を眺めていた。
「この短期間ですべて覚えるのは難しいだろう。やはり俺が手伝おうか?」
「いいえ、これくらいできなければ私は私が許せませんっ」
いざというときは晩餐会中ずっと隣で情報を耳打ちしてくれるというが、手助け前提で怠けるのは違う──ユルは持ち前の生真面目さで毎日のように勉強部屋へこもっている。
予想通りの返事にディミタルは笑う。
「ユルの努力家な部分はよくわかっているつもりだ。知識が身につくかの心配はしていないが、体調の心配はしているんだ。あまり根を詰め過ぎないように」
「はい、そこはなんとか。それに、要点を教えてくれる方がいるので──」
また扉からノックが聞こえた。時間帯的に、それが誰だか察しはつく。
ユルが返事をすると、やはりその人だった。
「ユル様……ディミタル坊ちゃまも。お会いできて嬉しく思います。本日もよろしくお願いいたします」
柔らかな物腰で現れたのは家庭教師のチェオだ。
彼はミリウッド家の専属教師で、幼少期のディミタルも担当した。今はユルの先生として屋敷へ通ってくれていた。
ディミタルと八歳ほどしか歳が違わないが、学者顔負けの博識さで義理も堅い。
膨大な宿題に頭を抱えていたユルも、彼のおかげで負担少なく勉強できている。
「本格的に勉強の時間か。ならば俺は退散しよう」
「坊ちゃまも一緒にお勉強いただいてもよろしいのですよ」
「勘弁してくれ」
チェオとディミタルの関係は今も良好のようで、顔を合わせるたびに軽口を言い合っている。
「ディミタル様、夕食には来ますか?」
「ああ、一緒に食べよう。また後ほどな」
ユルが忙しければディミタルはもっと忙しい。スケジュールが合わず、食事や就寝を共にできない日もしばしばあった。
今夜は共に食事ができるとわかり、ユルは勉強のやる気が一倍上がった。
ディミタルを見送り、チェオと共に勉強机へ向かう。
教わるのは人間関係ばかりではなかった。晩餐会に向けて覚えるべきことは多い。流行りの招待状の作り方、席順の決め方、ふさわしい服装や立ち回り。ふるまう料理の内容の精査も大変だ。貴族は流行り廃りに敏感なうえ、好き嫌いが激しい。
「まずはどこまで覚えたか、おさらいしましょうか」
「は、はいっ」
窓の外が茜色になるまで、ユルの百面相は続いた。
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