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23 公爵の花嫁

 いきいき働くミリウッド家の使用人たちが、ふと手を止める瞬間がある。それは音楽室からピアノの音が聞こえたときだ。  柔らかな音色に天使の歌声が重なり、誰もがうっとりと耳を傾ける。 「ユル様とディミタル様、音楽室にいる時が一番楽しそうですよね」  玄関ホールを掃除する使用人たちは、音のするほうを見やって雑談を交わしていた。 「この時間ばっかりは、誰も邪魔できないよなぁ」 「聞いてると、私たちも癒される感じがしません?」 「わかる。この世にゃ悪いことばっかりじゃないんだなって……心が洗われる気がするよ。お二人にはいつまでも健やかであっていただきたい」 「はぁ。私もあんな恋愛がしたーい」  音楽室のユルとディミタルは、最近手に入れた新譜を読んでいるところだった。誰に聞かせるわけでもないが、様々な曲を練習して楽しんでいる。 「宮廷の流行りも良いが、街の流行りの曲も面白いものだな。ピアノで弾くにはアレンジがいるが……」 「相変わらず器用ですよね」  ぽん、と鍵盤が返事をした。  ディミタルはあっという間に譜を覚えて奏でていく。ユルはしばし聴き入った。  ユルは時間があれば街を回り、領民の声を拾い上げている。ユルを頼るのはやはりオメガが中心だ。オメガの境遇を汲みつつ、偏らないようにベータやアルファの話も積極的に聞くようにしている。そうやって足を使って活動するうちに、公爵夫人ユルの顔と名前は領民の間に知れ渡った。  新しい抑制薬の普及もユルとディミタルの人徳によってスムーズだった。今は二人が何かしなくても、人伝いに信用が広まっている。  先日、ウィアークテがあった場所を訪れた。そこにはハツがいて、ウィアークテを立て直す計画を立てているようだった。  行き場を失うオメガがいる限り、娼館が潰れることはない。ハツは既にオメガを集め、街角で客を取らせている。  ユルはハツを含め把握できる限りの娼館関係者の元を訪れ、匿名の支援と引き換えにオメガの衛生や待遇の改善を申し入れている。  ハツは稼げればなんでもいいとユルの監督を受け入れつつ、宿が再開した際はステージに上がれと誘うのだった。  ディミタルと一緒に行動するのは、社交界の行事や、会議、各棄児院を回るときだ。  棄児院を回るのは《お披露目》の実態をより詳しく知るためである。司祭や支援者とも接触し、身売りの悪習が元々の健全な養子制度に戻るよう根回しを試みている。  キコニア慈愛院にも足を運んだ。再会したマム院長は、ずっと心配していたとユルを見て涙を流していた。正しい形ではなかったとしても、育ての親としての愛情は本物だったのだ。  ユルとマム院長は和解し、連絡を取り合う約束をした。  パード司祭は最後まで多忙を理由に会おうとしなかったが、ディミタルは逃さないと息巻いている。 「……合わせて歌えそうか?」  弾き終えたディミタルは、最後まで歌わなかったユルを心配そうに見た。  ユルはハッとした顔をする。 「聴き入ってしまって、歌うのを忘れていました」 「なんだ、それ」  ふふっとディミタルが笑うと、ユルも楽しくて笑う。  廊下の振り子時計がぼーんと時刻を告げた。  このあとは予定があるため、二人とも立ち上がって片付けを始める。 「今日は衣装の打ち合わせでしたよね」  忙しくてそれどころではないと言いつつ、結婚式の予定は前倒しになっていた。カサエラを筆頭に、使用人たちがディミタルをせっついていたからだ。ユルを待たせるな、と。  そしてディミタルは予定を秋から夏に早めた。ユルの好きな季節だから。 「それなんだが……ずっと言い出せていないことがある」 「言い出せていないこと?」  ディミタルは気まずそうにユルの手を引き、目的地の部屋へ案内した。  どこへ行くのかと思ったら、あの大量の衣装部屋だ。  奥に目立たない小さな扉があり、もう一部屋あることをユルは知らなかった。  屈んで扉をくぐると、ほんのりと古い壁のにおいがする。掃除はされているようだが、換気が甘いのだ。  部屋にぽつんと布がかけられたトルソーがある。ディミタルはそれに近づき、布を取り払った。 「これって」 「花嫁衣装だ。ずっと昔に作らせた」 「誰の……」 「…………」 「察しました」  ディミタルはずっと前──出会った直後ごろからユルの花嫁衣装を用意していた。  ユル本人の気持ちを聞く前から、勢いのまま仕立て屋に作らせたものだ。とにかくユルの美しさを引き立てよと、ああだこうだ口出ししたのも覚えている。少々恥ずかしい過去だ。 「流行から外れてしまった。サイズ直しと同時に作り直したほうがいいだろう。仕立て屋と合流する前に、どんな風にしたいか考えておいてもらいたい」  ユルは歩み寄って、ドレスに触れる。どこも痛んでいない、まっさらに無垢な生地だ。一針一針丁寧に縫われた糸はきらきらと輝いて、幸せな花嫁に着られるのを待っている。 「このドレスがいいです。……まだ、私に似合うでしょうか?」  大切にドレスを撫でるユルを見つめ、ディミタルは頷いた。 「もちろんだ」  その日はサイズ直しの打ち合わせのみとなった。  屋敷を訪れた老年の仕立て屋は、当時のディミタルがどれほどユルの美貌を熱弁して仕事を長引かせたかを未だ根に持っており、採寸の間はユルにくどくどとその文句を良い続けていた。「そりゃこんなべっぴんさんなら、気合いも入るでしょうけどね」と。  ディミタルは顔を真っ赤にしたまま、部屋の隅でずっと小さくなっていた。

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