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第2話
ジリリリリリ…とけたたましく鳴り響く空間に、僕は兄の名前を呼んでは泣いていた。足も冷たい。寒い。泣き疲れて意識が無くなった僕は、暗く深い底に落ちていった。
「さくや!朔夜!」
「おかあ、さん……?」
自分の部屋のベッドに寝ている僕に、
母の泉が僕の名前を呼んでいる。
ハッとして体を起こす。
「学校!」
慌てて時計を見る。10時をとっくに過ぎていた。やってしまった!!!わたわたと制服に着替えようとする僕に、母は心配そうに声をかけた。
「朔夜、今日は休みなさい」
「え?」
「今日は学校を休みなさいと言ったのよ。」
キツイ言い方だが顔は真剣だ。
「…ここのところ毎晩のようにうなされているでしょう」
うなされている…その言葉にギクリとした。
「琥珀の夢を見ているのね?…」
ピタ、と制服のワイシャツのボタンを外す手が止まった。
2年前に失踪した兄の琥珀。
当時兄が17歳の高2、僕が14歳の中2だった。
僕とは3つ歳が離れていて、19歳、大学生になっている……
はずだった。今ここにいれば。
大学受験を見据えて難関高校に入学した兄は、僕にとってそれはそれは自慢の兄だった。
頭がいいからといって僕を貶したり暴言を吐くようなことはしなかった。
「わからない所はいつでも聞きな」と優しく頭を撫でてくれる心優しい兄だった。
背が父や兄の友達よりも高くて、すらっとしてたから制服の裾を合わせるのに大変で、制服着店のおばちゃんに琥珀兄とこっそりお饅頭をお礼に渡しに行ったんだっけ。
なにより母譲りの二重で睫毛が長い切れ長の目、父譲りの艶のあるブラックの髪と端正で男らしい顔つき。
喘息持ちで走る運動はあまりできなかったけど、合気道を小学生の時から習い、中学三年生で8段をとってしまった。
才色兼備の模範生の様な兄だった。
対して僕は、勉強はあまり得意ではなくて…。兄と同じ喘息持ちの上に輪がかかって身体が弱いのだ。走る様な運動はもちろん、ストレスや不安を感じてもすぐに身体がダウンしてしまう。
顔つきも母譲りのところが多く、たまご型の小さな顔で二重でも男子にしては大きな目に小さな鼻、色素が抜けたアッシュグレーのふわふわした髪。女の子みたい、お人形さんみたいね、と言われて喜んでいたのは小学生中学年までだった。
高校1年生になった今でも顔は幼いまま、背も中学生の時から大して変わらず、男友達にはよくからかわれている。
女子には髪の毛で遊ばれるし、休み時間とかの先生がいなくなった隙に女子にメイクされたり。
「お菓子あげるから!」って釣られる僕も悪いんだけどね!!
女子にされた化粧を落とすのを忘れてそのまま家に帰ってきた僕は、丁度出かけようとしていた琥珀兄と玄関で鉢合わせしてしまった。
「ただいま琥珀兄!!」
「おかえり朔夜。今日も学校楽しかったか?…て、さ、朔夜…その顔…」
「かお?」
僕の顔を見るなり顔を赤くさせて狼狽える琥珀兄に内心(ん???)な僕は、鞄に入っていたコンパクトミラーで自分の顔を確かめた。
何かついてるのかな、レベルではなかった。
マスカラで長く伸びた睫毛、薄くかかったピンクのチーク、そしてグラデーションされたピンクのグロス。
学ランと不釣り合いの顔だった。
………。
「ち、ちがうんだよ!これはクラスの女子にされたの!僕は何もしてないよ!!ほんとに!!」
僕は恥ずかしくて、もはや何に対しての弁論をしてるかわからなかった。
「ぷ、」
その様子を見て、ふふふ、とおかしそうに琥珀兄は笑いはじめた。
「朔夜のクラスにはこんなに上手にメイクできる子がいるんだな、」と僕の頭をくしゃくしゃと撫でて、しばらく笑っていた。
不意に「うぅ…」と恥ずかしくてうつむく僕の顔を持ち上げ、カシャ、とシャッター音が鳴る。
「な、何撮ってるの!?」
今更気づいても虚しく、ふふ、とスマホの画面を見せる兄。恥ずかしくて赤くなる僕と眩しい笑顔の琥珀兄が映っていた。
その下には『保存済み☑』のマークが。
「な、け、消してよ!」
とスマホに手を伸ばすも兄の身長に勝てるはずもなく、よしよしと頭を撫でられて「肌に悪いから洗ってきな」と洗面台へと促した。
暫くして僕が顔を綺麗にしたのを確認した兄は、
「母さんたちが帰ってくるまでいい子にしてな。じゃあ行ってきます!」
とやはり僕の頭を撫でてから出かけていった。
もう、琥珀兄のばか。
と、頬を膨らませた僕は、女子にもらったお菓子をのんびりとテレビを見ながら食べはじめた。
そのまま兄が帰ってこないとは知らずに。
あの日のことを思い出した僕はぐぐ、と心臓が何かに強く掴まれるような気持ちで
「…うん」
と、言葉を絞り出した
やっぱり、と呟いた母は僕がまたパジャマに着替えるのを待ってから、僕を勉強机のイスに座らせ、自分は友達用の椅子に腰掛ける。
「朔夜」
「…」
「琥珀兄さんのことは…もう…忘れなさい」
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