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第3話

「琥珀のことは…もう、忘れなさい」  その言葉はもう何回も聞いたよ、母さん。 でも忘れられないんだ。  僕の本当に大好きな兄だから。 じわり、と涙が浮かぶ。 (ごめんなさい、母さん…) 「朔夜」  どんよりとした空気に、母が口火を切った。 「お母さんね、朔夜の事心配してるのよ。毎晩琥珀の夢に魘されて、泣いてるのを見てきたわ。あの時から喘息も酷くなったじゃない?…朔夜が辛いのはよくわかるわ。でもね、心配しなくていいのよ? 明日、琥珀の居場所を知ってる人に会いに行ってくるの。」 「…え?」  目を見開いて母の顔を見つめた。 「琥珀兄の居場所を知ってる人に会いに行ってくる?どういうこと?」 「1週間前、私の携帯に知らない人からメールが届いたの。」  そういうとエプロンのポケットからスマートフォンを取り出し、僕にメールの本文を見せた。 『椎名琥珀の居場所が分かった。知りたければ、10月3日の午後22時に公園近くのカフェに来い。  条件は4つ。 ・椎名琥珀の家族の内、一人だけが交渉役として来ること。 ・その他の人間が尾行、詮索をしないこと。 ・こちらの指示に従うこと。 ・危害を加えたりしないこと。  上の条件を破った場合、情報は勿論のこと、交渉役の人間がどうなるかは知れない。  そちらが何もしなければこちらも何もしない。  我々は貴方方の手助けをしたい。どうするか決定したら、予定の日の前日の午後22時までに返信しろ。  時間までに現れなかった場合、交渉は取り消しとなり、椎名琥珀の居場所は永遠に不明だ。』  文面からは本気なのか否かがわからない。  いたずらだ、と思う反面、本当だったら琥珀兄に会える、という希望がある。 「今、お父さんは海外出張でいないでしょう?だから、お母さん、いたずらだとしても行ってみようと思うの。半年ずっと探しても見つからなかった。もうチャンスはないと思うわ。」 「ちょ、ちょっと待って!」  母さんの目は真剣でらんらんと光っている。  もしこの交渉に行ったら勢いで相手を問いただしたりしてしまうかもしれない。そうしたらこの交渉は成立しない。交渉には理性と知性が必要だ。  僕にもそれぐらいわかってる。 「僕が行くよ。僕が行って、本当なのか確かめてくる。」 「そんなのダメよ!こんなにかわいいんだもの、何かされるかもしれないわ。もし朔夜も居なくなってしまったら…私たち、もう生きていけないのよ…」  僕の肩を掴んで涙する母さんを見て、 「母さんのが小さいし、僕だって男なんだよ。 大丈夫、危ない目にあったらちゃんとスマートフォンでサインを送るよ。だから僕に行かせて。」 と、言い切った。  母さんは涙を浮かべた綺麗な目でじっと僕を見つめていた。 「きっと、きっとよ…?絶対に何かあったら連絡するのよ?」 「うん、絶対にするよ。大丈夫だよ、母さん。」  母さんがかすかに震える手で僕を抱きしめた。  絶対に琥珀兄を見つけるべく、僕は母の腕の中で決心した。  その後は母も落ち着いていつもの母に戻っていた。  ただやっぱり心配なようで、何度も僕に「変なことをされそうになったら琥珀の合気道を思い出して抵抗するのよ?もし出来なかったらこの防犯ブザーを鳴らしなさい。あそこのカフェのオーナーさんとは仲がいいからすぐに気がついてくれるはずよ。」と、防犯ブザーが機能するかを確かめて僕に手渡した。  母さんはこの街の人々とつながりがある。 父さんと結婚する前の仕事でこの地域の活性化かなんかでとてもよく頑張っていたらしい。だからご近所さんでなくてもこの街の殆どの人々は母さんと仲がよく、僕にも親切にしてくれている。カフェのオーナーには一言、万が一何かあったら教えてほしい、と言ったらしい。 「頑張らなきゃ…」 ポツリとつぶやいた僕は、制服に着替え始めた。  午後9時。  僕は自分のスマートフォンでさっきのメールの宛名へ、交渉に応じる旨の返信をした。  するとすぐに返信が来た。  メールを開いてみると、 『交渉成立。交渉人は椎名朔夜とする。  これから連絡する時は電話にて行うが、こちらからの連絡のみとする。』  とあった。  この返信が来てすぐに僕は家を出てカフェへと向かった。母さんはまだ心配そうだったけど、僕を信じて見送ってくれた。こんな時間に、しかも制服で出歩きするのはちょっとだけ抵抗あったけど、警察に見つかったらどうにかやり過ごそう。  カフェへと向かう途中、誰かに見られてるような気がしたけど、多分緊張のせいだと思う。  午後21:30、僕はカフェに着いた。  いつ来てもこのカフェは綺麗だなぁ、なんてボケーっとしてたらスマートフォンが鳴った。  非通知だ。  「…もしもし」  『こんばんは。椎名咲夜くんだね?』  「はい」  メールとは違う、思ったより柔和な話し方に内心驚く。低音で聴きやすい。    「僕、どうすればいいですか?」  『店内に入ってもらっていいかな?電話は切らないでね。』  「…わかりました。」  カランコロンと音がなるドアを開けて、僕はカフェへと足を踏み入れた。客はまばらで、僕みたいな学生は男子が二人、窓側の席で談笑しているだけ。  『入ったね。そうしたら壁側の一番奥のテーブルにきてもらってもいいかな?』  「分かりました。」  壁側の一番奥のテーブル…  カツン、カツンとローファーの音が響く。  『やあ』  「やあ」  「わっ、」    いきなり袖をグイッと掴まれ、僕は驚いた。  見ると、いかにもモデルさんみたいな風貌の男が、片手でスマートフォンを耳に当てながら僕の袖を掴んでニコニコしていた。  「朔夜くん、どうぞ座って?」  「あ、は、はい…」  向かいの席に座るように促され、僕はおどおどしながらペタンと席についた。  じーっと見つめられると、思わず目をそらしてしまう。もっと強面のスーツを着た男の人を想像していたんだけど…  髪は黒をベースとして所々にグレーのメッシュが入っている。目はベージュで、泣きボクロが印象的な綺麗な顔立ち。肌と対象的な黒で統一された服でより一層細く華奢に見える。  「俺は鷹村累、(たかむらるい)よろしくね。鷹でも累でも、好きなように呼んでよ。」    「よろしくお願いします…あの、琥珀兄はどこに…?」  余計なことはいいから、早く琥珀兄の情報を知りたい。僕の様子を見て鷹村さんは困った様ににっこりと微笑んだ。  「そんな焦らないで。せっかく朔夜くんと話せるんだもん、ゆっくり話そうよ。ね?  ココアは飲める?ここの美味しいんだよ~」  「あ…はい」  ここのカフェにココアなんてあったっけ…?  鷹村さんはふふ、と微笑むとウェイトレスを呼んでコーヒーとココアを頼んだ。空いているからかすぐに持ってきてくれた。  「さぁ、冷めないうちに飲んで?」  「わ…美味しそう…!」  おもわず感嘆の声が出る。  そのココアは大きめで、上にホイップクリームが垂れそうなくらいのっていた。甘いのが大好きな僕はコクリ、と一口飲んだ。  「美味しい…!」  鷹村さんはそんな僕を見て微笑ましそうにコーヒーを啜っていた。  すると突然口を開いた。    「朔夜くんはお兄ちゃんが好き?」  「え…、勿論好きですよ」  そっかぁ~と頷いている鷹村さんは続けた。  「アブナイ事してる人だとしても?」  「え…?」  カチャン、とカップを置く。  アブナイ事?危ない事って…  裏の世界?  「ふふ」  ここにきて初めて目の前にいる人が怖く思えた。何を考えいるのかわからない。この人は琥珀兄の何を知ってるの?こわい。  「お兄ちゃんのこと、知りたい?」  ニッコリと僕を試すような言い方。  怯むわけにはいかない、母さんと約束したもん…僕は鷹村さんの目をまっすぐ見据えて答えた。  「知りたい…です。教えてください。」  するとやっぱりニコニコと笑って、そっか~と頷いた。    「俺、朔夜くんの事気に入っちゃった。」  と、身を乗り出して僕の手を握った。鷹村さんの少し長い爪が、僕の手に食い込む。  何なんだろうこの人…?と怪訝に思った瞬間、僕に眠気が襲った。時計はまだ10:00を過ぎたばかり…こんな早くに眠くなるわけがない。しかも今は緊張していて、全然眠気なんてないはず。  「な…んで…」  頭を支えられずに頬杖をつく。眠い。意識が薄れる。  「朔夜くん、大丈夫?」  鷹村さんの声もまともに聞こえない。  頭を撫でられてより一層眠くなる。  「ふ……ぅ………」  ついにはテーブルに突っ伏して意識を手放した。  「おやすみ、俺の可愛い朔夜。」  鷹村がさっきよりも深い笑みを浮かべているなんて知らずに。

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