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第十一話 仮押さえ
午前中だけで三軒目となる内見、さすがにご主人は少しお疲れの様子が伺える。長谷川は社名ロゴの入った白いワンボックスカーのエアコンの風量を強めに設定する。後部座席に座るのは、このエリアのファミリー物件としては今月トップクラスの予算を提示している三十代のご夫婦だった。
長谷川は予め許可を取った物件の来客用スペースに車を停めると、お目当ての分譲賃貸マンションを案内した。築浅の綺麗なレンガ調の外観の一階には、住人専用の庭が付いていた。
「わぁ!思ったより広いんですね、見て、見て、パパ」
テンションが上がった奥さんが、リビングのサッシを開けて、大きな庭を覗き込んでいる。
「お子様が小学校に上がる前に、引越しを考えていらっしゃるんですよね。でしたら、このお庭で遊んだり、家庭菜園なんかもいいですね。今日はご実家でお留守番されている息子さんも、夏にはここで子ども用のプールを出して水遊びをしたら、きっと大喜びですよ。」
本当はマンションの一階の庭つき物件なんて、土いじりが趣味でもない限り、管理が難しい。草むしりや除草剤撒き、あるいは雑草予防の砂利や人工芝を敷き詰める作業で貴重な休日の時間が潰れる事にる。………蚊も凄い。セキュリティも良く無い。しかし、ネガティブな情報は一切与えず、良い面だけを強調してみせる。
「いいわねぇ。食育にもなりそう」
そう言って、庭を眺める奥さんの脳裏には、我が子が庭を走り回る未来の姿が見えているのだろうか。
そこですかさず長谷川は畳み掛ける。
「人気のある物件で、午後には他社様で内見の予約が入ってしまっているんですよ。もし気に入っていただけたなら、仮押さえの手続きだけでも進めましょうか」
夫婦が目を見交わす。
「そうよね、パパどう思う?今日見た中では、一番条件にも合うし………」
奥さんに急かされ、ご主人も苦笑しながら「長谷川さん、お願いします」と頷いた。
「かしこまりました。では、お車へ戻りましょう」
長谷川は完璧に仕上がった極上の営業スマイルを披露した。
お客様を乗せた車を店舗へ走らせる途中、長谷川は病院やホームセンターなど、車窓から見える近隣の施設を紹介する。
「あそこは老舗のパン屋で、こちらに引越しされた際には、ぜひあんパンを召し上がってくださいね」
「へぇ」と後部座席のご主人と軽い会話をしながら、ふと長谷川は秋山のことを思い浮かべた。
(トオルさん、あんパン好きそうだな………)
今まで意味を為さなかった、道路沿いの紫陽花の花が、老舗のパン屋が見る物すべてがトオルの笑顔と結びついて、色づいて迫ってくる。
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