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第十四話 まるで号令を受けた兵士のように整列した本棚

「食器棚が黒色なんてこと、あるんだ」 長谷川の部屋を珍しそうに見回して、トオルが最初に発した感想がそれだった。 「ありますよ」 そう応じる長谷川は、さっきから困り果てていた。せっかく自宅に招くことができた愛しい人が、玄関をくぐった瞬間からどういうわけかビビり散らしているのだ。 思えば、オートロックのインターホンに顔が映った瞬間から、トオルの様子はあからさまにぎこちなかった。 (下心か?俺の下心が伝わってトオルさんを緊張させているのか?) と焦る長谷川だったが、すぐにその可能性を却下した。悲しいかな、そもそもトオルには、自分が男に狙われるかもしれないという発想自体、頭の片隅にもないのだ。 「床も壁も、なんか真っ黒いし………」 「真っ黒くは、ないですよ?」 壁紙は白黒のモノトーンな木目調で、床もダークトーンではあるが、「真っ黒」と言うには少し語弊がある。長谷川は心配になって、居心地悪そうに身を縮めるトオルを覗き込んだ。 「あ、そうだ、これ忘れないうちに渡しとくね」 思い出したようにトオルが、手に持っていた小振りの白い紙袋を長谷川に差し出した。 「ありがとうございます。手土産、持ってきてくれたんですね。」 長谷川が紙袋の中を覗き込む。 そこに入っていたのは、有名な老舗店の餡がぎっちり詰まった、艶やかなあんパンだった。 「ふはははは!トオルさんっぽいです!」 不意を突かれて、長谷川は声を上げて笑った。 「紗生くん、ちょいちょい失礼だよ」 ぶう、と膨れるトオル。しかし、大きく息をついて、スタイリッシュな空間に気後れして借りてきた猫のようになっていた彼も、落ち着いてきた。 トオルの反応を見て、長谷川は自分の部屋のインテリアが、初めて訪れる人間にはいささか暗く、威圧感を与えるのだと自覚した。テーブルもクローゼットもソファーも大きな家具は大体黒で統一されている。 (俺は落ち着くんだけどな) と長谷川は心の中で拗ねたように呟いた。 緊張の解けてきたトオルが、ずっと頭の中をグルグルと駆け巡っていた言葉たち――(紗生くん、オシャレな部屋に住んでるんだなぁ。えらい所に来てしまった。場違いで恥ずかしい……エトセトラ)をようやく口に出せるようになってきていた。 「紗生くんの部屋、すっごくカッコイイね。お洒落すぎてちょっと緊張しちゃったくらい」 トオルは少し照れくさそうに、上目遣いで長谷川を見上げて言った。 「そうですか?」 その一言で、長谷川の顔がパァッと明るくなる。 「本は?どこにあるの?見当たらないけど」 「本マニアだって言ったこと、覚えててくれたんですね」 ワクワクとした様子で部屋の中を探し始めるトオルに、長谷川は嬉しくなった。 「ここに入れてあるんですよ」 壁に造り付けられたクローゼットを開けて見せる。 「うわーっ!いいなぁ!」 トオルは心底羨ましそうな声を上げる。 『空間の詩学』『影響力の武器』『失われた夜の陰影を求めて』『チ。』『基本の洋食』『暇と退屈の倫理学』………それらが、トオルの本棚とは違って、人文書、ビジネス書、アート、フィクション、実用、背の高さやジャンルごとに美しくゾーニングされている。 奥行きの異なる本の背表紙が、一直線上にピタリと揃っている。 それはまるで、一分の隙も許されない、厳格な美意識によって統制された「知の壁」だった。 その前でトオルは、この本棚の持ち主は信用できる――、と感じていた。幼い頃から本ばかり読んでいたトオルは、「また役に立たない本なんか読んで、学校の勉強はどうなっているの?!」とよく叱られていた。 周りに話しの合う友人も居なかった。 (この人は僕の話しを、笑ったりしないで、受け止めてくれるかも知れない) 肩が触れそうな近さで隣りに立つ長谷川の方にくるっと向いて、トオルが興奮を隠せない様子で訊ねる。 「すごいね、紗生くんって、潔癖症!?」 「まあ、そうですね。少し……」 長谷川が言いにくそうに口ごもりながら答えた。 「僕、紗生くんになら、何でも話せそうな気がする!」 トオルの隣りで紗生は完全にノックアウトされていた。 自分の病的に几帳面な内面を晒した結果、トオルにありのままで受け入れられたのだ。紗生の身体は溶けそうなほど熱くなった。 本棚を指でなぞっていたトオルの手が、ある上下巻の分厚い本の背表紙でピタリと止まる。 「ああっ、『サピエンス全史』は読んだけど、続編のこれはまだなんだよね」 じっと本を見つめたまま、心なしかそわそわし始めたトオルに、紗生が優しく声を掛けた。 「ここで読んでいきますか?」 「えっ、でも……」 トオルは嬉しそうに、けれどどこか躊躇するように紗生を見た。 「僕、外では一度読んだことのある本しか、読まないことにしてるんだ。………集中すると、周りが見えなくなっちゃうから」 「いいじゃないですか、友達の家でまったりするのも。今日は一日、時間がありますし。 俺はトオルさんが、俺の部屋で自由に過ごしてくれた方が嬉しいですよ」 そう言って、紗生はトオルを黒い革のソファーに促して座らせると、彼がお目当てにしていた『ホモ・デウス』を本棚から抜き取り、その手に渡した。

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