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第一章 入所 3
研究所での生活は一見穏やかなものだった。
毎朝決まった時間に起き、身支度をし、朝食のために食堂へ降りる。食事は温かいものが朝と夕に提供される。食事が終われば部屋に戻り、後は部屋で過ごす。暁は年長者らしく厳しく振る舞ってはいたが、子供たちが可愛くて仕方ないのだろう。折にふれ甘やかす様子が微笑ましい。
一方、敬と涼には子供たちを預けても十分信頼に足ると、暁は判断した。二人とも子供の扱いには慣れているようで、すぐに子供たちとも打ち解けた。
敬は物静かな、生真面目を絵に描いたような少年だった。日焼けの残る浅黒い肌に真っ黒な髪、引き結ばれた口元が意志の強さをうかがわせる。思慮深げな眼差しは、何もかもを見透かすように深い。そんな彼は子供たちにも鄭重に接した。小さな彼らと話をする時は、必ず目線を合わせるよう体を小さく折り曲げる。決して茶化さず、聞き流さない。ぶれることのない姿勢がすがすがしい。
涼は、口数の少ないぶっきらぼうな少年だった。姿は敬と全くの対を成している。明るい色の髪に日に焼けていない肌。細く筆で刷いたような切れ長の鋭い目。黙って立っていれば磁器の置物のようだ。だが、ひとたび口を開けば口は相当に悪い。おしゃべりな真とはすぐに気が合ったようで、時折いたずらっ子のように笑っては二人でじゃれ合うようになった。
――そして、悠は一目で、全員を虜にした。
その姿は、涼が陶器なら悠は象牙の人形だろう。肌は抜けるように白く、華奢な体はまだ幼さを滲ませるが、大きな瞳はすでに大人びた色を湛えている。
口数は極端に少なく、かすかな微笑みを口元に上せたまま同居人たちを眺めるのが常だった。性格は至って穏やかで優しいものの、一方で驚くほど強情な一面もあるらしい。悠がにっこり笑って首を振る場面を、暁もたびたび見かけた。
瞬はあの最初の出会いからずっと、悠から離れなくなっていた。まとわりつくでもなく、ただ後ろを付いて回っている。悠も嫌がってはいないようで、気づけば横に座って自分を見つめている幼子を、愛おしそうに眺めている。新参の三人が子供たちに心開いてゆく様に、暁は胸をなで下ろした。
*
「お前たち、今日はやけに静かだな」
ある日の夕方。暁が気づいて言った。まだ夕食前だったがすでに日は沈みかけ、木が大きな黒い影となって窓に迫る。ちょうど真が、カーテンを閉めようとしているところだった。
二十畳程の広さのこの部屋には仕切りもない。シャワーのみの浴室とトイレ、簡易ガスレンジ、電子レンジ、流し、小型冷蔵庫、棚と押入の付いたこの部屋が、彼らの自由を許された唯一の空間であった。
「悠が寝てるから」
瞬が声をひそめて言った。
悠たちが研究所に住み始めてから、早くも一週間あまりが経とうとしていた。
その間不思議なことに、悠は眠っていることが多かった。熱を出したのは初日だけで、特に体調に障りがあったわけではない。けれどただひたすらに眠いらしく、気がつくと部屋の隅でうずくまって眠っていた。今日も暁が見かねて布団に寝かせたのを、真は甲斐甲斐しく世話していた。額に手を当てたり布団をかけ直したり、細々と動き通しだ。
その傍らでは瞬が、眠る悠を無遠慮に見つめ続けている。
「お前さんたちが来てくれて助かったよ。俺一人に、子供二人だろ。手に余ってたところなんだ」
そう言って、苦笑しながら子供たちを見やった。
「そろそろ難しい頃なんだろうな。普段は仲が良いんだが、一つ意見が合わなくなると大荒れに荒れるんだよ。そういうときは上手く仲裁してやってくれ」
するとその台詞が耳に届いたのだろう。真が思い切りあかんべぇをして寄越した。敬は笑って、わかった、と言った。
暁から聞いた話によれば、野獣のような子供が他に何人もいると言う。
幸いなことに今のところ接触は一切なかった。おそらく暁が、会わずにやり過ごせる時間帯を選んで動いているのだろう。
そんな人間たちから幼い二人を守るのは並大抵のことでは無かったろう、と敬は思った。陰りのない純粋な笑顔を見るにつけ、暁がどれほどの愛情を注いでいるのかが分かる。子供達を見やる敬の顔は、自然と柔らかくなった。
「ここの暮らしにちょっとは慣れたか?」
「うん、まだ気になることはいろいろあるけど……」
「あぁ、そうだったな。うん……、何から話そうか」
涼は、暁と敬の話を聞きながらも、ちらちらと悠の方を気にしている。だが、悠が寝返りをうった時結局立ち上がった。後の二人は、面白そうにそれを見ている。悠の周りで子供達も眠ってしまったらしい。涼が毛布を引っ張り出しているのが見えた。
しばらくして戻ってきた涼も、二人の話の輪に加わった。
「ここの食事は朝七時と夜六時だろ。これは一応食堂で食う決まりになってるんだけど、言えば多少は融通してくれる。昼飯は各自で食う。学校に行ってる者は外飯だしな。長期休みの時は前もって言っておけば昼飯も作ってくれる。この部屋には冷蔵庫とレンジがあるから、一通りは自分で作ることができる。チビたちにも電子レンジの使い方は教えてあるよ」
ふむふむと頷きながら、敬が気になっていたことを尋ねた。
「ここに来いって誘われたとき、職員が『金は全額援助』って言ってたけど、あれってどういうこと?」
「研究所の方から、一人につき一カ月三万円が支給されるんだ。俺たち三人でだと、月九万円が自由に使える金ってわけ。それで服とか食い物とか買うんだよ。あと、通いで飯を作りに来てるおばさんと仲良くなったから、内緒で握り飯とか作ってくれるしな」
敬は感心したように言った。
「暁はすごいな……」
「他人任せにしてチビたちをヤツらみたいにはしたくなかったからな」
暁は憎々しげに言葉を切った。奴らとは他の住人のことなのだろう。
「それからここの建物のことは頭に叩き込んでおけよ。お前さん達、三階には行ったか?」
「三階? あぁ、一番最初に所長の部屋に通されたっけ」
「そうか、じゃ話は早い。三階には近づくな。絶対にだ」
そう言った暁の語気の強さに、敬が首を傾げた。
「うん、分かったけど……」
「けど、はナシ。絶対だ。いいな?」
きつく言い渡されて、二人は頷くしかなかった。
「よし。それから二階は居住区になってる。ヤツら……他の住人は大抵、向こうの北棟の端の大部屋にたむろしてるから、まず普段顔を合わすことはないと思うが、くれぐれも気を付けろ。一階は食堂のほかに、職員が詰めてる事務室が一つとリネン室、物置、多目的室、視聴覚室……まぁ、あれこれ名前はついてるけど、要は何にでも使える共同施設ってとこだな」
「暁」
「うん?」
「もう一つ、……学校のことだけど」
涼が言った。
「ここではどうなってる?」
すると逆に暁が聞き返した。
「今までどうしてた? 行ってたか?」
二人は顔を見合わせていたが、やがて敬が答えた。
「まだ……家にいた頃は小学校に行ってたんだけどさ。家を出てからは行ってなかった。で、悠と一緒に暮らし始めてからしばらくして、役所の人間が来たんだ。俺達を施設に入れて学校にも通わせようとしたんだけど、そこが三人まとめて入れてくれなくて、別々の施設に分けるって言い出したんだよ。だから逃げた」
「どこも事情は同じだな。ここじゃ希望すれば学校にも通わせてくれる。中学までだけどな。学費や制服代は出してくれる。高校以上はバイトでも何でもして、自腹で行けって」
そして暁は口をつぐんだ。窓から外を見遣る。この場所からは、緑と空しか見えない。
「暁は学校に行ってる?」
「ん? あぁ、面倒だけど、あとあと自立するためには行っておいたほうがいいしな。俺は高校に行ってるよ」
そう言って、暁は大人びた笑みをこぼした。今はちょうど秋季の休み期間だったらしい。
「お前さんたち、……年はいくつだ?」
敬はふと返答に詰まった。だが指を折って勘定する振りをした。
「俺と涼が十六、悠が十二歳……かな」
「ふぅん。それにしちゃぁ、二人は大きいな。俺、今年で十八だけど」
敬は暁に言われてきまり悪そうな顔をした。
「ほんとは自分の歳が分からないんだ。だから適当に言ってる」
「そんなとこだよな。まぁ、どうせ戸籍はでっちあげるんだろうし、年ぐらいいくらでも誤魔化せるだろう。でも、三人とも学校には行ったほうがいい。俺が所長に話してやるからさ」
「あ、悠は……」
敬が言った。
「だめなんだ。人が大勢いるところが怖いらしい。学校へ行くのはもうちょっと様子を見た方がいいと思う」
「そうか。まぁ慌てることはないか」
「うん。本当は俺達も、悠を一人にはしておきたくないんだけど……」
「甘やかすなよ、と言いたいところだけど、俺も同じだからなぁ」
笑いながら暁が言った。
「あのチビ二人、年はいくつぐらいに見える?」
「……六歳、くらい?」
だが暁は首を振った。
「九歳。たぶんな」
暁はそう言って、二人が寝ている方を見遣った。
「年の割に小さいだろ?」
「……」
返答に窮する敬に、暁は肩を竦めて見せた。
「あんなチビだし、親もいない。いじめられて辛い思いをするんじゃないかってさ。……俺も甘やかしてばっかりだ」
暁が出会ったとき、二人は一歳ほどだったらしい。乳離れはしていたがおむつはまだ外れていなかった。なぜ彼らが捨てられたのか、暁にも真相は分からない。ただ二人一緒に箱に入れられて、ビルの隙間に寝かされているのを見つけたのだ。箱の中にあったのは、二人の名前を書いたメモが一つだけだった。
「運がよかったんだろうな。捨てられてからそれほど時間が経ってなかったらしくて、まだ服も汚れていなかったし、体温も下がっていなかった。でも俺が見たときにはもう、置いていった者の姿はなかった」
少し痩せ気味の赤ん坊が、二人抱き合うようにして眠っていた。そのときの姿を暁は今も思い出す。
「二人は兄弟?」
「うーん、結局調べそびれて、今日まで来ちゃったんだよなぁ」
ここに入所したときにいろいろ検査はしたはずだ。だがその結果については暁も知らされていない。
「あの二人にも《力》って、あるのか?」
「あるよ。真にテレパシー能力があるらしい。瞬の方は今のところ何も出てないんだが、もし二人が兄弟だったとしたら、瞬にも現れる確率が高そうだと思ってる」
暁が答えた時だった。
部屋の隅で呻き声が上がった。その声は微かだったが、苦しげな呼吸と共に押し出された悲鳴ははっきりと二人の名を呼んでいた。すぐに涼が側に駆け寄る。
「どうした、悠」
悠は眠っていた。体を堅く丸め、毛布をきつく握りしめている。
「悠、ユウ」
涼が体を揺する。
だが悠は、ますます体を堅く小さくしようとする。握りしめた指が、血の気を失って白い。
噛みしめた唇の端からは、苦しげな声が漏れ続けている。
「起きろ、悠!」
涼がさらに強く揺するとびくりと体が震え、その大きな瞳が見開かれた。
「う……」
悠は、今自分がどこにいるのか咄嗟に思い出せないでいた。怯えたように視線だけを辺りに走らせる。
「力を抜くんだ」
涼が優しく言った。
「ほら……」
涼の指が悠の唇をそっと撫でた。そのまま頬に滑らせる。
もう一方の手で悠の頭をゆっくりと撫でると、徐々に悠の呼吸が落ち着いてきた。きつく噛みしめていた口元がゆっくりと解ける。だが握りしめた指は、まだ解けずに毛布に縋り付いたままだ。堅くなった指を一本一本引き剥がすように広げてやると、がちがちに固まっていた悠の体が、ようやくくたりと力を失った。
真っ赤に腫れ上がった唇が僅かに震えていたが、そこから悠が吐き出したのは、深い安堵の溜息だった。
「……リョ、ウ」
悠が手を伸ばす。
涼は、何も言わず悠を抱き上げた。
「いつも、こんななのか」
心配そうに暁が言った。たった今見た悠の様は尋常ではない。
悠は今、悪夢から解放されて安らかな寝息をたてていた。
「いつもはここまでひどくないけど、確かによくある」
敬は、涼の抱いている悠を毛布でくるみながら言った。
「悠の見ているのは、どうも予知夢らしいんだ」
「よち、む? って、あれか?未来が見えるって言う」
「あぁ。悠がうなされた後には、必ず何か悪いことが起こった。俺や涼が怪我をしたり、ね。悠はそれをひどく気にしてた。はっきりした夢なら、気を付けることもできるけど、悠の夢は曖昧な怖い夢らしいんだ。まだ小さいんだから、力が不安定でも仕方ないのに、こいつは自分を責める。自分が悪い夢を見るから、俺達に良くないことが起こるって。本当は反対なのに」
涼が顔を上げた。悠を抱く腕に力を込める。
「俺……悠を、もっとゆっくり寝かせてやりたい……」
「涼……」
暁は柄にもなく胸が熱くなった。悠を抱えて下から彼を見上げている涼と、その傍らで悠を見つめる敬。
「俺も、そう思うよ」
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