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第一章 入所 5
「サイコキネシス、とかってやつか」
タダシが言った。
扉が開いたのも、人が突き飛ばされたのも、すべて悠のしたことだった。
「計算外だったな」
「ガキ、逃げちまったぜ」
「いいさ。暁が知る頃には全部終わらせてやる」
そして悠の方に向き直った。
「後でせいぜい悔しがれ」
悠の背に悪寒が走った。タダシが扉脇に立つ少年に目を遣った。意を汲んだ少年が、瞬を引きずるように連れてくる。
「離せ……っ!」
「その子はもう良いだろう?」
「ふーん?」
「僕だけで、用は足りる」
そう静かに言うと、悠は瞬を拘束する少年に目を向けた。凪いだ目で見つめると、びくり、と震えて瞬を離した。
瞬は腕を掴む力が緩むと、すぐに悠に駆け寄った。悠はとっさに後ろ手に瞬を庇う。
「悠……!」
「もう、大丈夫。大丈夫だよ」
涙に濡れた顔を見ると、悠の胸が引き絞られるように痛んだ。
――金色の、小鳥が一羽。
「さて」
タダシがそれまでと変わらぬ調子で言った。一見平静のままのように見える。けれどその目を見たとき、悠には彼の怒りが手に取るように分かった。
彼の手には、悠の頬を削いだナイフが握られている。
「そのチビを、放してやってもいいが……」
タダシが言い差した。と同時に右手が動いた。
「……!」
刃が、悠の脇腹を突き上げた。
「お前が、耐えられたらな」
悠の目が見開かれた。大きく喘ぐ。声も上げられない。
瞬は何が起こったのか分からず、呆然と悠を見つめている。
「あれ、強情だな」
音が遠い。だが意味を理解するより先に、激痛が走った。
「あ……ぐ、ぅう……」
急激に血圧が下がり、視界が白くなる。
「いい声出せんじゃん」
タダシは、腹に突き入れた刃を勢いよく引き抜いた。
真っ赤な血液が弧を描いて迸り、瞬に降りかかる。
血飛沫はあたりに激しく飛び散ったが、誰一人顔を背ける者はいない。苦悶の表情の悠を、タダシも、少年らも愉悦の目で眺めている。
――雨と、
「ユ……ウ……?」
「じっと、して、いるんだよ」
――赤い雨と、金の
「少し、我慢して、ね」
――赤い雨と、金の、小鳥。
悠が、瞬を抱え込んだ。
「や……いやだ、ユウ……!」
「目を、閉じて……」
そう呟いたユウの背に、再び激痛が走った。
「ぐ、ぅ……っ」
悲鳴を上げそうになるのをぐっと堪える。が、背後から刺された刃が、悠の内臓を傷つけたのか、口から血が溢れた。
「やめて、やめてっ! 逃げて、逃げてよっ!!」
「……平気」
そう言って笑おうとしたが、タダシが刃をぐり、とこじると、激痛に身体がびくびくと跳ねた。
「強情なのは嫌いじゃないぜ」
タダシが笑った。
「なぁ、タダシぃ。もういいだろ? 後は俺たちに回してくれよ」
一人が言った。タダシが、頷いた。
「適当になー。殺してもいいけど、まー、どっちでもいいや」
*
瞬が絶望の悲鳴を上げた時、暁たち三人は研究所へ戻る途中にいた。
敬は、渋い顔をしている。
「学校で何かあったのか?」
「違う」
「いやな胸騒ぎがするって言うんだよ」
涼が言った。
「胸騒ぎ?」
「朝から、ずっと……」
敬は眉を寄せて言った。
「胸が、もやもやするんだ……」
と、不意に甲高い声が響いた。
――早く!
敬が足を止めた。
「何か言った?」
涼も暁も訝しげに敬を見た。首を振る。聞こえたのは敬だけらしい。
――早く帰ってきて! お願い……!
それは聞き覚えのある声だった。
「真!?」
「どうした?」
「真だ。真が呼んでる」
だが二人には何のことだかさっぱり分からない。
敬は、研究所に向かって駆け出した。
「真!」
「兄ちゃん!」
敬が弾丸のように部屋に飛び込むと、涙でぐしょぐしょに濡れた真が飛びついた。
「真、どうした、何があった」
「敬……」
涼が呟いた。
「二人が……いない」
敬が息を止めた。
「悠が、瞬が……」
真が泣きじゃくった。涼が喉の奥で低く呻いた。
「捕まっちゃったんだ!」
今度は暁が真っ先に駆け出した。
二人は、いた。
見つけやすいように、その部屋の扉はわざわざ開け放たれていた。
噎せ返る血の匂いの中、悠は静かに横たわっていた。
傍らには、全身赤く染まった瞬がぼんやりと座っている。
血にまみれた手を互いに握りあったまま、声一つ立てることなく、まるで二人で眠っているようだ。
だが悠の体は不自然にねじ曲げられ、青白い顔は明かりのない天井を向いている。
部屋の畳は、血を吸ってどす黒く染まっている。壁や天井にまで血飛沫が飛んでいた。
あまりの惨状に呆然とする暁の横を、敬と涼がすり抜けた。
「悠っ! 瞬っ!!」
二人の傍らに跪く。悠の白いシャツが、滅茶苦茶に裂かれて、赤く染まっている。
敬は震える手で悠の頸動脈を探った。そして、ほっと緊張の吐息を漏らした。
「い……生きてる……」
弱々しく微かな鼓動が、敬の指先に伝わってきた。
「……シュン、……瞬」
涼が瞬の身体を検分する。大きな傷はないように見えるが、全身に浴びた血が邪魔で判断が付かない。
「なぁ、しっかりしろ!」
涼がそっと頬を叩くと、ようやく瞬の焦点が結ばれた。
「リ……」
「よかった、大丈夫か? 暁! 瞬を頼む!」
その声に暁は我に返った。急いで瞬の側へ駆け寄る。
「どこか痛むか? 怪我は?」
「ユ……」
「うん?」
「ユウ……ユウ……」
「うん……」
「ユウ、……ち……いっぱ、い……」
悠の血を頭から被ったのか、瞬の顔はほとんどが血に染まっていた。その顔を、血のこびりついた手が覆った。
ずっと泣き叫び続けたのだろう。すっかり嗄れてしまった喉から、掠れたうめき声が漏れる。
「……瞬……」
「暁、部屋からシーツを持ってきて。担架にする。それから、タオルをたくさん。二人の血を拭いてやらなきゃ」
「分かった」
暁は、しっかりと握られた二人の手を優しく解くと、そのまま瞬を抱え上げた。
暁の足音が慌ただしく遠ざかる。と、涼が声を震わせ言った。
「本当に……た、助かるの……か」
悠の腕が、あらぬ方向に曲がっている。折れているのがはっきり分かる。触れるのも恐ろしいほどだったが、涼が悠のシャツを破った。左の脇腹と背に深い刺し傷がある。血は溢れ続けている。
「弱気になるな!」
敬も、涼と同じくらい不安だった。だが、そう口にした途端、悠が手の届かない所へ行ってしまいそうで恐ろしかったのだ。
「こんなところで……、こんなところで、死なせてたまるか!」
敬は何度も繰り返しつぶやきながら、零れそうになる涙を拭った。
悠は急いで部屋まで運ばれた。意識は尚も戻らない。血だらけの二人を見て、真が悲鳴を上げた。
「ひ、どい……」
真は泣きながら、瞬の手を取った。
「痛い? ねぇ、どこか痛い?」
真は、瞬の手が熱いのに気付いた。少し腫れている。
「ここ、怪我してる……」
真が瞬の手を包むように握った。
だが瞬の反応は鈍い。涙が乾いた跡の残る目は、中空を彷徨っている。
その時。
「悠!」
悠が目を開けた。
「ケイ……」
「喋るな。大丈夫、ここは俺たちの部屋だよ」
悠がゆっくり、ゆっくりと顔を巡らした。
「シュ……」
悠が微かな息の下から言った。
「瞬?」
その声が耳に届くやいなや、瞬ががばと立ち上がった。真の手を振りほどくと悠の元へと駆け寄る。
「悠!」
「シュ、ン」
血にまみれた瞬の顔を、悠が見つめる。左手を伸ばそうとしたが、折れた腕は言うことを聞かなかった。
「汚れちゃったね」
「悠……ッ! ごめんね……、ごめんね……」
「ぼくの、ことり」
「えっ?」
「汚れないように、した、のにな」
――夢の中のようには、いかなかったな。
小さく呟く声は、もう皆の耳には届かない。
「しっかりしてっ!!」
悠は、瞬をもう一度見つめると、ゆっくりと眼を閉じた。
悠の怪我は、想像以上にひどかった。
左腕と右足、肋骨の骨折、脇腹と背に刺し傷。無数の打撲傷。
呼吸の度に傷が疼くのか、苦しげに低く呻くその姿を、敬や涼は直視することができなかった。
「俺たちにできるのはここまでだ」
暁が俯いて言った。
「刺し傷はもうどうしようもない。深くないことを祈るしか……」
敬が縋るような眼で暁を見上げている。暁は目を逸らした。
いつの間にか日も傾き、辺りは暗くなっていた。
暁が明かりをつけた。
部屋の隅では、瞬が眠っている。その左手は、痛々しく腫れ上がっていた。
瞬の側には真がずっと付き添っていたが、その真も泣き疲れて眠ってしまった。
暁が涼の傍らに座った。敬も涼も、横たわる悠の側を離れようとしなかった。
「すまない」
暁が突然言った。
「暁が謝ること……」
「俺のせいだ。俺のせいなんだ」
暁は自分の頭を抱え込んで呻いた。
「あいつら、俺が目当てだったんだ。それを……くそっ!」
「誰のせいでもないよ」
悠の頭を何度も何度も撫でながら、敬がつぶやいた。
「暁のせいでも、瞬のせいでもないよ」
そうして瞬の方を見遣る。
瞬は涙を流すことも出来ず、酷く怯え、興奮して、手の治療すら拒んだ。
『――ごめんなさい……ごめんなさい……!』
『いいから、謝らなくていいから』
『ごめんなさい……悠に、けがさせて、ごめん……あんな、ひどいこと、どうしよう』
『瞬のせいじゃない! そうじゃないから』
『ごめんなさい……ごめんなさい……』
イヤイヤと首を振って、まるで罰を受けるように、自分に向けられる全ての優しさを拒絶する。
『瞬の手が傷ついたままだと、悠が悲しむよ』
優しく手を撫でて、気持ちを落ち着かせる。
指を曲げさせると辛うじて動いた。折れてはいないようだが、ヒビは入っているだろう。
堅いボール紙と包帯で応急処置をし、上から氷嚢で冷やすと、ようやく瞬は落ち着いたのか、気を失うように眠ってしまった。
「可哀想に……、悠が傷つけられるところを、ずっと見ていたんだよな……」
「あぁ」
涼が唇を噛んだその時、悠の右手が動いた。
すぐに敬が、その手を取る。
「どう? 気分は?」
悠は疲れたように眼を動かして、囁いた。
「痛い……」
「どこ? どこが痛い?」
悠は眼を閉じ、ほんの少しだけ首を動かして、言った。
「痛い……」
悠は手に微かに力を込めた。体は熱いのに、指先は冷たく強張ってしまっている。敬が、その手を温めるように包み込んだ。
敬は悔しくて、辛くてたまらなかった。二人は誰の助けも望めずに、どんなに恐ろしい思いを味わったことだろう。
何度も助けを呼んだのだろう。だが敬も涼も、その必死の声に気づいてやることができなかった。
「暗い……」
悠がつぶやいた。
敬は、驚いて口ごもった。暗い?
「暗い?」
涼が問うと、悠は小さく頷いた。
電灯は彼らの頭上で煌々と光を放っている。
誰も何も言わない。
悠が震える声で言った。
「敬……? 敬、いるよね……?」
「あ、あぁ、いるよ、ここにいるよ。手をつないでるよ」
「まさか……」
涼が言いかけると暁がそれを制した。唇に指を当てる。そして悠に言った。
「よく眠れるように、少し暗くしてあるんだ」
悠が二三度大きく瞬きした。怯えているのが分かる。痛々しい姿に、涼は涙が溢れそうになった。
「怖いか? 真っ暗?」
「ううん、真っ暗じゃ、ない……」
「頭は、痛くないか?」
悠はしばらく考えていたが、やがて、分からない、と言った。
「どこが、痛いか……分からない」
「そうか。気持ち悪くなったら言うんだよ」
悠は素直に頷いた。そしてしばらく、とろとろと夢うつつを彷徨った後、再び眠りに落ちた。
「目が見えないのか!?」
「真っ暗じゃないって言った。見えてはいるんだ」
「でも眼の辺りには傷はなかった」
暁が、考え考え言った。
「殴られて、頭を打ったのかもしれない。神経を傷つけたのかもしれないし、精神的なものかもしれない……」
「このまま、見えなく……?」
だが暁は肯定も否定もせず、力無く首を振った。
「祈るしかない。とにかく、本人には言うな」
「……ちくしょう!」
涼が呪いの言葉を吐いた。
「殺してやる。みんな殺してやる……!!」
涼の微かな叫びは、虚しく天井に吸い込まれていった。
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