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第四章 犠牲 5
一時の激情で駆け出した瞬だったが、どこか逃げる場所があるわけでもなく。足はとぼとぼと五号室へ向かっていた。
「……泣かせたかったんじゃ……ないのに……」
ことあるごとに、自分がいかに子供であるかを思い知らされる。
今だって自分の感情をぶつけることばかりで、悠の涙にすら気付かなかった。
悠の身体を支える長い腕も腕力もない。一方的に責めるだけで、悠や暁を助ける知恵も何一つ浮かばない。
物思いに沈みながら、瞬は部屋の前まで来た。扉は開け放たれたままだ。
――この扉だって独りじゃ開けられないんだ……。
情けなさに涙がにじむ。
瞬が、ゆっくり扉をくぐると、すぐに真が駆け寄ってきた。
「悠は? アキ兄は? どうしたの?」
手には雑巾と粘着テープが握られていた。後ろには掃除機もある。
「あ……掃除、やらせちゃってごめん……」
「いいよぉ、そんなこと。ねぇ、悠、具合悪そうだったけど大丈夫?」
「……うん……」
生返事を返しながら、瞬も雑巾を手に取った。
「良かったぁ。他の部屋にいるの? みんなも?」
「……うん……」
「そっか。あ、ガラス、掃除機で吸っておいたから、後はペタペタかけらをとって、拭くだけで大丈夫だよ」
「あり、がと」
「これ、瞬がやったんだよねぇ。すごかったなぁ」
「……」
「これって、悠のと同じなのかな? でも悠のは、バシっとはならないもんね。すごかったなぁ」
「すごくなんか……」
「うん?」
「全然、すごくなんかないよ……」
力のない返事に、真は掃除の手を止めて相手の顔を覗き込んだ。
「瞬?」
「あんなの……全然何の役にも立たない」
「そう? 色々便利そうだけどな」
そんな風にのんびりと話す真に、瞬は泣き笑いの表情で答えた。
「僕は、マコの力が欲しいよ」
「え? 僕の? テレパシー?」
「うん」
真の力があれば、せめて悠の苦しみが分かるのに。
「テレパシーかぁ。あれ、そんな良い物じゃないよ。聞こえるのは大抵いやなことか、怖いことばっかりだもん」
結局自分たちの持つ力は役に立たないお荷物ばかりというわけか。瞬は投げやりな気持ちでため息を吐いた。
「なぁに? さっきから元気ないね」
「……僕、みんなの足を引っ張ってばっかりで、力は役に立たないし、身体は小さいし頭もないし、言うことは無神経だし、バカだし……」
「うんうん」
「さっきそれで、悠泣かしちゃって……」
「それで落ち込んでるの」
「自分がイヤになる……」
最後は呟くような小声で言葉を押し出すと、瞬は項垂れた。言葉にするとなおさら情けなくなってくる。
と、瞬の顔を真がぐいっと持ち上げて、頬を抓りあげた。
「いてっ!」
「ばーか!」
そして抓り上げた指もそのままに、真は思いっきり瞬に頭突きを食らわせた。
ガツン! と大きな音が響く。
「いってぇ!」
「瞬のばーか!!」
「痛いよ、マコぉ……」
「君は大バカだよ! 全っ然らしくない!」
至近距離から、真の強い言葉が響き渡った。
「今、力が無くたって仕方ないじゃん、僕らまだ九歳だよ! だから、これから頑張れば良いんだよ!」
そしてそっと指を離して、代わりに瞬の頬に手を添えた。
「瞬の気持ち、よく分かるよ。僕もアキ兄が夜中にこっそり泣いてたの知ってるもん」
「マコ……」
「でもさ、僕らは諦めないもんね。小さいから、力がないから仕方ないって諦めちゃわないで、頑張ろうって思うもんね!」
「うん……うん、そうだよね」
僕らは小さい。非力で、全然役にも立てない。でも、力が無いことをちゃんと知っている。
「頑張るよ。頑張らなくちゃ、始まらないんだよね」
「うん!」
瞬は、真の明るい笑顔に救われる思いがした。何一つ解決はしていないけれど、前向きに、前進する事。
「明日起きたらさぁ、はたちぐらいになってないかなー。ぴょーんって。いっぺんに大人になっちゃうの。そしたら楽かな? それともつまんないかな?」
真は真面目くさった顔をして顎に手を当てる。瞬も、つられて考えるような仕草をした。
「どう……だろ」
「ま、いーや。それより掃除の続きしよ」
「うん」
「ねーねー、瞬はさぁ、おっきくなったら何したい?」
「……おっきくなったら、かー」
真から押しつけられた粘着テープを繰り出しながら考える。
「アキ兄をお姫さまだっこ、かな」
「……それは、かなり頑張って大きくならないとね」
「うん」
そういって、二人でふふっと笑い合った。以前のように屈託無く笑うことは、もうできない。けれどようやく、二人にも笑顔が戻ってきた。
*
「涼」
廊下に立って、窓の外を見ていた涼に敬が声を掛けた。
「落ち着いたか?」
「取り乱して、……ごめん」
敬はそう言って、恥ずかしそうに顔を逸らした。目元が、赤く腫れている。
「仕方ないさ、あんなの見ちまったら」
「あぁ……」
敬も、涼の横に並んで窓の外に目をやった。
雪はもうやんだらしい。二階から中庭を見下ろすと、木々が真っ白な雪に覆われてやけに広く見えた。
「悠は?」
「追い出された」
しょんぼりと言う敬に、思わず涼は吹き出しそうになった。
「こんな姿を見せなくないから、向こうの部屋へ帰れって。まだあいつ泣いてたのに……」
「それで拗ねてるのか?」
「拗ねてなんか……!」
「図星だろ?」
敬は言葉に詰まった。
「確かに、俺たちの中で一番悠の痛みを分かるのは暁だもんな」
「誰が一番辛いか、なんて、もう考えるのもうんざりだ」
「拗ねて、妬いて、詰ってさ。瞬と同じだな」
「からかうな!」
「からかってなんかない」
中庭を見つめたままの涼の横顔は、真剣だった。
「瞬に、辛いことを言わせちまったなと思ってさ」
「そう……だな」
「もう泣くな」
しゃくり上げる悠を抱きしめて暁が言った。だが悠の涙は止まる気配もない。
「身体に障るから」
先ほどまで側にいた眠りの帳は、どこかへ逃げてしまったのか一向に姿を見せない。
「苦しい……苦しいよ……」
嗚咽の合間から漏らした言葉は、あまりに痛々しい。
「みんなが、大事……僕なんか、いらないくらい、だいじなのに」
「分かってる。分かってるよ」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
酷く興奮し、声が震えている。暁はそっと悠の額に唇を宛てた。
「眠って。眠って、悠」
暁の触れた箇所が、ふっと温かくなった。
途端に悠の身体から、くたり、と力が抜けた。
「せめて、楽しい夢を――」
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