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第五章 変化 1
「二人とも! 遅れるぞ!」
「マコ、ほら上靴忘れてる」
「あー、待って待って!」
賑やかな声に、鞄のカタカタ鳴る音が重なる。
「それじゃぁ、行ってきます!」
「行ってきます!」
「はい行ってらっしゃい」
敬が手を振ると、瞬と真は競うように扉をくぐり、外へと駆けだして行った。
季節は冬を巡り、春を過ぎ、初夏を通り越して、既に梅雨の時期となっていた。
先の冬から小学校へ通い始めた瞬と真だったが、すぐに周囲にも溶け込み、今は楽しく通っている。年長の二人は彼らの変わらぬ様子にほっと胸をなで下ろしていた。
「朝から元気でうらやましいぜ」
涼が笑いながら言った。徹夜明けなのか、少し瞼が腫れている。
「なんだよ、寝てないのか?」
「朝まで詰め込んでた」
言葉と共に出そうになる欠伸を、濃いインスタントコーヒーで胃へ流し込む。それを見て敬が笑った。
「俺たちもそろそろ出かけないとな。お前今日、数学の試験からだろう?」
「そうだよ。涼は?」
「俺は化学。化学式が耳から零れそうだ」
小さな身体が弾むように外へ駆けていくのを、悠は別の部屋の窓から見ていた。
「ランドセル……」
小さく呟いた言葉を暁が拾い集める。そっと悠の後ろから窓に近づくと、瞬と真の後ろ姿が見えた。
「買わなかったんだな」
カラフルなリュックサックが、二人の背中で踊っている。
「残念」
「うん?」
「可愛かったろうなぁ、ランドセル姿」
そう言って悠はふふっと笑った。
「でも今日は二人の顔が見られたからいいや、ね」
そう言って笑顔のまま、暁の顔を下から見上げた。
「そうだな」
「あ、敬と涼だよ」
今度は年長二人が連れだって敷地から出ていくところだった。
心なしか涼の足取りが重いように見える。と、敬が笑いながら涼の腕を引っ張った。
「二人とも、なんか……」
「何?」
「うーん、何だろう、なんだか動きが……?」
首をかしげる悠に、暁も改めて二人の様子を見る。
言われてみれば確かに、どことなく動きがぎこちないような気がする。
なぜなのかとじっと見つめていたら、当の二人が立ち止まった。
くるりと身を返し、まっすぐに二階の窓を見上げる。
二人は悠達と目が合うと、敬は手を振り涼は敬礼を寄越した。そして返事を待たずにまた身を翻し、今度は競うように駆けだして行った。
「びっくりした」
「あいつららしいなぁ」
暁も笑う。
「そうだね、でも、おかげで分かったよ」
「何が?」
「二人が変な原因。あのね」
悠が、我慢できずにクスクスと笑っている。
「制服が小さいんだよ。敬礼したとき、涼の袖がものすごく短かった」
つられて、暁も破顔した。
「半年前にはちょっと大きめを買ったんだがなぁ」
「そうだったね」
たった半年しか経っていないのに、大昔の出来事だったように思えて、悠は懐かしそうに答えた。
「俺の制服、ブレザーだったから二人に廻せないんだよな……」
今年の春高校を卒業した暁は、就職せずにアルバイトを掛け持ちするフリーター生活に入っていた。
「みんな、どんどん大きくなっていくね」
悠はそう言って四人が出かけていった方角を見遣り、眩しそうに目を細めた。
*
冬のあの事件以来、暁と悠は五号室で寝食を共にしなくなっていた。
「俺と悠で、別の部屋に移ろうと思う」
悠の体調が落ち着いた頃だったろうか。暁が、敬だけを呼び出してこう切り出した。
「二人ともいつ所長に呼び出されるか分からん。一旦呼ばれたら、いつ帰れるか、無事帰れるかも分からん。……そんな俺たちをただ黙って待つのはイヤだろう?」
暁が言った。
「そんなこと……!」
「というかな、俺たちがイヤなんだよ、そんな思いをお前さん達にさせるのが」
笑って敬の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
「俺も悠も、お前達のために自分が犠牲になったとは、これっぽっちも思ってない。……逆にすごく幸せだと思ってる」
「嘘だ……嘘だ……」
敬が、小さな駄々っ子のように頭を振った。涙が頬を伝った。
「ホントだぞ? 俺たちがちょっと頑張るだけで、お前達が元気に暮らせるんだ。俺たちは、それだけ大きな力を持ってるんだって……これってすごいだろう?」
「これから……俺たちどうしたらいい? 二人が居なくなったら、どうやってやっていけばいい?」
「なにも。何も変わらないさ」
暁は、敬の頭に手を置いたまま少しだけ身を屈めた。二人の視線が合う。
「朝起きて、飯を食って、学校に行って、勉強して、遊んで、ここに戻って、笑って、寝る。俺たちのことは、普段は忘れていればいい」
「イヤだ! 忘れるもんか!」
「良いから忘れてろ」
暁はずっと笑っている。敬は急に暁が憎らしくなって、目の前の頬を抓りあげた。
「ムカツク」
それでも尚、暁は笑ったまま言った。
「いつも、いつもお前達のことを思ってる。そのことだけ時々思い出してくれたら、それでいいんだ」
敬は、暁と最後に会って話したときのことを思い出していた。
目の前の数学の試験はあらかた解き終わり、残りは足掻くだけ無駄だと放棄して、後はぼんやりと目の前の紙に視線を落とした。頬杖をつき右手は鉛筆を弄びながら、思いは宛てもなく彷徨い出す。
あの日無性に腹が立って、暁に腹の中の悔しさを全部ぶちまけてやりたかったのに、結局言葉は一つも出ず逆に泣きじゃくってしまった。暁に慰められるのも癪で、腹立たしくて、それよりも何よりも暁の顔を見るのが辛かった。終いにはろくに返事もしないまま、暁に背を向けてその場を逃げ出した。
――あれは、最悪の態度だったな……。
思い出すにつけ恥ずかしくなる。しかも尚悪いことに、部屋に戻っても涙は止まらず、待っていた涼の前で一時間近くも泣き続けてしまったのだ。
年少二人は初めて見る敬の様子に驚いていたものの、瞬は沈黙を守り、真は釣られて大泣きした。涼は、敬が泣いている最中も泣き止んだ後も、一言も何も言わなかった。
――あぁいうとこ、涼は大人なんだよな。
喧嘩っ早くてすぐに頭に血が上るのに、こういう事にはとても敵わないと、敬は思う。
瞬だけじゃない。自分だって、もっと強く、もっと大人にならなくては。
敬は、我知らず大きなため息を吐いた。
*
「山田君、山田敬君!」
試験が終わり帰り支度をしていたとき、敬は担任の教師から声を掛けられた。
咄嗟に自分が呼ばれていることに気付かなかった。いかにも偽名くさい、これが敬たちの名前だ。
「はい」
「この後、用事はあるかい?」
「いいえ」
「それじゃ、ちょっとこの後面談室へ来てくれ」
「はい」
敬が教師の顔を見ると、一瞬相手がたじろいだように見えた。
「じ、じゃぁ、頼むよ」
自分はそんな荒んだ目でもしているのだろうかと首を傾げる。ふと周囲を見回すと、幾人かのクラスメイトが教師と同じように一歩引いて敬を見ていた。
敬は苦笑しながら、
「お先に」
と、教室を出た。
面談室は職員室の隣にあった。その前まで来たとき、見慣れた姿がそこに立っていた。
「涼?」
声を掛けると薄い色の瞳が敬を刺した。
「睨むな。俺だよ」
「あー、すまん」
「眼鏡作れよ」
「そのうち」
「そのうちそのうちって、声かけるたびに睨まれる俺の身にも……お前、ここで何してるんだ」
「さっき呼ばれた。お前は?」
「俺も。ってことは、セットで説教か……」
「何かやったか?」
一瞬我が身を振り返ってみたが、何も思い当たることはない。
「何もやってない」
「俺も。じゃぁ、進路か」
二人とも今年の春から三年生に進級している。生い立ちが微妙な二人に関しては、特に教師も気を揉むのだろう。
「さっさと済ませようぜ」
短気な涼は、敬の返事を待たずにさっさと面談室の扉を開けた。
――案の定、二人の前にはそれぞれの担任教師が顔を並べて座っていた。
「敬君、涼君、二人に進路のことで聞きたいことがあります」
口火を切ったのは敬の担任の方だった。敬の担任は男、涼の方は女だ。
「……はぁ」
「こんな形で呼び出しちゃってごめんね」
二人に椅子を勧めながら先生が言った。
「この前出してもらった進路希望調査書、保護者印がなくてね」
「あー、すみません」
「うん……君たちの状況だとそのぉ、施設の責任者さんと我々がお話をするのは無理かな?」
「……はい、すみません」
敬が答える。涼は隣で椅子にふんぞり返っている。
「そっかー、うん、じゃぁその件はいったん置いといてね。先の進路希望調査で、敬君は定時制高校を希望と書いていたね」
担任が書類を指さした。
「はい」
「君の成績なら全日制で十分いけるけど、定時制を選ぶ理由があるのかな?」
そらきた、と敬は思った。涼の方をチラリと見たが、涼はあさっての方を見ている。
「俺、早く施設を出たいんです。生活に必要な金はもらっていますが、それほど余裕はありません。将来的に面倒を見たい同居の子供もいるし、十分に食べさせてゆくには、働きながらでないと無理だからです」
「それじゃぁ、涼君が就職希望と書いたのも同じ理由ね?」
女性教師が割って入った。その台詞を聞いて驚いたのは、敬だった。
「就職希望? お前が?」
「あぁ」
「あぁって、お前、学校には行っとけって暁に言われただろ」
「向いてないんだよ、勉強」
「向き不向きじゃなくてさ」
「いーや、働きながら勉強なんて俺には無理だね。それにあのときとは状況が変わっただろうが」
「え……」
「お前なら夜学に行くって言うと思ったよ。お前頭良いし、ここでやめるのももったいないもんな。でもそしたら、チビどもを夜二人で置いとくわけにいかねぇだろ」
涼がそっぽを向きながら言った。彼なりに照れているのだろう。
「いつもお前が考えるばっかだから、たまには俺がフォローしてやるよ」
「涼……」
「えーと、ちょっと良いかな?」
男性教師が言った。
「ぶしつけな質問だけど、君たち、月々いくらもらっているの?」
咄嗟に質問の意味が分からず、敬と涼は顔を見合わせた。
「えっと……一人あたり三万円、です、けど……」
「三万!?」
今度は、教師二人の声が重なった。
「食費は?」
「食事は、出ます。あと光熱費諸々は、別、です、けど……」
「育ち盛りの男の子が、月三万って……」
涼の担任が小さく呟く。
「君たち、ちゃんと食べているの?」
その質問で、ようやく二人は合点がいった。虐待を疑っているのだ。
困ったことになったぞ、と敬は思った。
確かに虐待はある。いや、あれは虐待と言うよりも拷問だ。
だがそれを知られるのはまずい。研究所に世間の目が向けられたら、真っ先に被害を被るのは悠と暁だ。
所長がどうなろうが大歓迎だが、きっと、所長は上手く立ち回って揉み消すだろう。そして怒りの矛先は悠に向くのだ。
敬は涼を見た。涼も、敬を見た。
「二人とも制服がかなり小さいみたいだけれど、買う余裕はあるの?」
更に答えづらいことをずけずけと聞かれ、つい返事に窮してしまう
「それは――」
敬が言い差したとき、突然、何の前触れもなく、机の上にあった花瓶が、音を立てて砕けた。
「きゃ……!」
大きなガラス製の花瓶が弾けるように砕けたのだ。辺り一面に水があふれ、床にまで大きな水たまりを作った。
「ちょ、ちょっと、大変!」
二人の教師は、大慌てで眼前の書類を助けると、雑巾を取りに部屋を出て行った。その隙に、敬と涼はその部屋を逃げ出した。
「あれ、どうやったんだ?」
急ぎ足で玄関口へ向かう途中、敬が聞くと涼は得意げに笑った。ガラスの表面温度をかなり熱してから、急激に温度を下げたらしい。
「花瓶まで離れてたから、上手く行くか賭けだったぜ」
「触らなくても温度がいじれるのか。すごいな」
「身体に合わせて、力も強くなってるみたいだ。お前は?」
「俺のは……使う機会があんまりないからなぁ」
瞬間移動を使う機会は、あるようでいて滅多にない。その上、敬は追い詰められないと能力を発揮できないようで、以前試してみたときは目の前の鉛筆一本すらぴくりとも動かなかった。
「……所長に目を付けられるなよ」
「まぁなぁ、こんな力、そうそう使い途があるとも思えないんだけど」
「そもそも、何で所長はあんなに力に拘ってるんだろうな?」
そう言いながら、敬は、以前悠が何気なく漏らした言葉を思い出していた。
――所長は、個人的な興味で実験している訳じゃないよ。この研究所自体は所長の私的な物みたいだけど、金は間違いなく外から入ってきてるよ。
――それが公の物なのか、私の物なのかまでは分からないけど、スポンサーは居るはず。
なぜそう思うのかと尋ねると、「……何となく」と言う曖昧な答えと笑顔が返ってきたのを覚えている。
「理由が分かったところで、気分が悪くなるだけだろうな」
「あぁ……」
そう返事を返して、敬は話題を変えた。
「先生たち、変に首を突っ込んでこないと良いけど」
「どうだろなぁ」
「とりあえず、夏休みまで何とか逃げ切るしかないな」
「……あーぁ、めんどくせぇ」
大きくため息を吐きながら、涼が言った。
「やっぱり考えるのは柄じゃねぇなぁ」
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