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第六章 羽化 4

 暁のほぼ計算通りだった。  瞬は十日後にようやく目覚めた。  夜毎うなされ、強制的に眠らされることを繰り返した瞬は、殆ど飲まず食わずで十日間を乗り切った。  瞬が目を開け体を起こすと、視界がぐらりと傾いだ。 「瞬!」  すぐに真が支え……ようとして果たせず、二人で布団の脇へ倒れてしまった。 「ごめん、マ……」  咄嗟に瞬が言った。が、驚いてすぐに口を閉じた。  ――なに、この声?  掠れた低い声。まるで別人のように聞こえる。 「瞬ー! 重いー!」  潰された格好の真は、すぐに敬に救出された。 「大丈夫か? 瞬、急に動いたら駄目だ」  涼が反対側から瞬を抱えた。  だが涼との距離感がなんだかおかしい。  涼の顔が、やけに近く見える。  あちこちに感じる違和感に戸惑っていると、敬が水の入ったグラスを差し出した。 「ほら」 「ありが……とう」  まただ。叫びすぎて声を潰したのだろうか?  グラスの水を飲み干すのを見て、暁がようやく声を掛けた。 「どうだ? 気分は」 「変な感じがする。部屋が……」 「うん?」 「大きさが、なんか、変」 「だろうな」  てっきり笑われるかと思ったら、暁はあっさり頷いた。 「立てそうか? 立てそうなら、一度立ってごらん」  瞬は頷いて、身体に掛かっていた薄い布団を除けた。  除けてから、絶句した。  足が、遠い。 「なっ……に、これ……」  小さく華奢だった足は消え、骨がゴツゴツと出っ張った、大人の男の足がそこにあった。 「アキ……」 「立てる?」  傍らで真が言った。 「う……ん」 「僕に掴まって」  真が手を握る。その手が妙に小さく感じて、瞬はまたぎょっとした。  とにかく暁の言うとおり立ち上がってみれば、自分の身に何が起こったのか分かるだろう。  そう決心して、瞬は真を支えに立ち上がった。  立ち上がって、上手くバランスを取れずによろめいた。 「おっと」  敬が横から支える。  その敬の顔が自分の顔よりも下にあったので、三度、瞬はぎょっとした。 「でかくなっちまったなぁ」  暁が泣きそうな顔で言った。  瞬の身長は、敬や涼を抜き暁と同じくらいになっていた。 「何があったか、分かるな?」 「僕……急に、大きくなった?」  筋肉は必要最低限しか付いていないらしく、歩くのにもふらつく。  そのため華奢には見えるが、やはり成熟した大人の骨格だ。 「お前の願いは?」 「……」 「お前は必死に何を願った?」 「暁と同じくらい、力が欲しい……そう願ってた」 「そうか」  そうすると、二十歳よりも少し手前、十八、九と言ったところだろうか。 「瞬」 「……」 「説教は後でたっぷりしてやる。まずは風呂に入れ。十年分の垢を落としてこい」 *  悠は自分の叫び声で目が覚めた。酷く汗を掻いている。  目覚めても、不安が後から後から押し寄せて消えてくれない。  夢の中で瞬が消えた。  それは一体何を意味しているのだろう?  まさかそんなことが起こるはずがない、と打ち消してみても、恐ろしい想像ばかりが浮かぶ。  胸が苦しい。  悠は、いやな夢の名残を振り払うように頭を振って、立ち上がった。濡れたシャツに手を掛ける。  着替えて、顔を洗って、気持ちを切り替えて、それから瞬に会いに行こう。  会って、この不安を笑い飛ばして欲しい。  そしてこの前のように、僕はいつも側にいるよと言って欲しい……。 * 「お、さっぱりしたか?」  瞬が、タオルで頭を拭きながら戻ってきた。  伸びすぎた髪は背中のあたりを濡らしている。  上半身は裸のまま、下のスウェットは暁の物を借りて穿いている。 「俺のでも丈が足りないなんて、なんかムカツク……」  敬の言葉に、真が笑った。 「涼は?」 「シャツの調達中」 「ねぇ、暁が髪切ってあげる?」  真がハサミを渡すと、暁が戸惑ったように頷いた。瞬の髪を切るのはいつ以来だろう。  床に敷かれた紙の上に瞬が座ると、暁はハサミを動かし始めた。  しばらくは暁も無言だった。その場の誰もが口をきかず、瞬の姿を見ている。  後ろから横を切りそろえ、頭頂部を刈り込み始めた頃、暁が口を開いた。 「なぁ瞬。今どんな気分だ?」 「よく、分からない」  瞬は、膝の上で手を握ったり開いたりしている。自分の手の大きさにすら戸惑っているのだろう。 「確かに僕は願ってた。早く大人になりたい、早く力が欲しい、って。だから……」 「嬉しいか?」  瞬は、暁の声の固さに気付いていた。 「……」 「お前の力は、何のためにある?」 「悠のため」  瞬は即答した。暁は溜息を吐く。 「僕は――」 「ほら、顔上げろ」  言われるままに顔を上げると、ハサミが前髪を短く切りそろえてゆく。ようやく、瞬の視界が開けた。 「お前は、『大人の力』と言うがな。それをどう使って悠を助けるつもりだ?」  急に問われて、瞬は言葉に詰まった。 「考えられるわけないよな。お前はついこの間まで、たった九歳だったんだから」  瞬の回りには、堆く髪の毛の山が築かれてゆく。 「十年分の、お前の髪だ。身体は十年成長した。……だが、中身は?」  暁は、そう言ってハサミを持つ手を止めた。あいた方の手でぐしゃぐしゃと頭をかき乱す。 「よし、終了」  すっきりした頭の下で、瞬は困惑したような、幼い表情を覗かせている。 「お前はもう九歳じゃない。中身はどうあれ十九歳になったんだ。その意味が――」 「悠!」  暁の台詞は、真の叫びで遮られた。 「みんな、おはよ……う?」  扉から顔を覗かせたのは、悠だった。 「突然ごめんね、あの……」 「あっ、久しぶりだね!」  真っ先に動いたのは真だった。急いで悠の側に駆け寄り、悠の身体をさりげなく扉の外に押し出そうとする。 「うわ、ちゃんと食べてるの? なんか痩せちゃってない?」  そう言いつつ悠の痩けた頬に手を添え、顔ごと外に向ける。  暁はその隙に瞬を部屋の隅へ押しやった。床に散らばる髪を急いで片付ける。  敬は少し遅れて真の応援に向かった。 「おう、元気だったか?」 「うん、あのね、実はちょっと気になって……」 「あぁ、暁ならこっちに来てるぜ」 「そうなんだ。でも今日は暁じゃなくて、シュ――」 「ねぇねぇ、もうご飯食べた? 僕まだなんだ。一緒に食堂行こうよ」 「そうだな、俺も一緒に行こうか」 「うん、敬も行こ。悠ったら見張ってないとちゃんと食べないんじゃない? もういけないなぁ」  一気にまくし立てる二人に、悠は急に押し黙ってきつく睨んだ。 「そんな怖い顔し――」 「二人とも、何を隠してるの?」 「なにも隠してな――」 「僕は、瞬に会いに来たんだ。瞬はいる?」 「瞬は、い、いないよ」  真が言うと、悠の眼光が増した。 「瞬に、何かあったの……?」  びくり、と真の身体が強張る。それで、悠は何かを悟った。 「なにか、あった、の」  その瞬間、予知夢の映像がフラッシュバックした。悠の身体がぐらりと傾いた。 「お、おい!?」  咄嗟に敬が抱きとめる。だがすぐに悠がその手を振り払った。 「瞬……?」  ふらふらとした足取りで、悠は部屋へ入ってきた。敬も真も、彼を押し留めることが出来ない。 「アキ……」 「……」  部屋には暁が居る。そして一人の見知らぬ男。  ふたたび、今朝の夢が悠に襲いかかった。  瞬が消えて、一人の、男が……。 「瞬は? どこ?」 「今は部屋に戻れ」  棒立ちの暁が悠に言った。 「ねぇ、瞬は、どこ?」 「瞬は、今はいない」 「じゃぁ、その人は、誰?」 「新入りだよ。後で――」 「ねぇ、瞬は?」  悠はうわごとのように繰り返す。 「ねぇ、どうして、僕の夢と同じなの? どうして、瞬が居なくて、知らない人が、いるの?」  ふらり、ふらりと悠の身体が揺れている。もう倒れてしまいそうだ。だが誰も悠に近づくことが出来ない。 「ねぇ、誰か、教えて……」  そのときだった。間の悪いことが重なった。 「シューン! 上着調達してきたぜ。お前ホントにでかくなりすぎ――」 「涼! 黙って!!」  真の制止の声は、しかし遅すぎた。 「どうした?」 「涼」  悠の物とは思えない、冷たく固い声が遮る。 「ユ――」  しまった、という後悔の表情が更に悠を逆撫でした。 「瞬はどこにいるの? 答えて!」  涼が口を開いた。が、その前に別の声が言った。 「僕は、ここだよ」  瞬だった。  半ば覚悟していたのだろうか。それとも理解の範疇を超えてしまったからだろうか。  悠の反応は鈍かった。 「瞬……?」 「そうだよ」 「その、姿、は?」 「……」 「これは、僕の夢の、続き?」  そう呟くとその場にへたり込んでしまった。  暁がすぐに駆け寄って支える。だが悠は暁を見ていない。眼前の見知らぬ男をじっと見つめたままだ。 「瞬は?」 「……」 「どこに隠したの?」 「だから僕が――」 「君が隠したの? だったら、返して。瞬を返して!」  悠の絶叫が暁の胸を抉った。 「あの人が、瞬を隠したんでしょう? ねぇ、僕の、大事な人を返してよ……」 「小さかった瞬は、もう居ない!」  暁が叫んだ。 「もう居ないんだ!」 「嘘……嘘だよ。ねぇきみ、何が欲しいの? 僕の命で良いなら、あげる。それで瞬を返してくれる?」  悠が薄く笑った。 「どうせ所長の嫌がらせだよね。瞬を隠せば、僕が何でも言うこと聞くって。そうでしょう?」  悠の言葉に暁はぞっとした。このままでは悠が壊れてしまう。 「ほら、僕を好きにして良いから。瞬を返して……。返してよっ!」 「僕が、瞬だよ!」  悠の血の滲むような絶叫に、たまらず瞬が叫び返した。 「僕が、小さかった瞬だよ!」  悠は大きく目を見開いたままだ。 「僕は力が欲しかった! だから願った! 願って、願って、君を守る力を手に入れた!」  悠の目から大粒の涙がこぼれた。震える唇から辛うじて言葉を押し出す。 「嘘……」 「本当だ!」  悠はしばらく目の前の若い男を凝視していた。  がっしりとした身体。きつく握りしめられた大きな手。意志の強そうな精悍な顔。  だが悠はその中に瞬の面影を認めた。そしてそれは、絶望への引き金だった。 「瞬……なの?」 「そうだよ!」 「僕、君に言ったよね?」 「……」 「時間は、全部、君の物だって」 「そうだよ。時間は僕の物だ。僕が好きにしていいんだ。だから僕は時間を飛び越えた! 君のために!」 「僕の、ため?」 「悠の身体を支える長い腕が欲しかった! 殴られても傷つけられても壊れない強い身体が欲しかった! 君と一緒に歩く長い足が欲しかった!」 「僕が、君の大切な時間を、奪ってしまったの?」  悠がふらりと立ち上がった。身体に廻されていた暁の手を払いのけるとゆっくり瞬に近づく。 「君は、失った時間がどんなに大切な物か、分かっていないんだね?」 「時間なんて――」 「君は、ゆっくり時間を掛けて君が得るはずだった物を、すべて置き去りにした。すべてを、裏切った」  悠が静かに言う。 「僕が、そうさせてしまった……」 「そんなこと、問題じゃない!」 「僕は取り返しの付かないことを、君にさせてしまったんだね」  悠はそう呟くと、突然身を翻した。  台所のシンクに倒れかかるように飛びつくと、果物ナイフを抜き取る。  そしてそのまま部屋を飛び出した。    *  全員の反応が遅れた。何が起こったのか、悠が駆け出した意図が分からず呆然と立ち尽くす。  最初に我に返ったのは涼だった。  扉の側に立っていたため、すぐに悠を追いかけることが出来た。  だが、それでも間に合わなかった。  涼が追いついたとき、悠は自分の腹にそのナイフを突き立てたところだった。 「やめろっ!!」  涼が後ろから腕を掴む。しかし悠は信じられない力で涼を振り払った。  そして、ナイフと抜くともう一度腹に突き立てる。  血が噴き出し、廊下に大きな血溜まりを作った。 「やめろ! やめてくれ!!」 「死なせて……」  そう呟いて、悠は三度、腹に突き立てた。  後から追いついた者たちが見たのは、血の池の中でうつろに微笑む悠だった。涼は悠の腕を後ろから必死に抑えたまま、泣いている。  悠が瞬の姿を捕らえて言った。 「瞬、見てごらんよ。僕はこんなに刺しても死なないよ? こんなに血が出ても死ねない。こんな化け物を守る必要がある?」  悠は声を上げて笑った。 「君に守ってもらわなくても平気。だって化け物だもの。僕には怖いものなんてなにもない」  知ってた? と笑いながら悠は言った。そして血を吐いた。 「僕は君の毒にしかならない。ねぇ殺してよ。心臓を刺したら止まるかな? 首を切り落とせば、こんな僕でも死ねるかな? それともこの前みたいに、血を空っぽにしちゃおうか」  そう言って、今度はナイフで手首を掻き切った。  動脈を切ったのか、激しい血飛沫が上がる。赤い雨が壁に毒々しい模様を描く。  真が悲鳴を上げた。 「マコ。僕の中を見ちゃいけないよ」 「暁! 悠を止めて! お願い止めて!!」  真の絶叫に暁が動いた。悠の作った血溜まりの中に両膝をつく。 「お前を死なせてやった方が、良いのかもしれない……」  暁が呟くと、笑顔が張り付いたままの悠の目から涙がこぼれた。 「でも、それでもお前は生きなきゃならない」  悠の笑顔が絶望の表情へと変わる。 「どうして! 死なせてよ! 僕が生きていても、瞬のためにならない!」 「お前は、生きて、幸せにならなくちゃいけない」 「そんなの……無理……」 「無理じゃない。絶対に、無理じゃない」  暁が囁くように繰り返す。悠の目からは涙が溢れ続けた。 「もう、イヤだ……悲しいのも、辛いのも、痛いのも」 「うん……うん」 「ちょっと幸せになると、すぐに誰かが壊しに来る」 「うん……分かるよ」  暁が悠に近づいた。悠をおびえさせないよう、ゆっくりと手を伸ばす。  手首から溢れ出す血が、すぐに暁を赤く染めた。 「死ねば全部終わるのに」  暁の手が悠の頬に触れると、それだけで悠はびくりと身を震わせた。 「お前が死ぬときは、俺も一緒だ」  暁、悠の傷ついた腕を強く握った。腕は細く、二の腕ですら暁の手に握り込んでしまえる。あまりにか弱く、それでいて痛いほどに激しい悠。 「一緒に連れて行け」 「どうして……」  悠の涙が床に落ち、血と混じる。 「どうしてそんな酷いこと、言うの?」  悠の手からナイフが落ちた。  そのまま悠は顔を覆った。血にまみれた指の間から嗚咽が漏れる。  ようやく暁がその身体を抱き留めると、多くの血を失った悠はそのまま意識を手放した。

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