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第七章 拷問 3

 首が痛い。背中が痛い。  瞬は首を動かした。消毒液の匂いがツンと鼻につく。  そこは狭い部屋の中だった。低い寝台に寝かされている。拘束はされていない。  身体を起こそうと右腕を寝台についた途端、激痛が肩から腕に掛けて走り抜け、瞬は呻いた。  だがその痛みのおかげで、瞬ははっきりと思い出した。 「悠……、悠は……?」  そろそろと立ち上がる。足はなんともない。  その部屋は本当に狭かった。寝台が一つ、小さな棚が一つ、棚には脱衣用と思しき籠が一つ、扉が、二つ。壁には短いカーテンが掛かっていた。おそらく、これは窓だろう。そう思って瞬はそっとカーテンを開けた。そして窓の向こうの部屋に、悠が横たわっているのを見つけた。 「悠!」  すぐに、そちらの部屋に通じていると思われる扉へと飛びついた。だが、鍵が掛かっていてどうやっても開かない。  瞬はもう一方の扉へ駆け寄り、性急にノブを回した。  鍵は掛かっていなかった。  だが彼は、扉の向こうに誰かがいるかもしれない可能性を、全く失念していた。  激しい音を立てて扉を押し開くと、その向こうに白衣の男が座っていたのだ。  男は突然現れた人間に驚いた様子で固まっている。  瞬も一瞬驚いたが、我に返ったのも早かった。そのまま男に構わず、脇を走り抜けて更に奥の扉へと向かう。  そして扉を開けようとノブに手をかけたとき、男が言った。 「ま、待て!」  瞬は無視した。そのままノブを捻る。 「待てって! 撮影が済んでから開けてくれ!」 「撮影?」  瞬が振り返った。 「何の撮影だ」 「レントゲンだよ」  そう言われて初めて、男の前に並ぶ機器類が目に入った。確かに見覚えはある。 「嘘じゃないだろうな」 「ここで嘘ついてどうするんだ」  男が呆れ顔で言った。 「そっちに行きたいのか?」  瞬が無言で頷く。 「それなら今から一枚撮るから、それからにしろ。いいか? 動くからな?」  男はそう言って、目の前の機械のボタンを一つ押した。ブザー音が流れる。 「よし、もう入っていいぞ」  その言葉も終わらない内に、瞬は扉を開けた。  レントゲンの撮影台の上で悠は横たわっていた。  眠っているのか、それともまだ意識が戻っていないのか、目を瞑ったままだ。 「悠……」  頬に手を滑らす。その肌はぎょっとするほど冷たく、生気がなかった。  そのまま悠を抱き上げようとしたとき、扉の方から男が言った。 「動かすなよ」 「うるさい!」 「落ち着け。その嬢ちゃんは無事だ」  瞬は、はっとして男を見た。 「ショック状態で血圧は下がっているが、命に別状はない。」 「あんた……」 「説明してやるから、こっちに来い」 「嫌だ」 「取って食わねぇから」 「お前らのことが信用できると思うのか!」  そう怒鳴ると、瞬はもう一度悠の頬を包んだ。乾いた涙の跡が指に触れる。  また泣かせてしまった。また痛い思いをさせてしまった。  瞬の目に涙が滲んだ。だがここで泣くわけにはいかない。泣くのは二人で無事に帰ってからだ。  瞬は袖でぐいっと目を擦った。 「気持ちは分かるがな。一応、嬢ちゃんはここで寝かせておくのが、その傷には一番良いと思うぞ」  尚も男が言う。瞬は、きっ、と男を睨みつけた。 「おまえたちが傷つけたんだろう! 勝手なことを言うな!」 「んーまぁ、お前さんにしてみりゃ、俺もあいつらと同類か」  そう言って男は頭を掻いた。男はとりあえず二人を引き離すのは諦めたようだ。  代わりに、封筒を片手に瞬の方へと近づいてきた。 「これを見てみろ」  と、抱えていた封筒を差し出す。  瞬は一瞬躊躇った後、封筒を受け取った。 「レントゲン写真だ」  瞬が取り出してみると、確かにそれはフィルムだった。かなりの枚数がある。 「所長の指示でな。三十分毎に撮影してある」  数えてみると、写真は十枚あった。と言うことは、撮影を開始してから五時間は経ったと言うことか。 「僕は、五時間も寝ていたのか……」  瞬は唇を噛んだ。 「お前さんのは寝ていたっつーか……、気絶だな、ありゃ」  男が言う。瞬は男の顔をまじまじと見た。白髪交じりの男だ。だいぶくたびれた格好をしているが顔立ちは思いのほか若い。男は片手で無精髭を擦りながら、もう片方の手で写真を指さした。 「時間毎に並べてあるんだが、分かるか?」  瞬は写真を並べてみたが、フィルムなので判別が付かない。  男は笑って、 「こっちにこい。データにしたのがあるから」  と言った。先程とは違い、瞬は躊躇った。 「大丈夫だ。嬢ちゃんはもう回復期に入っている。回復期間には眠り続けるんだろう? それなら、少しぐらい側を離れても大丈夫だ。こっちからも窓で確認できるから、何かあってもすぐに気づける」  さすがに、悠のことはよく知っているようだ。男を信用した訳ではなかったが、瞬はひとまず男に従った。 「扉は、開けておく」 「あぁ、構わないよー」  男は扉を見ようともせずそう言うと、ディスプレイのスイッチを入れた。画面に黒と灰色の写真がずらりと並んだ。 「嬢ちゃんのは、粉砕骨折、だな。膝より下が粉々に砕けている」  一枚目の写真に写っていた骨は、元が一本の物だったとは信じられないほど細かく砕けていた。 「足首から下もだ」  白く写っているので骨だと分かるが、内出血のためか、全体に少しぼやけて見える。 「一枚ずつ見てもわかりにくいが、全体を大きく眺めてみると、三枚目の辺りから、骨の一片一片が大きくなっているのが分かるだろ」  そう言われて目を凝らすと、確かに小指の先ほどだった骨片が、親指の先ほどになり、やがては指の長さになるまで形成されていた。 「嬢ちゃんの不幸中の幸いは、開放骨折でなかったことだ」 「開放、骨折?」 「要するに、皮膚が破れていなかったって事だよ。内出血は酷いが、皮膚が破れなかったから、細菌感染を起こさずに済んだ。これが一つ」  瞬は、黙って聞いている。 「二つ目は、膝関節が無事だったことだ。関節っつーのは複雑でな。腱やら軟骨やらまぁ、いろいろと絡み合っているわけだ。嬢ちゃんは足首の関節はダメにしちまったが、膝は無事だった。膝は全身のクッションのような物だから、ここをやられたら今後の運動能力に大きな支障が出る」  そして瞬を見て言った。 「お前さん、肩は?」 「え? あ、痛む、けど……」 「だろうな、脱臼していたし」 「……」 「聞いた話だとお前さん、嬢ちゃんを庇って槌の下に飛び込んだそうだな」  瞬は黙って頷く。 「お前さんは運が良い。頭をかち割られることもなく、骨も折れず、脱臼をしただけで、しかも嬢ちゃんの膝を守ったんだからな」 「……」 「どうした」 「守った? 僕が?」 「あぁ。位置的にも、ちょうど最後に膝を割るつもりだったんだろうな……」 「少しは……役に立てた、のか?」  そう呟くと、瞬は手近な椅子にどかりと腰を下ろした。 「どうした?」 「なんでもない」  瞬は、この男に気を許しそうになっている自分に気づいて、慌てた。  男は所長の仲間だ。それにもしこの男に害意はなくとも、所長はきっとここも監視している。  瞬はほどけそうになる緊張をかき集め、もう一度気持ちを奮い起こした。 「悠の足の治療は?」 「これだけ細かく砕けていると、プレートで繋ぐのは無理だ。逆に、開いて中をいじると危険だってことで、牽引だけしたらしい。怖いのは急性循環障害だが、こちらは経過観察中だ」 「後遺症は」 「残る、と考えた方が良いだろうな」  男の宣告に瞬は頭を抱えた。半ば覚悟はしていたが、悠が知ったらどんなにショックを受けるだろう。 「神経は辛うじて通っている。麻痺はないだろう。だが、関節も酷い状態だし歩行に困難が生じることは予想できる」 「分かった」  男はなぜか、申し訳なさそうに鼻の頭を掻いた。 「関節が大事ってのは、お前さんにも言えることだぞ。肩関節の脱臼は癖になることが多い。気をつけろ」  今度は、瞬も素直に頷いた。 「ちょっとあんたには答えにくいことを訊くが、良いか?」  瞬が言うと、男は姿勢を正した。 「当たり障りのない返事しか期待するなよ」  その言葉を軽く笑って制し、瞬が言った。 「僕たちは今、拘束されているのか?」 「厳密に言えばそう言うことになるかな。嬢ちゃんはこれから直近十二時間の間、三時間おきに四回レントゲン撮影、その次の十二時間は六時間おきに二回、その次は十二時間おきに二回、撮影する」 「あと丸々二日か」 「確か、三日ほどで骨は再形成されると聞いたが」  瞬が聞いた話もそうだった。『足の骨で三日』と敬が言っていたのを思い出す。 「ただ、今回これだけ細かいと……」  男も頷く。 「まぁ、それもあって今回の検査なんだろう」 「この後、悠をどうするんだ」 「ヘタに動かすと、逆に再形成の邪魔になるかと思ってなぁ。もう少し骨が出来るまではあそこに寝かせておこうと思うんだが」  どうだろう、と意見を求められて瞬は驚いた。なぜ所長の仲間が自分の意見を聞いてくるのだ。 「上半身はレントゲンに関係ないんだろう?」 「あぁ」 「じゃ、もう少し柔らかいマットを敷いてあげて欲しい」  堅いガラス板の上で長時間寝かせられるのは、あまりに可哀想だ。  そう言うと、男は分かった、と頷いた。 「僕は……ここにいても良いか」  問いかけ、と言うよりも確認の意を込めて瞬が言った。  男は、少しの間考えていたが、 「撮影の時だけこちらの部屋に移るのなら、それ以外は好きにして良い。その代わり機材には触るなよ。壊されたら困る。ものすごく困る」  と言った。話は決まった。

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