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第八章 汚辱 2

 約束の日になった。  事情を知らされていない悠と真は、他の者達の静かな緊張を敏感に感じ取っていたが、何も言わなかった。  皆それぞれが、平静を装って出かけてゆく。  悠はいつもの小部屋で本を読んでいたが、ふと顔を上げた。 「え、遅くなるの?」 「うん、今日はちょっと寄ってくるところがあって……。一人で大丈夫?」 「うん」  少し寂しそうな顔で頷く悠に、瞬はつい顔が綻んでしまった。こうして素直に感情を見せてくれるのがとても嬉しい。 「ごめん、出来るだけ早く帰るから」 「うん、待ってる」  そう言って、悠はようやく笑った。 *  敬は会合の予定時間よりも早くに件の喫茶店へ到着したが、大津は既に先に来ていた。敬の顔を認め、手を挙げる。  敬は大津に一つ頷くと、店には入らず外へ出た。そのまま店の脇で待つ。  やがて大津が現れた。 「どうし――」 「ついてきて下さい」  そう短く言い置くと、くるりと後ろを向いて歩き出した。  店から十五分ほど歩いただろうか。  人気のない古いアパートの側まで来たとき、敬が立ち止まった。後ろを黙って付いてきた大津も一緒に足を止めた。  敬は辺りをぐるりと見渡し人影のないことを確認すると、さっと大津の手を取った。そして、 「静かに」  とだけ言うと。  ――跳んだ。  次の瞬間、大津が目にしたのは古いアパートの一室だった。  自分がどうやってここに来たのか、理解できない様子で周囲を見廻す。  彼は、人が住まないまま何年も時を過ごした、たわんだ床板の上に土足で立っている。  大津の傍らには、敬が立っていた。 「すみません、説明もなしに跳んで」 「とぶ?」 「……」  なんと説明したものかと思案に暮れている敬の後ろから、三人の人影が現れた。一人は涼だ。だが大津には、残る二人は面識がない。 「敬」 「なんとか上手く行った」 「誰にも見られなかったか」 「あぁ」  三人の内、一番背の高い青年が敬と言葉を交わしたのち、大津の方に向き直った。 「保護者の、暁です。初めまして」 「初めまして」  はずみで挨拶を交わしたものの、自分の置かれた状況が未だに飲み込めず大津は押し黙った。だが暁は説明を後回しにした。  後ろに控えていたもう一人を、前に押し出す。 「ご無沙汰しています、先生」  そう言われて、大津が不審そうな顔をした。  だが相手の顔を穴が開くほど見つめた後で、はっと息を呑んだ。 「瞬君ですか……?」 「はい」  瞬が頷く。それきり大津も黙ったままだ。  五人は突っ立ったまま互いの顔をちらちらと見比べていたが、やがて暁が一息吐いて言った。 「とりあえず、座りましょう」  五人はそれぞれ、昔の住人に置き去りにされた壊れかけの椅子や段ボール箱に、思い思いに腰を下ろした。 「先生、驚かせてしまってすみません」 「いえ……、しかし……」  一体何から説明を求めて良いやら、さすがの大津も混乱を隠すことが出来ない。  そんな様子を見て、暁が口火を切った。 「まず俺たちと研究所の事から説明しましょう」 *  明たちの会合よりも遡ること一時間。  九月の日の光は、この時刻になってもまだ勢いを残したままだ。  悠はカーテン越しにその強い光を眺めていたが、そのうちに開いていた本は指を離れ、床へ転がった。  ――早く、帰ってこないかな。  最近、瞬のことばかりを考えている。  瞬と離れていると、ひどく寂しいと感じてしまう。それは不思議な感覚だった。  一人でいることには慣れていたはずなのに、どうして寂しいのだろうか。瞬がほかの人と違っているのだろうか。  試しに真と瞬の存在を比べて考えてみたが、途中から悠にはよく分からなくなってしまった。  真はかわいい。それは瞬も同じだ。  一緒にいると楽しい。それも同じだ。でも……。  瞬のことを考えると、みぞおちの辺りがきゅっと重くなる。瞬のことをずっと見ていたいのに、見ているとなんだか泣きたくなる。  これが罪悪感のせいなのか、全く別の感情なのか。それが分からない。  ふとした折に抱きしめてくれる、その体温に安心するのは相手が暁でも敬でも同じだ。同じはずだ。でも、瞬だけが違うのはなぜだろう――。  誰にもいえない気持ちを抱えたまま、思索は堂々巡りになるばかりだ。  いつの間にか悠は浅い眠りに落ちていた。  どれほど眠ったのだろう。ほんの十分か、それとも一時間も眠ったのだろうか。  気怠い午睡を破ったのは、鍵を開ける音だった。  夢うつつの中で悠はその音を聞いた。  ――帰ってきたかな?  悠はゆっくり目を開けようとした。  と、急に口を塞がれた。  驚いて目を開けたが、眼前にあったのは見知らぬ男の顔だった。  男の動作は速かった。  悠の口に布きれを詰め込むと、シャツの前をまさぐる。  悠が驚きのあまり悲鳴も上げられずにいるのを見て、男はにやりと笑った。そして、シャツのボタンを引きちぎった。  ボタンが弾け飛ぶのが、スローモーションのように目に写る。  男は悠のシャツを脱がすと、腕は抜かずに後ろ手に縛り上げ、あっさりと悠の腕を拘束してしまった。  悠の身体をひっくり返しうつぶせにする。そしてあろう事か、悠のスウェットの腰紐をほどきにかかった。  そこまで来てようやく悠が我に返った。足をばたつかせて抵抗する。 「おっと」  男はにやにやと笑ったまま腰から手を離すと、拘束されている悠の腕を掴んだ。そのまま悠の上体を引き起こす。悠の白く薄い胸板が、前に突き出されるように撓った。 「いいねぇ、こうでなくちゃ」  そう言うと、男は悠の胸を探る。やがて小さな乳首を見つけ、つねり上げた。 「っ……!」  悠が鋭い痛みに身を捩ると、男はその隙に紐を解き、スウェットを脱がせてしまった。 「なんだ、触られたこともないのか?」  耳元で男がからかう。だが、悠には男の言う意味が全く分からない。服を脱がせて何をするつもりなのか、分からない。  とにかく男の手から逃れようと藻掻くが、拘束は予想外に堅く身動きもままならない。  その間にも、男の手は悠の下着の中へと侵入してきた。 「……!?」  あまりの気持ちの悪さに、悠の身体が震えた。男が鼠径部をなで回す。  後ろから抱え込まれた格好なので、相手を蹴り倒すことも出来ない。身を捩って抗うことしか出来ず、悠は呻いた。  それを男は都合良く勘違いしたようだ。節くれ立った堅い手が陰茎に触れた。  ――気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い!  悠はとっさに、唯一自由になる頭を後ろに思い切り反らした。と、ちょうど男の頭がそこにあった。ガツリと鈍い音がして男の拘束が緩む。  無我夢中で男の手から逃れると、悠は立ち上がって扉の方へと逃れた。  右足が引き攣れるように痛む。足がもつれ、思うように前に進んでくれない。しかも腕が使えない今、扉を開けるには力を使うしかない。  気持ちが焦る中、扉を開けようと集中させたそのとき、悠は追いついてきた男に再び引き倒されてしまった。受け身もとれず強かに右肩を打つ。激痛と共に、ごきり、と嫌な音が聞こえた。 「ぐぅぅっ……!」  身を折って痛みに耐える。 「今のは鎖骨の折れた音か? それとも肩が外れた音か?」  倒れ込む悠の傍らに男が立った。 「大人しくしておけばいいのに」  そう言って、悠の右肩を踏みつけた。 「あぁぁぁ……っ!」 「痛そうだなぁ」  悠の悲鳴は、口の中の布きれに吸い取られる。  激しい痛みに一瞬気が遠のく。だが男はそれすらも見越していたようで、その瞬間に足を除けた。  気を失うことも許されず、悠は荒い息の下から男を見上げた。 「……」 「何だ?」  悠は男を睨むと、上手く動かない舌を動かして何とか布を外に押し出した。 「何、する……」  悠が荒い息の下で呟くと、男は愉快そうに言った。 「ふぅん、知らないままってのもそそられるが……まぁ、教えてやろうか」  男が爪先で悠の肩をぐり、と押した。悠が痛みに身をよじると、その浮いた身体に足をこじいれ、悠の身体をひっくり返す。  後ろ手に拘束された腕が潰され、さらなる苦痛に悠が呻いた。 「所長の命令でな」  男が胸ポケットから、半透明の試験管のような容器を取り出した。くるくると弄んでみせる。 「この容器に三本分、あんたの精液を取ってこいとさ」  悠はその言葉が理解できなかった。『セイエキ』という音が意味を成すのにすら時間が掛かる。 「なんだよ、もしかして性教育から始めないとわかんねぇのか?」  男が心底呆れたように言った。  悠にも一応の知識はあるにはあった。だがそれは所詮本の上の知識でしか無く、まだ悠の身に実感としてあるわけではなかった。  それをなぜこの場で、この状況で男に責められねばならないのか。悠は無言のまま怒りを込めて男を見た。 「しかたねぇ、薬使うか」  男は反対のポケットから注射器とアンプルを取り出した。悠の目が大きく見開かれた。 「なにっ……」 「合成麻薬だが、常習性はないから安心しな。すーぐに気持ちよくなれるぜ」  男は慣れた手つきでアンプルから薬液を吸い上げると、悠の腕に素早く注射した。悠が抵抗する間もない。 「こんなの使わずに可愛がってやりたかったが……出ないんじゃしょうがねぇしな」  男は立ち上がると、悠の残された着衣に手をかけた。  悠も抵抗はしたものの、足に力が入らない。男はあっさりと下着を取り去ってしまった。シャツの拘束も外されたが、片腕はもう動かなくなっていた。 「へぇ、真っ白だ」  男が全身を舐めるように見つめている。 「こりゃ……たまんねぇな」  その呟きにざわざわと肌が粟だつ。この男は一体何をしようというのか。 「それじゃ、薬が効くまで軽く遊んでやろうか」  そう言って、男は悠の肌に触れた。ささくれだった指が胸の上を這い回る。小さな胸の突起を執拗に押しつぶし、摘ままれる。 「さ、わる、なぁっ!」  肌の上を無数の虫が這っているようだ。ただただ気持ちが悪く、吐き気さえする。 「気持ち悪いだけかな?」  タバコ臭い息がかかって、思わず顔を背ける。  そんな悠の様子をちらりと見ると、男は悠の下半身に手を伸ばした。 「見てみな」  男が悠の足を持ち上げて、押し開く。すると、ゆるりと立ち上がった性器が悠にも見えた。自分の、性器だ。 「え……」  そのとき、心臓が大きく脈打った。顔が熱い。 「なに、これ」  鼓動は収まらず、大きく打ち続けている。顔の火照りは下へと広がってゆく。男が、悠の性器を握った。 「いや……」  痛いほどの強さで、下から上へ擦りあげられる。 「いや、いやだ……」  どくどくと心臓が脈打つのに合わせて、性器の堅さが増す。 「な、に?」  ――こんなの、しらない。  自分の身体が、自分の知らない変化をしてゆく。男の手はしごくように動いた。指先が先端をかすめるたび、悠の背筋に堪えきれない嫌悪が走る。  だがそれも最初だけだった。嫌悪感は、すぐに快感にすり替えられる。  悠が、初めて味わう性の快感だった。 「やだ、こんな、いや……!」  頭を振って快感を逃そうとするが、男はがっちりと悠の腰を抱え、間断なく刺激を与え続ける。  そして悠の陰茎が十分に立ち上がると見るや、先ほどのプラスチックの容器をはめた。 「さて、一度軽くイっておくか?」  男が、舌をべろりと出すのを、悠は朦朧とする視界の端に見た。 *  暁の話が進むにつれ、大津の顔色が失われていく。その様子を瞬たちは黙って見ていた。  そもそもが突拍子もない話だ。大津が席を蹴ってしまえばこの話はなかったことになる。  大津はどうするのだろう。そして……自分たちはどうしたいのだろう。瞬たちは銘々に思いに耽りながら、大津を見ていた。  やがて暁が話を終えた。  大津は何も言わず、じっと手元を見つめている。  どれくらいの沈黙があったか、ふと、大津が顔を上げた。 「先の敬君の……あれが、力、ですか?」 「はい」 「瞬君のも?」 「おそらく」 「なるほど……」  そう言うと大津は背筋を伸ばした。 「それで私に出来ることは何ですか?」 「まさか信じるんですか?」  瞬が半ば驚いて言った。 「信じるも何も、実際にこの目で見てしまいましたからね。この不思議な力があなたたちにあるということは、その研究所も実在すると言うことです」  そう言うと、大津は自分の言葉に自分で頷いた。 「先生」  暁が言った。 「俺たちの計画に乗ってくださいますか? 一度乗ったら後には引けません。やめるというなら、ここで、今聞いた話の記憶は消させてもらいます」 「記憶を? 消す?」 「俺にはそれが出来ます。俺たちと、あなた自身を守るためにも」  そう言って言葉を切った。しばらく考える時間が必要だと思ったのだ。  だが大津の返答は早かった。 「協力しましょう」  暁はその言葉に少し驚いたようで一瞬息を詰めた。大津の顔をまじまじと見つめる。それからしばらくあって、大きく息をついた。 「ありがとうございます」 「いいえ。実を言うと、瞬君に会うまではまだ迷いがありました。私が人を救うなんて大それた――おこがましい考えなんじゃないかと。でも、瞬君の顔を見て分かりました」  大津は瞬を見て微笑んだ。 「これが私に課された使命なんでしょう」 「……使命、ですか?」 「はい」  頷いて、暁の手を取る。 「あなたたちが幸せになるための、手伝いをさせて下さい」  暁達は黙って大津に頭を垂れた。 *  悠は、激痛に翻弄されていた。もうどこが痛むのかすら分からない。  抗う内に動く方の腕が男に当たると、男はその腕も稼働外の方向へ捻った。悠の肩は簡単に外れた。  あまりの痛みに悠が気を失うと、男は何度も頬を打ち、揺すぶって覚醒させた。そして悠の後孔に指をめり込ませた。 「いやぁ……!! 痛い! 痛い……!!」  男が乱暴に指で中をこじると、柔らかな皮膚と粘膜は簡単に裂けた。鮮血が足を伝う。 「痛い? こんなに勃起させといて、痛いって?」  男は身体と一緒に、言葉でも悠を嬲った。 「ちょっと薬で助けてやったが、感じてるのはお前の身体なんだぜ」  そう囁いて、悠の胸にしゃぶりついた。  散々に弄られて腫れ上がった乳首が、柔らかく乱暴な舌の刺激に応える。 「あぁ……んっ、……ふぅっ……ん」  悠が堪えきれずに喘ぐと、それに合わせて、堅く張り詰めた性器がびくびくと震えた。 「こんなに喜んでるじゃねぇか」  男は、後孔への刺激を続けながら言った。 「ほら、こっちももう痛いばっかじゃないんだろ?」  流された血が男の侵入を助ける。  男の言ったとおり、悠の下半身は徐々に痛みとは別の、何か得体の知れない感覚に覆われ始めていた。 「っや……だ……」  痺れるような、重苦しい何かが、背骨を這い上ってくる。悠は首を振った。  男を押しのけて逃れたいのに、肩を外されて、腕はもう使い物にならない。  蹴り倒してやりたいのに、動くはずの足ですら力が入らない。  悠の身体の何一つとして、思うように働いてくれない。  男がにやりと笑った。 「そろそろ、天国に行ってみるか」  男は指を引き抜くと、血が溢れ続ける後孔に自らの性器を宛がった。そして、一気に貫いた。  悠の絶叫は、男の手によって塞がれた。  焼けた金串で身体を刺し貫かれたような衝撃に、悠の意識が遠のく。が、続けて始まった律動がそれを許さなかった。 「あぁ……あぁぁ……あつい……」  臓物を引きずり出されるような動きは、ひどい痛みを与え続ける。  ずるりと男根が引き抜かれるたび粘液と共に血が飛び散り、悠の目からは激痛と屈辱とで涙が溢れた。それなのに。 「すげぇな、あんた。ずっとイきっぱなしだぜ」  悠の陰茎からは、絶え間なく精液が零れ続けていた。それは容器から溢れて、臀部を伝い、床に染みを作る。  男はその容器を取り替えると、今度は自らの快楽を追うことに集中し始めた。 * 「よぉ」  研究所の玄関をくぐったとき、声を掛けてきた者がいた。  その姿を認めると、瞬の顔が酷く曇った。 「そう嫌そうな顔をするなよ。お前一人か?」  タダシだった。正面の階段に緩く腰掛け、瞬にひらひらと手を振っている。  瞬は今、一人だ。熱心に計画を練りはじめた暁達を残し、先に戻ってきたところだ。  瞬は相手を無視して脇を通り過ぎようとした。  だがタダシの足が、その行く手を塞いだ。 「待てよ」 「お前と話すことは、無い」 「おぅおぅ、一人前の口をきくようになったじゃないか」  その口ぶりに、胃が捩れるような不快感を覚える。 「ついこの前まで泣き喚いてるだけのガキだったのにな」  そう言って笑う。瞬は、じろりと睨むだけで堪えた。 「けどさぁ、でかくなったのは図体だけか?」  そう言うやいなや、タダシは瞬に足払いを仕掛けた。瞬は咄嗟に足を引く。上体が傾ぐ。  体勢が崩れたところに、タダシの拳が脇腹へねじ込まれた。  瞬はまともに食らってよろめいた――が、倒れることなく反転し、勢いを付けて回し蹴りを放つ。  瞬の足はタダシの鼻先をかすめた。 「っぶね」 「避けるな」 「なかなかやるじゃん」  タダシは軽口で瞬を煽ろうとした。だが瞬は無言で懐に飛び込んだ。鳩尾に臂打ちを食らわす。タダシは両腕を下げて防ぎ、すぐに腕を跳ね上げて瞬の顎を砕こうとする。それを仰け反って躱すと、そのままの姿勢から身体を捻り、もう一度踵でタダシのこめかみを狙った。軽い擦過音がして、タダシがよろめいた。 「いってぇ」 「まだやるのか」  瞬が問うと、タダシは肩を竦めた。 「あーぁ、めんどくせぇなぁ」  タダシの目の色が変わった。瞬にも見覚えがある、人を嬲るときの目だ。タダシが、にやりと笑った。 「ちょっとばかしデカくなったからって、もう俺に勝った気でいんの?」 「……」 「おまえはなーんにも変わっちゃいねえよ。力も使えねぇ、ただのガキが」  ――力が使えない? 「相変わらず頭わりぃしな」 「……」 「俺が。わざわざ。ここで。待ってた理由が分からないか?」  瞬は黙ったまま、眼前の敵を見つめた。そして、さっと青ざめた。 「お前ら、悠に何を……」 「さぁてねぇ。俺はここで足止めするよう言われただけだしぃ」  そう言って口元に残忍な笑みを浮かべる。  皆まで聞かず、瞬は脇をすり抜けようとした。だがそれは叶わなかった。タダシが腕を掴む。 「行かせるわけねぇだろ」  タダシは瞬の腕を捻ると、いとも簡単に床に叩きつけた。受け身を取る間もなく、背を強かに打ち付け息が詰まる。 「おいおい、隙だらけじゃん。単純~」  そう言って、更に腕を捻り上げる。瞬は、ぎりぎりと音が出そうな程にタダシを睨み付けた。間近にタダシの顔がある。  瞬は空いた左手を振り上げた。タダシの顔面を狙って掌底がうなる。タダシが躱す。拘束が緩んだ隙に瞬は相手の手を振りほどいた。  同時に床を蹴って下半身を振り上げる。頭を下にくるりと後転すると、すぐさま身を起こした。相手から距離をとる。  タダシは階段を背に、余裕たっぷりに笑っていた。瞬はできるだけ冷静になるため大きく息を吐いた。  ……相手の動きを止めることなら、きっと出来る。電気を操る力を以てすれば一時的に足止めは可能だ。  だが、おそらく所長側は瞬の能力に気付いていない。瞬が能力を発現したあの日。あの後も、所長はこの瞬の能力に関して何も言ってこなかった。  今、タダシも瞬を無能と侮っている。  暁は言っていた。あの時の電気嵐で、部屋を監視していたカメラが壊れたのかもしれない、と。  それで所長は気付かなかったのだ。そして、それならば。こちらの手の内を晒すわけにはいかない。  これから始まる計画のためには、持てる駒を一つでも増やしておきたかった。  ――電気は使えない。  瞬は目の前に飛んできた拳を腕で受け流すと、相手の腕の下へ潜り込んだ。そのまま流れるように腕を取り、背負い投げの要領で投げ飛ばす。  タダシは受け身をとると、するりと腕を抜けて軽い身のこなしで跳ね起きた。  しかし。  眼前に瞬の姿は既に無く。  階段からかすかな足音が届くだけだ。 「……逃げやがった」  タダシが呟いた。  瞬は何よりも悠のことを最優先にした。こんなところで時間を食っているわけにはいかない。  タダシも瞬を追うことを考えたが、すぐに面倒が先に立った。所長への義理は既に果たしたのだ。後は勝手にすればいい。 「あー、腹減った」  タダシはすぐに興味を失うと、その場から跳んで消えた。

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