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第九章 欲心 2

 暁が頻繁に外出するようになった。  それまでもアルバイトだ何だと留守にすることは多かったから、少しぐらい外出が増えたところで不思議はない。おそらく誰もその違和感には気付いていないだろう。  だが悠と瞬だけは、時折見せる彼の疲れた顔に気付いていた。  ぼんやりと手元を見たまま動かなくなるときがあると、悠はさりげなく近づいて話しかけた。  壁に寄り掛かって本の活字を読むでもなく見つめているときは、隣に座って手を握った。  そして瞬は、出来るだけ不自然にならないように席を外した。悠を独占したい気持ちとは裏腹に、なぜだか今の暁には悠が必要なのだと、そう思った。  そんなある日のこと、瞬に向かって暁が言った。 「明日なんだが、俺のバイト先で手が足りなくなったんだ。手伝ってくれないか?」 「あぁ、うん、いいよ。何のバイト?」 「工事現場の交通整理。もしかしたら、しばらくの間手伝ってもらうことになるかもしれない」 「俺は……悠さえよければ」 「僕は関係ないでしょう?」  横から悠が言う。 「大ありだよ。拘束時間も長いし、ここの部屋で一人で待てる?」  悠は少し目を泳がせたが、それを気付かせないよう取り繕うと笑った。 「大丈夫。良い子で待ってます」  二人とも、暁の誘いが単なる口実であることに、既に気付いていた。 「しばらく借りていくぞ」  暁が表情を変えずに言った。 *  次の日。暁が瞬を連れて訪れたのは、やはり工事現場などではなかった。  何年も前に捨て置かれた雑居ビルの一室。割れたガラスの残る扉を軋ませ、二人は中へと入った。 「今日からお前に課題を出す」  瞬は黙って頷いた。 「お前の電気を操る力は、幸い所長にバレていないらしい。これは俺たちの強みだ。お前はこの力を100%制御できるようにしろ」  暁は傍らの鞄からいくつかの工具類を出して、埃の積もるデスクに並べた。 「このビルはまだ電気が来ている。そのコンセントの穴に針金を突っ込んでみろ」  暁が針金を手渡す。瞬はしばらくそれを見つめていたが、意を決してコンセントに向かった。床に膝を突き針金を握り直す。 「――自分の力を信じろ」  その言葉に瞬の頬が赤くなった。そうだ、自分が自分を信じないでどうする。  瞬は思い切り針金を突っ込んだ。 「――どうだ」 「何ともない」  ぴり、とも感じない。電気の走る、痺れるような感覚もない。 「何か、それ以外に感じるか?」 「何か?」 「《電流》と言うくらいだ。何か流れるようなものを感じないか」  そう言われて瞬は目を閉じ、手元に感覚を集中させた。  意識はやがて手元から握る針金へ、そしてその先へと移る。 「あ」  それは突然だった。  コンセントカバーに覆われたその先に意識を向けた途端、瞬は大きな奔流の中に放り出された。  美しく輝く光の流れ。それは荒々しくも激しくもない。暗闇の中、ただ何ものにも遮られず素晴らしい早さで駆け抜けてゆくだけだ。  奔流は幾筋にも分かれることと撚り合わさる事とを繰り返している。この川を渡ればどこへでも行けそうだ、と瞬が思ったとき、誰かに肩を掴まれた。  瞬は常世に引き戻された。  肩を掴んだのは暁の手だった。 「大丈夫か」  心配そうな顔で覗き込まれ、瞬は今自分がどこにいたのかを思い出した。  瞬は頷いて額の汗を拭った。見たことのない世界に、酩酊したような気分になる。 「光る川が、見えた」  瞬が言うと暁が頷いた。 「身体はどうだ」  問われて立ち上がってみた。 「大丈夫、何ともない」  少々の疲労を感じたがこの程度ならどうと言うこともなかった。 「よし、それじゃもう一つやってみてくれ」  次に暁が指し示したのは部屋の隅に転がるパソコンだった。かなり古い型らしく、ブラウン管型のディスプレイの隣に大きな嵩のハードディスクがつながっている。 「この事務所で使われていた物だろう。電源コードはつながっているが通信ケーブルはつながっていない。お前はそのコンセントから入って、電気回路を渡って、このパソコンに侵入しろ」 「パソコンなんて使ったこと無い」 「あぁわかってる。だがパソコンを動かすのは電気だ。中から主電源を入れて、侵入して中のデータも読めるはずだ」  そう言ってから、笑って瞬の額を小突いた。 「物は試しだ。怖がらずにやってみろ」 「だっ、誰が怖がって――」 「腰が引けてるぞ」 「そんなことない!」  瞬は苛立ちを隠さず言うと、もう一度先ほどのコンセントへ向き合った。  針金を差し込む。同じ手順を踏んで電流の中に身を置くと、不思議なことに建物の電気回路の様子がすっと頭に染みこんできた。  瞬の欲しい情報が電流の河川の中から浮かび上がってくる。  暁の示したパソコンの入り口は瞬の入ってきた場所のすぐ側にあった。そちらに意識を向け扉を開ける。  中は真っ暗だった。  ――電源が入っていないからか。  瞬が手を伸ばすと、まるで水のように目の前の部屋に電気が染みてゆく。  そして部屋の電気を付けるような軽い気持ちで指を弾いた。  パソコンの電源が入った。  後は簡単だった。現実世界と同じ、ファイルボックスに入れてある書類を読むようにしてパソコンに残されたデータを読む。  ファイル形式もパソコンの専門言語も瞬には全く関係なかった。  ざっくりとその内容を見渡すと、瞬はその部屋を後にした。 * 「不思議だよな……俺、電気の仕組みも回路のことも、何も知らないのに」  瞬は古ぼけたパソコンを前にして、少し興奮気味に言った。 「なんでこんな事が出来るんだろう」  暁は笑って話を聞いていたが、ふと寂しそうな顔をした。 「本当に、なんでだろうなぁ」  窓の外の灰色の景色を見ながら暁が言った。 「この力がなけりゃ、もっと違う人生だっただろうな」  暁の言葉は重すぎて瞬は返事が出来ない。と、暁が「ゴメン」と笑って話を変えた。 「なぁ瞬」 「うん?」 「お前、――悠が好きか?」  それはあの日、瞬が十九歳になった夜に問われた言葉だ。  瞬はまっすぐ暁を見た。そしてまっすぐ答えた。 「好きだ」 「――そうか」  暁が視線を落とした。 「それなら、いい」  暁は笑っていた。 「それなら……いい」  独り言のようにつぶやく暁に、瞬は戸惑う。 「いいのか」 「何がだ」 「俺が……悠を好きで」 「いいよ」 「だっ――」  だってあんなに悠を必要としているくせに。悠が欲しいくせに。 「そんな顔するな」  暁が笑ったまま、瞬の額を軽く小突いた。 「前に言っただろ? 俺の『好き』と、お前の『好き』は違うって」 「俺が悠を貰っても良いのか」 「ばーか、それは悠が決めることだ。俺がどうこう言うことじゃないだろうが」 「そりゃ、そうだけど――」  納得いかない、とばかりに口ごもると、暁は瞬の肩に手を置いた。 「お前も悠も人のことばかり考えすぎだ。ちゃんと優先順位を付けろ。俺の事なんて二の次三の次で良いんだよ」  そう言うと、暁は「この話はお終い」と立ち上がった。 「さぁ、続きだ。もうあまり時間がない」

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