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第九章 欲心 3

 ――こうして呼び出されるのは一体何度目だろう。  瞬は、悠と一緒に暗い廊下を歩きながら考えた。  もうすぐ夕食の時間、と言う時になって五号室を白衣の男が訪れた。この日の目的はやはり悠だった。 「所長が呼んでいる。来たまえ」  どうという特徴のない男が、全く感情のない声で言う。悠はさっと青ざめたが、辛うじて悲鳴を飲み込んだ。 「……はい」  悠が返事をする。だが男と悠の間に瞬が立ちふさがった。 「俺も行く」 「だ、だめだよ!」 「いーや、俺も行く。良いですね」 「好きにしろ、と所長が言っていた」  白衣の男はそう言って扉から離れた。 「瞬!」 「いこう」  悠の抗議などお構いなしに瞬が手を取った。そして 「行ってくる」  と、後ろで見守る皆に声を掛けた。 「――頼んだぞ」 「あぁ」  暁の呟きに短く答えると、納得できない様子の悠の手を引いて瞬は歩き出した。  相変わらず、地下の施設はどこをどう歩いているのか見当も付かない。  天井を見上げると、太いダクトやパイプが縦横無尽に走っている。  ――太いのが、おそらくは電気系統か……? 「バカ」 「え?」  瞬の少し後ろを歩く悠が小さく言った。握られた手に力がこもる。 「瞬のバカ」  もう一度言った。 「バカ?」 「バカだよ。こんなのに付き合うことない」 「悠」 「今からでも部屋に戻って……」 「いやだ」 「シュ――」 「離れない」 「瞬!」  瞬は後ろを振り返ることなく、悠の手を引いて歩き続ける。 「何があっても、絶対に」  悠がなおも言い募ろうとしたそのとき、前を行く男の足が止まった。 「入れ」  その部屋に、悠は見覚えがあった。 「あ……」  目の前にあるのは簡素なスチールの寝台。目を射るほど眩しい真っ白い部屋。銀色の機械。 「あ……ぁ……」  がくがくと身体が震える。異変に気付いた瞬がすぐに悠の腕を引いた。 「悠!」 「ここ、イヤ」  瞬が抱き留めようとしたが間に合わず、悠は震えたまま力なく床にへたり込んだ。 「悠君は物覚えが良いようだ」  部屋に声が響いた。 「所長」  上品な毛皮を被った怪物の声だ。瞬が正面の暗いガラスを睨む。  音量は大きくないはずなのに、じんじんと声が耳に響く。 「君の腹を裂いた部屋だからな。まぁ致し方あるまい」  瞬の脳裏にあの悠の傷が蘇った。それでは今日もまたここで、あの拷問を繰り返そうと言うのか。 「何をするつもりだ!」 「おや、騎士殿は今日も威勢が良い」 「答えろ!」 「すぐに分かる。悠」  びくん、と悠の身体が跳ねた。 「下を脱いで寝台に上がれ」 「は、い」  催眠術に掛かったように、悠はふらふらと立ち上がると所長の命令に従った。  瞬が手を出そうとすると頭を振ってそれを遮る。  悠はなおも震えながら寝台へ上った。  と、それが合図だったかのように、奥の扉から白衣の人間が二人現れた。  一人は銀色のトレイを持っている。金属の触れ合う音が聞こえたとき、悠が一層身を縮こませた。  瞬はいつでも飛び出せるように身構えていたが、予想に反して白衣の者たちは何もしない。トレイを寝台の横に置くと、部屋の脇へと控えるように立った。 「さて――」  所長の声が、再び容赦ない言葉を並べ始める。 「悠君は手淫をしたことはあるかな?」  問われて悠は顔を上げた。顔の見えない所長の方をそれでも見る。 「え?」 「君はマスターベーションをしたことがあるか?」  所長は表現を変え悠に問う。瞬は直截な言葉に頬が朱に染まるのを感じた。が、悠はきょとんとしたままだ。 「まったく君は進歩がない」  しかし半ば予想していたのだろう。まだ所長の声に苛立ちはなく、単に呆れているようだ。 「君は性器を自分で触れたことがないのか」 「お、お風呂で、なら」  あります、と消えそうな声で言う。大仰な溜息がマイクの向こうから漏れた。 「瞬」  所長が矛先を変えた。 「……」 「君は意味が分かるな」 「……」 「分かるな?」  強く言われて、瞬は仕方なく頷いた。 「では瞬に言おう。悠の精液をアンプルに三本、収集しろ」 「なっ……!?」 「お前が手伝ってやっても良い」 「何を言って……」 「嫌なら薬か、別の男を使うまでだが」  瞬は二の句が継げず、大きく喘いだ。 「この前のようにな」  瞬の脳裏に、忘れよう、忘れようとしていたあの光景が蘇る。  触らせない。所長に悠は、絶対に触らせない。 「わかり、ました」  瞬に抱きしめられ、悠は少し身体の緊張を解いた。が、その瞬の手が自分の下半身に伸びたとき、悠は訳が分からず瞬を振り仰いだ。 「瞬?」 「……」  瞬は優しく微笑んだままだ。 「なに、するの?」 「何も考えなくて良いからね」 「瞬?」 「俺だけ、見ていて」  耳元で囁くと、瞬は悠の未発達な性器を包み込むように握った。 「……!」 「ゴメン……」 「や……」 「ゴメンね……」  悠も、あのおぞましい一件のことを思い出していた。あの日、見知らぬ男が嬲った場所。同じ場所を今、瞬の指が辿っている。 「やめてよ、やめて!」  悲鳴に近い声で悠が叫び、瞬を突き放そうとしたが、瞬はがっちりと悠を抱きしめたままだ。  その間にも瞬は悠の陰茎を優しく擦り、快感を呼び起こしてゆく。 「や……、んっ」  拒絶の言葉に小さく続いた甘い声を、瞬の耳は掬い上げた。 「あ……ぅん」  瞬の腕の中で悠の体温が駆け上がってゆく。温かい涙と吐息が、瞬の胸に深く染みて棘のように刺さる。  悠の手が瞬のシャツに縋り付いた。 「気持ち、いい?」  瞬が小さく囁くと、悠はいやいやをするように首を振った。だが悠の性器はすっかり堅く立ち上がっている。  瞬は悠から手を離すと、脇のトレイに載った試験管のような容器を手に取った。 「填めろ」  所長の声が指示した。 「検体を汚染したくない。先端に填めておけ」  その声を遠くに聞きながら、瞬は言われた通りにした。悠が身を捩る。 「気持ち悪い……」 「少し、我慢して」  そして瞬は、愛撫を再開した。 「んっ……んっ……」  少し甘えたようにも聞こえる声に、瞬はくらりと目眩を起こす。  まるで麻薬のように、悠の声が脳を浸食してゆく。  やがて快感に馴れていない悠の身体は、呆気なく最後の砦を放棄した。 「あぅんっ……!」  仰け反り白い首筋を晒しながら、悠は精子を放った。  しっとりと汗ばんだ身体。乱れた髪。  瞬は、悠の唇に自分の唇を重ねた。 *  小野寺はこの呼び出しを訝しんでいた。  レントゲン技師の自分がなぜ手術室に呼び出されねばならないのか。  しかもいつもなら部下に言って寄越すところを、今日に限って所長自らが小野寺を呼び出したのだ。 「嫌な予感しかしねぇなぁ」  だが拒否するという選択肢は端から与えられていない。  小野寺は嫌々、指定された時刻に指定された場所へ向かった。  そこは薄暗かった。  手術室の隣の控え室。正面に大きく空いた窓の向こうに白く明るい手術室がある。  手術室の明かりで、照明の落とされたこちらの部屋も手元の文字が読み取れるほどには明るい。  小野寺は部屋の扉をくぐって正面を見たところで、固まった。  手術室の中央に設えられた寝台、その上で絡み合う二つの人影。  一見してすぐにそれと分かる程、濃密な接触。  寝台に横たわる細い身体にしなやかな若い肉体が覆い被さっている。  そして、向こうの部屋の音声だろう。荒い呼吸に混じって粘液のたてる音、喘ぎ、許しを求める声がする。  その聞き覚えのある声に小野寺の麻痺が解けた。慌てて窓に駆け寄る。 「坊……嬢ちゃん……」  二人は、互いの唇を貪りあいながら抱き合っている。瞬の手が慈しむように悠の陰茎を嬲っている。  悠の顔は涙に濡れ、この行為が決して望むものでないことは容易に見て取れた。 「この……外道ッ!!」  小野寺が怒鳴った。 「そうか?」  背後から届いた返答は、何の感慨も含まれない冷淡な物だった。 「あんな子供に無理矢理!」 「無理矢理? とんでもない。瞬は自ら進んで始めたぞ」 「お前がそう仕向けたんだろうが!」  小野寺の激情も全く意に介することなく、所長は手元の書類を捲っている。 「元々、瞬には悠を抱きたいという願望があった。それをお膳立てしてやったまでだ。……それでこちらも欲しい物が手に入る」  そのとき悠の声がひときわ高くなった。  絶頂が近いのか、ひたすら瞬の拘束から逃れようとする。 「……また、また来る……!」 「ユ、ウ……」  欲に溺れ、陶然とした声で瞬が名を呼ぶ。 「いやだ! 瞬を、汚したく、ない……っ!!」 「いいよ、汚して。俺を……」 「いやぁ……!」 「汚して」  そう囁くと、瞬は堅く張り詰めた陰茎を強く擦った。  悠が悲鳴を残して、二度目の吐精をした。  小野寺がガラスを思い切り殴りつけた。だがガラスは音一つ立てることなく、傷を付けることも出来ない。 「どうしてあの子らをそっとしておいてやらないんだ……」 「私は慈善事業で子供を飼っているわけではない」  そう言い放つと、脇に立つ部下の男に指示を出す。 「卵子の確保は出来ているな」 「はい。隣室に準備してあります」 「よろしい。先に二本、回収して作業に取りかかれ」  男は無言で一礼すると、すぐに部屋を出て行く。  手術室では悠から回収された二本分の精子を、白衣の男が手にとっているところだった。  悠も瞬も抱き合ったまま、荒い息に肩が上下しているのが見える。  スピーカーからは、悠の小さく啜り泣く声が聞こえてくる。 「この前、強姦して精子を手に入れたんだろう。もう、十分――」 「十分、とか、絶対、とか。不確かな要素に対してそう断言するのは好まない」  小野寺は後ろを振り返って所長を見た。 「――ヨシタカ」 「その名を呼ぶな」  珍しく感情のこもる声で所長が遮った。そこにあるのは、怒りだ。 「今度名を呼んだら、四肢をもぎ取って海に沈めてやる」  まだ自分に眼前の男の感情を動かす力が残っていたのかと、半ば驚いて所長を見る。 「お前――」 「お前にやってもらいたいことがある」  所長が初めて小野寺を見た。  初めて二人は互いの唇の感触を知った。  それに溺れるのは、あっという間だった。  接触だけの口づけすら知らなかったのに、一度覚えてしまえば欲望はとどまるところを知らない。  もっと側に。もっと深く。もっと近づきたい。  舌が唇を割り、歯列をなぞり、相手の舌に絡みつく。誰にも教わらないのに、二人はそれを探り当てていた。  一度目の解放は早く。二度目は時間が掛かった。  合わせた唇の隙間から、悠の拒絶と謝罪と甘い喘ぎが絶えず零れる。  悠は、瞬の手で快感を得ることを極端に恐れた。それなのに浅ましく悶え、拒絶しながらももっと触れて欲しいと願う。  快感に引きずられ、堪えきれず瞬に全部を投げ出してしまう。  ――背反する願いで、胸が張り裂ける。 「悠」  とても近くで瞬の声がする。艶めいた低音が耳に触れるだけで、悠の背筋にぞくりと快感が這い上る。  声を上げそうになって慌てて手の甲を噛むと、瞬の手に優しく阻まれた。 「噛んだら傷になるよ……」  そして指に唇を落とされ、悠は呆気なく声を上げた。指の先に触れられただけなのに、酷い熱が体中を焼き尽くそうとする。  瞬が掠れた声で言う。 「あと一本分だから。我慢してね」  ――我慢? 何を?  瞬の指で追い上げられ、はしたなく精液を零し続け、我慢など欠片もあろうはずがない。  ――それなのに涙が溢れるのはなぜ?  混乱する心を置き去りにして涙だけが溢れ続ける。それを瞬が拭った。  悠の性器は赤く腫れ、痛々しく、しかもとてつもなく淫靡だ。  二度も達し過敏になった箇所は、瞬が触れると痛みを伴った。 「んんっ……」  強すぎる刺激に身を捩る。  容器をかぶせる前にその先端に触れると、悠の身体が大きく跳ねた。 「や……痛……」  このままでは、もう一回出させるなど無理だ。  瞬が顔を上げ、休憩を申し出ようと口を開く。が、それより先に所長が言った。 「休むな」 「そんな。もう悠が限界――」 「後の予定がつかえている」  何を言っても無駄だった。この甘く残酷な拷問を終わらせるには、所長の望む物を捧げるしかないのだ。  だが瞬の限られた知識では、これ以上どうすれば良いのか分からなかった。  そのときだった。  手術室の扉が開いた。  奥から現れたのが見知った顔だったことに瞬は驚いた。 「小野寺、さん」 「……坊」  小野寺は瞬の顔を見ると泣き笑いの表情を浮かべた。 「どうして……」  だがそれには答えず、小野寺は寝台の側へと近づく。  瞬の顔色がさっと変わった。 「小野寺さん」 「手伝いに、来た」  いつもとは違う強張った声。小野寺が悠の身体に触れようと手を伸ばしたが、瞬がその手を払った。 「小野寺さん!」 「すまん、坊。すまん……」  そう言うと、小野寺は白衣のポケットからゴムの手袋を出して填め、もう一方から蓋付きの小瓶を出した。 「出来るだけ、苦痛はないようにするから」  瞬が怒りと困惑の混じった青い顔で小野寺を見ている。 「坊は、嬢ちゃんを抱いててやってくれ」  そして悠の下半身を持ち上げた。後孔と自らの手に瓶の中身を零す。液体の伝う刺激にすら、悠は敏感に反応した。 「うんっ……」 「何する――!」 「なぁ、坊」  小野寺が言った。 「嬢ちゃんは、俺にされるのと坊にされるのと――」  指が悠の中に飲み込まれる。悠が大きく喘いだ。 「――どっちが、気が楽だろうな」  悠が悲鳴を上げた。 「抜いて……! 抜いて……!!」  逃れようと暴れる。その身体を瞬が抱え込んだ。 「もう、いやだぁ……」  小野寺の指が更に侵入する。ぬめる液体の助けで悠が傷つくことはなかった。だがその異物感に、悠の目からは更に涙が溢れる。  瞬は小野寺を信じるべきか迷った。迷って、手を出せずにいた。 「もう少しだ。嬢ちゃんのイイ所を探そうな」  やがて指は根本まで侵入を果たした。そして中を探るように蠢く。悠の胸が荒い呼吸で激しく上下する。  と。  悠の身体がまたびくりと跳ねた。小野寺の指が前立腺を探り当てた。  悠はその未知の刺激に大きく目を見開いた。  同時に、悠の項垂れていた陰茎が頭をもたげる。身体が折れそうなほどに撓った。 「やぁぁぁっ!!」  内側から暴かれるような感覚に恐れ戦く。 「悠っ、悠っ!」  瞬の声も耳に届かない。  あのとき、見知らぬ男に陵辱されたとき、悠は薬の生み出す偽物の快感の中にいた。だが今日は違う。  恐ろしいほど強く、大きく、甘美な快感の波が間断なく押し寄せてくる。与えられた刺激を快感に変換しているのは、紛う方無き自分の体だった。  小野寺が手早く容器を填めたことにも気付かず、悠はひたすら快感に翻弄されていた。 「ユ、ウ」  瞬が悠の唇を再び塞いだ。噛み切られても構わない、と本気で思った。  瞬の下肢は既にずしりと重い。触れてもいないのに、何度か達したような気がする。  手を滑らせると、その指がシャツの上から悠の乳首に触れた。そこも固く凝っている。その小さな真珠を転がすように押し潰した。 「んふっ、ぅん……」  苦痛だけではない酔ったような声。それが自分の与えている物だと思うと、瞬の頭の芯もどろどろに溶けてゆく。  悠の舌が強請るように瞬に侵入してくる。追うと、逃げる。逃げると、追いすがる。  乳首への刺激が感覚を分散させたのか、下肢への刺激に馴らされたのか、悠が一瞬正気を取り戻し、意志を持って瞬を見た。  瞬が唇を離す。 「瞬」  苦しげな吐息と共に、悠が言葉を押し出した。 「……僕を、嫌いに、なって」  悠の精一杯の言葉だった。瞬は絶句した。 「軽蔑、して」  自分を貶める言葉を繰り返す。瞬は必死に頭を振った。 「違う、違うよ」  よく廻らない頭で、必死に違うと繰り返す。  悠を汚したのは、自分。押さえつけ快感を引きずり出した。淫らな口づけを教えた。それなのに。  彼はそれでも自分を詰ってはくれない。どうしてこんな酷いことをするのだと、言ってくれない。  離れないといった言葉を、信じてくれない。  ――それならば、俺は一番酷い言葉で、君を縛ろう。 「愛してる」  悠はその言葉が耳に届くと、驚いて瞬を見上げた。だが正気を保てたのもそこまでだった。  小野寺の指が絶頂へと追い上げる。 「あっ、あっ、あっ……」  小野寺の額にも汗が浮かんでいる。彼は反対の手で悠の頬をすっと撫でた。 「終わらせよう……悠」  最後に残っていた矜持も何もかもを置き去りにして、悠は瞬に縋り付いた。  そして。ひときわ甲高く啼くと、涙のように精を零した。  小野寺がゆっくりと悠から離れた。意識を失って尚びくびくと痙攣を繰り返す悠の身体を素早く検分する。流血の跡はない。  せめて傷だけでも付けずに済んだことに、小野寺は胸をなで下ろした。 「ゴメン。ゴメンな……」  小野寺の声が、間延びして聞こえる。 「俺は、最低の人でなしだ……」  その呟きを最後まで聞かぬ内に、瞬の意識は途切れた。

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