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第十章 脱出 2

 悠と瞬が思いを通わせるのを待っていたかのように、事態は動き出した。  いつもの会合場所。古いアパートの一室で、暁達四人は図面を前にして額を付き合わせていた。  それは暁が小野寺に調達を頼んだ、研究所の実験フロア部分の設計図だった。複雑に線の絡み合うそれを読み解くのは至難の業だ。 「大事なのは電源だ」  電気設備の図面と見比べながら暁が言った。 「そこを押さえて混乱を狙う」  暁の指は、いくつもの線の中から一本を選んで指し示した。 「こいつだ。こいつがメインの配電盤につながっている。――瞬」  瞬が顔を上げた。 「お前がここの担当だ」  無言で頷く。 「涼は火災と煙を起こせ。ここが非常口」  暁が出入り口のポイントを指し示した。 「詰め所や研究室に職員を閉じ込めないよう、動線を塞ぐな。奴らを燻りだして外へ追い出せ。俺たちの邪魔をさせないようにするのが目的だ」  涼も黙って頷く。 「敬は連絡係だ。俺たちの回収まで頼むな」 「わかった。……しかし皮肉なもんだな。使い物にならなかったテレポーテーションが使えるようになったのは所長のおかげなんだからなぁ」  敬も緊張しているのだろう。気持ちを解そうとことさら冗談めかして言う。皆も笑った。 「それで決行はいつにする?」  涼が言うと皆の顔が一度に引き締まった。最も重要な問題だ。  暁がそれを受けて言った。 「小野寺さんの話では、今度政治家のパーティがあるらしい。かなりの大物でしかも研究所のパトロンの一人……だそうだ」  暁にもその名には覚えがあった。確か愛人がらみでスキャンダルになりそうだったところを暁が始末したのだ。きっとその見返りに研究所へ多額の金を貢がせているのだろう。苦い思い出が蘇りそうになるのを、暁は唇を噛んで堪えた。 「大事なパトロンのパーティだから、その日だけは所長も出席するだろう」  暁が皆を見回した。 「所長がいると面倒だ。不在のその日を狙う。あと厄介なのはタダシだが……コイツばっかりはわからないんだ。都合良く消えていてくれればいいが……」  思案げに暁が言う。しばらく考え込んでいたが、やがて顔を上げて言った。 「タダシの件は保留にしよう。奴の行動は読めない。今まで何度か所長の供もしているようだし、もしかしたら所長に付いていくかもしれん」  それから肩をすくめ首を振った。 「不確定要素が多くてすまん。柔軟に対応できるよう心づもりをしておいてくれよ」 *  小野寺は夜の町を歩いていた。どの店もこれから書き入れ時を迎え、入り口には呼び込みの男が立ち始めている。  独特の賑やかさの中、小野寺は狭い路地へと入った。奥へと歩きもう一度脇道へ逸れる。そしてしばらくその場に留まった。  足音も探るような息づかいもない。尾行はないようだ。  小野寺は念のために顔を出して確認すると、再び歩き始めた。  前方に看板のない半地下の扉が見える。  そこが、指定された店だった。  扉をくぐってまず最初に目に入ったのは、落とした照明と数名の厳つい黒服だった。入り口近くの男が眼光鋭く小野寺を見る。  だがその男が口を開く前に、店の奥のカウンターから声が聞こえた。 「相変わらずの遅刻魔が」  声の主は、ゆっくりと立ち上がると小野寺を迎えた。 「久しぶりだな」 「東城……?」 「……なんだよ、この顔を見忘れたか」 「い、やー、なんだかゴツくなって……」  小野寺も大柄な方だがこの東城はさらに大きい。しかも横幅も広い。けれどその顔には、小野寺が知る二十年前の面影がまだ色濃く残されていた。 「高校の時以来だからなぁ」  小野寺が笑った。 「あの頃はやんちゃ坊主って感じだったが」 「お前はなんだかなまっちろいな。日に当たってんのか?」 「は、それは高校の時のまんまだろ」  東城は笑うと小野寺を席へ誘った。 「酒は」 「いや今日は酔うわけにはいかん」  その台詞に少しの緊張を感じ取ったのか、東城は重ねて勧めることなくカウンターの中の男に頷いた。  すぐに新しいグラスが二つ差し出される。  小野寺は、中身が茶である事を確認して一気に煽った。張り詰めていた神経が少し解れる。 「――で、俺に何の用だ」  前置きもなく東城が聞く。 「……お前も相変わらずだなぁ。旧交を温めようって気はナシか」 「回りくどいことはいらん。二十年ぶりに連絡をよこしたと思えば『人のいないところで会いたい』だと?」 「少し訳ありで、な。まさかあの電話が通じるとは思わなかった」 「あの家にはお袋がまだ一人で頑張ってんだ。俺の預かってるシマはここじゃない」  東城が口にしたのは、ここからかなり遠方の大都市だった。 「わざわざこっちまで出て来てくれたのか?」 「……お前の誘いを無碍にはできんだろう。ここでの話なら外に漏れることはない。そこらに立ってるヤツらは置物だと思え」  小野寺は頷くと口を開いた。 「お前に面倒を見て貰いたい者がいる」 「なに?」 「子供だ。一人は十四。一人は……十九」 「……お前の子か」 「バカ言え。違うよ」 「素姓は」 「分からん」 「はぁ?」  東城が呆れたように言った。 「分からんような人間の面倒をみろってぇのか」 「良い子たちなんだ」  小野寺の真剣な声に東城が黙る。 「苦労して辛い目に遭って、ようやく自由を手に入れられる所まできた。だが外の世界を全く知らない。本当に子供なんだ」 「お前が面倒見てやりゃいいだろう」 「――俺には手が出せん」  東城はグラスを持った手を宙に浮かせたまま、小野寺を見た。 「お前、今何に関わってんだ」 「……」 「おい」 「知らない方が良い」 「あのなぁ」 「お前、昔から子分を抱えて面倒見が良かっただろ? お前なら安心して任せられると思ってな」  小野寺は鼻の頭を掻いて笑った。 「まぁさすがに、極道の若頭様になっているとは思わなかったが……。旧友の頼み、引き受けてくれないか」  小野寺が頭を下げた。 「――お前に下手に出られると、気持ち悪いな」 「俺は真面目に――」 「気持ち悪いッてんだよ。昔っからお前は頭なんか下げたことなかっただろうが」  宙に浮いたままのグラスを口に持っていく。 「……名前」 「うん?」 「子供らの名前だよ」 「あぁ、悠と瞬。悠が十四で、瞬が十九だ」 「で? お前が連れてくるのか?」 「いや」  小野寺は首を振った。 「んじゃ事務所の場所を教えるから――」 「その必要はないよ。その子達にはお前のことは言っていないし、言うつもりもない」 「はぁ? なんだそりゃ。俺にその子供を捜せとでも言うのか」  呆れたように聞かれて、小野寺は少し困った顔をした。 「そうじゃない。お前も探す必要はないんだ」 「――ますます分からん」 「上手く説明できないんだが……」  小野寺は手元のグラスを弄ぶように転がした。 「その子らは、これからどこか遠い土地で暮らし始める。そこで幸せになってくれればそれでいい。お前に頼むことは何もない。けれど何かよからぬ事が起こって二人に助けが必要になったら、お前が助けてやって欲しい」 「それにしたって、顔も住む場所も何も分からないんじゃぁどうしようも――」 「いや。その時がきたら、お前達は必ず、出逢う」 「……? 必ず?」 「そうだ。お前が今、二人を助けると頷いてくれれば、出逢いは偶然ではなく必然になるんだ」  謎めいた言葉に東城は混乱した。 「――お前、何か怪しい宗教にでも入ったのか」 「……まぁそう思われても仕方ない、よなぁ」  小野寺は苦笑を漏らした。 「でも俺はその奇跡を何度も見てきた。奇跡としか呼べない事を――」  瞬なら。瞬ならば、きっとたどり着く。自分が出来るのは道筋を作ってやることだけだ。 「胡散臭いことは承知の上だ。頼む」  もう一度頭を下げようとして、東城に遮られた。 「気持ち悪いッてんだろうが。分かったよ、分かった。お前の言ってることは全く分からんが、子供らのことは分かった。引き受ける」  東城が手を振って言うと、小野寺がほっと息を吐いた。 「助かる。ありがとう」  東城は酒を舐めながら目の前の男を眺めた。まったく、見た目は年相応になったのに、強情なところも薄情なところも全然変わっていない。これ以上聞いても、小野寺は何も答えないだろう。  小野寺はグラスの茶を最後まで飲み干すと、席を立った。 「すまん、用はそれだけだ。呼び出しておいて申し訳ないが……これで失礼するよ」 「やけに急ぐんだな」 「まぁ、いろいろとな」  そう濁すと挨拶もそこそこに店を辞す。小野寺は扉を開け周囲をさっと見回すと、夜の喧噪に消えた。 「柴」 「はい」  いつからそこにいたのだろう。東城の背後に、仕立ての良いスーツ姿の男が立っていた。 「宮本の件、返答はあったか」 「今朝方連絡が。手を打つそうです」 「それじゃ、お前しばらくは手空きだな」 「急ぎの案件は今のところ」 「今の男の身辺を探っておけ」 「わかりました」  それだけを命ずると、東城は懐から出した煙草に火を付けた。  煙が、その思案に暮れる顔を覆い隠した。 * 「パーティ? 何で俺がそんなつまんねぇものに付いていくんだよ」 「来るか、と言っただけだ」  ここは三階フロアの所長室だ。タダシは窓枠に腰掛けて不満を露わにしている。 「ここに残るつもりなら、暁を見張っておけ」 「なんだよ、あんたに指図されたくねぇ」  そう言いながらも、タダシは逆らえない物を感じて問い直す。いつもの事だ。 「暁がどうかしたのか」 「どうも最近の動きが気になる」 「へぇ、あんたを殺す計画でも立ててんのかね」 「……嬉しそうだな」 「あんたが死ぬ所なんてなかなか見られねぇじゃん。はははっ、楽しみだ!」  タダシは窓枠から飛び降りると、所長の眼前に立った。 「あんたが殺されたら、俺は何したらいいわけ? 敵でも討つ? それとも泣く?」 「好きなようにすればいい。――あぁ、そうなる前に、お前を括り殺してやった方が良いか」  所長が目の前の首に手を伸ばした。 「狂犬を野放しにしていくのも気がかりだ」 「あんたと心中かよ。気色悪ぃな」  そう言って、タダシは心の底から笑った。

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