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第一章 偶然と必然 2

 瞬は道路の端にぼうっと突っ立っていた。  車両がひっきりなしに目の前を通ってゆくが、それもあまり視界に入っていない。彼はただ機械的に誘導灯を振るばかりだ。  誘導中の車にひかれそうになる事を繰り返し、運転手や先輩警備員から怒声が飛ぶ。  同じバイト仲間の男から顔色が悪いことを指摘されて初めて、瞬は自分の体調が悪かったことを知った。  役に立たないアルバイトはすぐにお払い箱だ。  瞬は『明日から来なくて良いよ』と言う言葉と共に現場から追い出された。自己管理が出来ていないと言われれば、返す言葉もない。  寒空の下、湯上がりのままの薄着でうろつけば、寝不足、疲労、湯冷めで風邪を引くのも当然だった。 「給料がパァかぁ」  瞬は行くあてもないまま、結局いつもの公園に来ていた。  繁華街のすぐ脇にありながら、ここだけが喧噪から切り取られたように静かだ。場所柄か子供の姿もなく、時折薄汚れた格好の男達が通り過ぎるばかりである。  遊具と呼べるのは隅にある鉄棒だけという十坪ほどの狭い公園の、瞬は常連だった。  ベンチに座り深く頭を垂れる。動くたびにくらくらと揺れる視界が気持ち悪くて、瞬は目を閉じた。  さすがにこの調子では夜の仕事も無理だろう。  ……後で連絡を入れておかないと……。  そこまで考えて、瞬の意識は途切れた。 *  冷たい雫が頬を打って、瞬は目をさました。  いつの間にか、ベンチに凭れて眠っていたらしい。辺りは既に夕闇が迫っている。  一体どれだけの時間ここでこうしていたのかと、記憶を辿るが咄嗟に思い出せない。  それよりも降り出した雨の方がやっかいだ。  瞬は立ち上がった。身体は強張っているが目眩は収まっている。だが今度は酷く暑い。内にこもる熱で吐息まで熱く、瞬は水を求めた。  公園の端の水場まで、ふらつく足で歩く。しかし簡単に足が縺れた。  ……あぁ、転ぶ……  瞬がぼんやりと思ったとき。瞬は抱きかかえられた。 「――危なかった……」  そう呟く声に瞬が息を呑んだ。 「なん、で」  細い腕が瞬の身体に廻されている。 「こんな所に……」 「ずっと探してた」  悠はそう言って小さく笑った。 「瞬のバイト先のお店、ここら辺って聞いてたから。うろうろしてたらいつか会えるかなって」  そして瞬の額に手を宛てた。 「熱がある。……昨日あんな薄着で出て行くからだよ」  瞬は返事が出来ない。それを熱のせいにしたかったが、本当は夕べの行為をなんと詫びたらよいのか分からなかったからだ。  悠は返事を待たず、瞬を支えて立たせた。 「雨が降ってるし、早く家に帰ろう。こじらせたら大変だよ」  雨脚は強くないが、止みそうにない気配に悠が言った。 「帰ろう? ね?」  それは懇願だった。 「僕は、君の体調が良くなったら出て行くから」 「……え?」 「だからちゃんと家で眠って。ちゃんと食べて」  瞬は、熱のせいで聞き間違えたのかと思った。だが悠はなおも言い募った。 「僕、君の邪魔にだけはなりたくないんだ」  悠の言っていることが理解できない。  家に帰ってこいと言うのは、分かる。だがそれがなぜ、悠が出て行くということになるのだ。  瞬はよく働かない頭で考えることを放棄した。とにかくこの危険な誤解を解くのが先だ。 「出て行くなんて――」  が、続く言葉は別の声に遮られた。 *  柴浦がその場に居合わせたのは、まったくの偶然だった。  そもそもの発端は、柴浦の勤め先が経営するクラブでの、従業員同士のトラブルだった。問題はその従業員がホステスだったことだ。  トラブルはホステス同士から贔屓の客にまで飛び火した。更に困ったことにその上客は、柴浦の勤め先の顧客でもあった。  この日、柴浦は客の双方に頭を下げて廻り、ホステスのつかみ合いの喧嘩を仲裁し、叱りつけて泣き出され、ママの愚痴まで聞かされ。散々な目に遭って店を出た。  疲労困憊で頭痛がする。女のキンキンした声がまだ耳にこびり付いて取れない。  耳から水でもぶち込んで、今日一日のことを全部洗い流してしまいたい。  ……あぁ、どこか静かなところで旨いコーヒーを飲みたい。  少しぶらついて帰ろうと、車は帰してしまった。  すでに呑み屋の看板には明かりがともりはじめる時刻だが、客引きはまだ眠そうだ。  その路地を一本入ると、途端に人気がなくなる。この近くに良い店はあるだろうかとあてもなく歩いていると、繁華街の喧噪とは反対の方から鋭い声が聞こえた。 「……子供?」  対しているのは、数人の男の声だ。  ふと興味を引かれ柴浦はそちらを見た。ネオンの明かりも届かないようなビルの陰に、申し訳程度に木が植わっている。  こんな所に公園があったのかと、そちらに気をとられた。が、すぐにまた、子供の声が柴浦の耳に届いた。 「金はありません」 「……だからさぁ、あんたが代わりに付き合ってよ」 「雨も降ってきたし。ほらほらぁ、そっちの男は見逃してやるからさぁ」  柴浦はなぜか気になって、そちらに足を向けた。  三人の若い男が、小柄な子供――十三、四程だろうか――を前にして下品な笑い声を立てている。  『そっちの男』と言う声に目を凝らすと、その子供の背後のベンチに背の高い男が座っていた。  若い男達は、一目見て分かる安っぽい服装に安っぽい髪型をしたチンピラだった。金をカツアゲするつもりが文無しだったために方針転換したのか、それとも子供を使った美人局でも思いついたのか。  ……俺が助ける筋合いもないか。  柴浦が思ったときだった。 「シュンに触るなッ!」  腹に響く声と共にバシンと大きな音が響いた。悲鳴が上がる。男達だ。 「くそっ、なんだよ今の!」 「おい良いから大人しくしろ。いい金づるを見つけてやるからよ」  その言葉と共に、きらりと光る物が見えた。男の一人がナイフを出したのだろう。  だが子供はひるむことなく、ベンチの男の前に仁王立ちしている。 「その可愛い顔に怪我したくねぇだろ」 「刺したきゃ刺せばいい。シュンには絶対に触らせない」 「……ユウ!」  初めて男が声を出した。酷く掠れている。  柴浦はその言葉を聞きとがめた。  ――シュン、と、ユウ?  どちらもありふれた名前だ。だが。  事前に聞いていた年格好と名前は一致する。  ――助ける理由が出来たな。  柴浦は、気晴らしの一つにでもなるかと思いながら、足を踏み出した。

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