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第二章 熱情と劣情 4

 家具の搬入も終わり、夕刻が迫ると、柴浦が立ち上がった。 「外に食事に参りましょう」  すでに笙子は、柘植を運転手に仕事へ赴きこの家を辞していた。明るい会話の中心だった笙子がいなくなると、広い部屋は静かな空気に満たされていた。  柴浦は一旦部屋を出ると、玄関先に置いたままだった大きな紙袋を二つ持って戻ってきた。  それを瞬に手渡すと、悠が尋ねた。 「何ですか?」 「着替えです」  瞬が中を見ると、ダークグレーのスーツと淡い水色のストライプシャツに、ベルトとネクタイ、チーフまで一揃いが入っている。もう一つの袋には、少し明るめのグレーのスラックスとジャケット、白いシャツ、そしてやはり小物類一式が入っていた。  戸惑う悠に、瞬と柴浦が顔を見合わせる。今日の食事会のことはまだ悠に言っていない。  だが、悠は二人に笑顔を見せた。 「向こうで着替えてきます」  そう言って紙袋を抱えると、奥の部屋へ引っ込んだ。  後に残された二人が、もう一度顔を見合わせる。 「……嫌がるかと思ったんだけど」 「……何もおっしゃいませんでしたね」  この日の午後、悠はなぜか妙に明るかった。  今朝まであった不安げな表情は影を潜め、にこにこと微笑んだまま軽口まで叩く。  客がいたからかとも思ったが、笙子が去って二人きりの時間が出来ても、悠は明るく……無理に明るくあろうとしていた。  ――かえって見てられない……。  不自然な笑顔は痛々しさが増すだけだというのに、悠はそれに気付いていない。  何が彼をそうさせているのか、瞬には理由が分からなかった。 「あの……」  悠がドアの影から顔を出した。 「ネクタイ、結べないから、お願いします」  そう言って細長い布きれを差し出す。  瞬は珍しい物でも見るように悠を眺めた。こんな格好の悠を見たのはもちろん初めてだ。  着慣れていない様子が初々しく可愛らしい。  実年齢としてはまだ高校生ほどになるのだろうか。  瞬は、自分が飛び越えてしまったこの年齢を少しだけうらやましく思った。  だが、きっとこんな純粋な年の重ね方はしなかっただろうな、とも思う。 「こちらへ」  柴浦が悠を手招きする。悠が笑ってそちらへ駆け寄るのを、瞬は黒い気持ちで見た。  ――そんな顔を見せるな。  嫉妬は、気を抜くとあちこちで顔を出してくるやっかいな感情だ。  むりやり視線を引きはがすと、瞬は自分のネクタイに集中した。  今まで何度かネクタイを締める機会はあったが、まだ慣れない。  宙を睨みつけながら格闘していると、突然その視界に悠が入ってきた。 「う……」  目が合うと、悠がにこりと笑う。  それだけで瞬の心は、幸福に沸き立つ。思わず抱きしめたくなる不埒な衝動は無視して、瞬は悠の頭を撫でた。 「似合うよ」 「……ありがと」  ――はにかんで笑う、その笑顔が可愛い。少し頬を染めてうつむく仕草が可愛い。あぁ、何もかも可愛い、なんて、本当に俺の頭はどうかしてる。  そんな二人を、柴浦は端からつぶさに観察していた。  青くなったり赤くなったり。はにかんだり寂しそうな顔をしてみたり。  言葉は互いに少ないくせに、くるくる変わる表情は、見ていて本当に面白い。  瞬に会った端、東城が言っていたことを思い出す。  瞬が少し幼く見えるのはこんな時だ。これくらいの年の男は、もう少し上辺を取り繕うのが上手い。それが瞬にはないのだ。  悠に向ける瞬の視線は、優しい。優しいを通り越して、甘い。  この二人の関係が少し垣間見えた気がしたが、言葉には出さず、柴浦は二人を先へ促した。 *  柴浦に案内されて車を降りた、そこは。 「……ここ、ですか」   瞬が言った。  目的地は高級料亭だと聞いてはいたが、マンションの時と同じく、それは二人の理解の範囲を超えていた。  ちょっといい食事のできる店かな、程度に考えていたのだが。  漆喰塀を小さく切り取ったような、上品な、言い換えれば少々簡素にも見える門の内に、苔むした庭園が広がり、小径が奥へと続いている。  奥の方に見えるあの建物が、その料亭の建物だろうか。  瞬と悠が門の前に立ち尽くしていると、後ろに立っていた柴浦が、そっと瞬の背に触れた。 「……どうぞ」  耳元で囁くように促され、瞬は頷いて足を踏み出した。  悠も後に続く。  と、門の脇に立っていた女性が深々と頭を下げた。 「ようこそおいで下さいました」 「女将、よろしくお願いします」 「はい。先様がお待ちです」  柴浦が頷く。  女将は三人を、母屋から更に奥にある離れへと案内した。  戸口まで来ると、女将は一礼してその場を辞す。  そこから先は、柴浦が引き受けた。 「瞬さん、悠さん、組長がお待ちです」  瞬は、緊張した面持ちで頷いた。 「お連れしました」  柴浦が座敷へと声を掛けた。 「おぉ、どうぞ」  東城の声だった。聞き覚えのある声に、瞬は少しだけ緊張を緩めた。  襖を開け座敷へと上がる。  中で待っていたのは、東城と、一人の背の高い男だった。  三揃えに銀縁眼鏡のその男は、聞いていた年よりも若く見える。  東城の隣にいるせいか、眼鏡のせいか、厳ついという印象は受けない。  眼鏡の奥の柔和な笑顔で出迎えられて、瞬は内心戸惑った。  組長の前で膝をつき正座をする。 「初めまして、瞬と申します。これは、悠です。東城さんにはいろいろとお世話になっております」  そう言って深く座礼をすると、斜め後ろに座る悠もそれに倣った。  目の前に座る男は座布団を降り、二人の前に座って手をついた。 「ご丁寧なご挨拶、痛み入ります。私は南雲会伊佐山組組長を務めさせていただいております、真田です。この度はわざわざ足を運びいただき、ありがとうございました」  若輩者相手と侮ることなく、至極丁寧な礼を返す。 「さぁ、どうぞこちらにお座り下さい」  そう促されたが、二人はすぐには動くことが出来ない。  東城は、目の前の顔をちらりと盗み見た。  二人とも、緊張で表情が硬い。  真田は中堅とは言え、県下を中心に周辺一帯の地域を取り仕切る組のトップを張る男だ。人望も厚く、伊佐山組の属する南雲会の中でも一目置かれている。先代の組長、伊佐山の右腕として陰に日向に組を支えてきた。その強烈なカリスマは、堅気の者にも感じるものがあるだろう。  真田の本性を知っている東城は、薄ら寒い物を感じながら言った。 「オヤジさんがそこに頑張っていちゃぁ、若いもんは動くに動けんでしょう」  ことさらに茶化して、東城が助け船を出す。 「いや、すまん。瞬さんの侠気に当てられてしまったよ」  真田が頭を掻いた。それでようやく、座の空気が少し緩む。  と、それを見計らったかのように、酒と膳が運ばれてきた。 *  瞬は真田からの杯を受け、慣れない酒を煽った。温い液体が、食道を焼きながら滑り落ちてゆく。  それぞれがぽつぽつと食事に箸を付けながら、当たり障りなく会食は進んでいく。  誰もが互いに踏み込むことなく、上っ面を撫でるような妙な空気が座敷に満ちていた。  だが、それを打ち破ったのは真田だった。 「瞬さんは、変わった能力をお持ちだそうですね」  それまでの会話の調子そのままで、何気ない風に口にする。  瞬が箸を止めた。真田を真正面から見る。箸を置くと、組んでいた足を直し背筋を伸ばした。 「はい」 「私にも、見せていただけますか」  その声は、それまでの真田のものとは違った。 「構いませ――」 「真田さん」  悠が被せるように割って入った。 「はい」 「疑っていらっしゃるんですか」  悠の無遠慮な問いかけに、真田は眼鏡の奥の目を眇めた。 「えぇ、疑っています」  東城が息を呑む。それを手で制し、真田は続けた。 「私は東城ほどお人好しではないのでね」 「瞬は東城さんの目の前で――」 「小細工など、いくらでも出来るでしょう」 「そんなことしたって、僕らには何の得にもならない」 「あなたの得にならずとも、他の組の得にはなる。お人好しで情に脆い若頭をたらし込むには、あなたのような子供を使うのが一番効果的だ」  真田が表情を変える。紳士の仮面を捨て、その肩書き通りの剣呑な刃を二人に抜いた。 「インチキまがいのトリックで信じさせ、哀れみを餌に近づいて寝首を掻く。我々がいるのはそういう世界だ」  だが悠は臆さなかった。 「瞬を愚弄するのは、許さない」 「悠!」 「信じろとは言わない。けど、瞬をそんな言葉で傷つけるのは、僕が許さない」 「いいんだ、悠、そんなことで俺は……」  瞬が宥めたが、悠は聞かない。その目が怒りに燃え上がる。  東城は我が目を疑った。おどおどと瞬の後ろに隠れ、恥ずかしげに微笑むだけだった悠は、今、己の激情の赴くままに真田に挑み掛かり、牙を剥いている。  その悠が、ぎり、と東城を見た。 「東城さん、ナイフ、持ってますか」 「……ナイフ? そんなものをどうする――」 「持っていますか」 「……護身用のなら」 「貸して下さい」  畳みかけるように言われ、東城は懐から小振りのバタフライナイフを出した。刃は出さずに悠に渡そうとして、当の本人に遮られた。 「真田さんに、渡して下さい」  悠の真意が分からぬまま、言われた通りにする。  だが瞬には分かったのだろう。その手が悠の腕を掴んだ。 「やめろ、悠」 「いい」 「わざわざ自分を――」 「いいから、黙ってて。真田さん」  悠は、その左手を開いたまま、真田の前に差し出した。 「それで、僕の手を刺して下さい」 「おい、坊!」  東城までもが抗議の声を上げる。それでも、悠は取り合わない。 「筋は痛めたくないので、そこは避けて。できますよね」 「オヤジ! おい、悠坊も、止めろ!」  真田はバタフライナイフをひらめかせて刃を出した。そして、躊躇うことなく、悠の掌に刃を突き立てた。  悠は声を上げなかった。押し殺した呻きを一つ、喉の奥に飲み込む。  ナイフは柄まで深々と突き刺さり、悠の薄い掌を簡単に貫通した。  一呼吸あって、掌の上と下から、鮮血が溢れ出る。  ぼたぼたと音を立てて、その血は卓の上に落ち、拡がる。  瞬は悠の腕を握ったまま、悠の掌を見つめていた。刺されるその瞬間も、目を逸らさなかった。  と、悠がナイフの柄に手を掛けた。 「坊、やめ――!」  東城の制止など聞く耳も持たず、悠はナイフを一気に引き抜いた。  勢いこそ無いが、血液が一気に迸る。  流れ落ちる血は悠の袖口を汚し、腕を伝って卓を更に汚した。 「あぁっ、バカ!」  東城が手を伸ばす。だがその前に瞬が悠の手首を握った。きつく握り込んで止血を施す。  不意に悠の身体が弛緩した。座ってはいるが先ほどまでの勢いはなく、目つきもトロンと怪しい。  血の付いたナイフが、力なく手から零れ落ちた。 「悠」 「大丈夫、これくらいなら、寝なくても」  落ちかかる瞼を必死に持ち上げ、悠は手元にあった手拭きで左手の血を拭った。  真田が息を呑んだ。  血は止まっていた。  傷は桃色の肉を見せているが、出血は完全に止まっている。  掌の方も同様だった。しかもその傷すら、真田と東城が見つめているその先で、塞がれようとしていた。  二人とも言葉を発することが出来ない。  代わりに悠が言った。 「トリックも何もない。これが、僕の力」  そして、手首を掴んでいた瞬の手を振り払った。 「気持ちの悪い物見せて、ごめんなさい」  そのまま少しふらつく足で立ち上がる。と、くるりと踵を返し、部屋を逃げ出した。 「悠!」  すぐに追おうとする瞬を、東城が留めた。 「坊は残れ。柴!」  開け放たれた襖の向こうで、柴浦が控えている。柴浦は一つ黙礼すると、悠の後を追った。 *  悠はすぐに捕まった。なおも逃げようとする身体を抱き込んで拘束する。  小柄な悠の身体は柴浦の片腕にすっぽりと収まってしまった。 「なぜ、逃げるんです」  悠のジャケットの袖は、血で赤黒く汚れていた。  柴浦は座敷の中での出来事を見ていない。何か激しくやりとりする声が聞こえただけだ。 「どこかお怪我をなさったんですか」  その言葉に、悠の身体がびくりと震えた。  柴浦の手が悠の左手を握る。鋭い痛みに悠が呻いた。  傷は塞がったが、まだ完治はしていない。 「ここですか?」  柴浦は、悠の手の傷を探った。だが血の跡ばかりで傷を見つけることが出来ない。 「悠さ――」 「放っておいて!」  悠が鋭く叫んだ。 「何ともないから! 放っておいてよ!」 「なら、どうして泣くんですか」  すっかり日が落ちた宵闇の中、庭園の灯篭の光を受けて、悠の頬が鈍く光る。  悠は顔を背けようとしたが、拘束は固い。仕方なく、隠れるように柴浦の胸に顔を埋めた。  柴浦は問い詰めるのをやめ、黙って悠を抱きしめる。  その腕の中は、何一つ物音のない静寂の世界だった。 「坊」  東城がようやく唸るような声を上げた。だが、続く言葉が出ない。  瞬がそれを受けて静かに言った。 「俺の時も訊きましたが……、気味が悪いですか」 「いや」  東城が言う。真田は黙ったままだ。  瞬が真田を見た。 「信じようが信じまいが、それはあなたたちの勝手だ。信じろと、強要はしない。でも――」  瞬は、目の前の男を睨んだ。睨みつけた。腹立ちを隠そうともしない。 「試すような真似は、して欲しくなかった」  真田はなおも黙ったまま、瞬の怒りのまなざしを受けとめている。 「あなたは俺たちを拾ってくれた恩人だ。食べるものも住むところも与えてくれた。その恩は必ず返す。けれどあなたが俺たちを利用するつもりなら、それには従えない」 「もし、そのつもりだと言ったら?」  真田が言った。瞬が、ゆっくりと床に落ちたナイフを拾った。 「逃げます」  ナイフは、柄までべったりと、悠の血で汚れている。 「追ったら?」 「――殺す」  瞬がナイフを握った。柄を逆手に握り、刃を悠の血溜まりに向ける。  ばちり、と刃先と血の間で大きな火花が散った。 「悠を守るためなら」  瞬は、そのまま座卓に勢いよくナイフを突き立てた。 「……すみません、ちょっと風に当たってきます」  瞬は立ち上がると、座敷を出て行った。  今度は、東城も止めなかった。 *  悠は車中にあった。  柴浦が悠を無理矢理車に押し込んだのだ。 「マンションの鍵は、お持ちですか」 「……持って、ます」  それだけを確認すると、悠をシートベルトで固定して、車を発進させてしまった。 「あの、柴浦さん」 「今日は、もう休みなさい」 「え、でも、僕断りもなく出てきちゃって」 「お叱りは私が受けます」 「でも、瞬にも何も言ってない……」 「でも、は、ナシです」 「でも……」 「いいから、休め」  強く、柴浦が言った。悠が黙る。  柴浦が溜息をついた。 「もう少し自分を大事にしろ」  その物言いに、悠が目を丸くする。  ハンドルを握りながら、柴浦はちらりと横を見た。そして手を伸ばすと、悠の髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜた。 「あんたは自分が思っている以上に、小さいんだ。まだ十五だろう? 疲れたら寝ろ。腹が減ったら食え。もっと甘えろ。大人を利用しろ」 「してるつもり、なんだけど」  そう呟くと、悠はシートにぐたりともたれ込んだ。 「うまくいかないな……」 「泣きたきゃ、泣け。ガキが泣くのを我慢するな」  乱暴に言われて、悠がふふっと笑う。 「……なんだ」 「柴浦さん、こっちの方が良いな」 「……」 「澄ましてるより、好きだ」 「……」 「……柴さん?」 「いいから黙って寝てろ」  悠はもう一度笑うと、目を閉じた。  すぐに静かな寝息が漏れる。 「……まったく」  柴浦は傍らの存在に気を取られないよう、目の前を走る車のテールランプに意識を集中させた。 * 「あんた、いつか刺されますよ」  東城が呆れたように言った。  真田は苦笑しつつ、酒を口に運んでいる。目の前の血溜まりも、突き立てられたナイフもそのままだ。 「俺が鞭でお前が飴だ。ちょうど良かろう」 「普通は逆ですがね」  そう言いながら、東城はナイフを抜いた。  無垢の欅の座卓に深い傷が残る。あぁもったいない、と思いながら、東城は話を続けた。 「ご感想は」 「お前が気に入った理由がよく分かった。あぁいう男は、手元に置きたくなるな」  真田はにやりと笑った。 「あんまりおキレイすぎると、踏みにじってやりたくなるが」 「やめて下さいよ」  一体どこまで本気なのか。真田との付き合いももう長いが、未だにその真意が掴めない事の方が多い。  サディストではないはずだが、こう見えて真田は武闘派だ。過去の抗争の時にも、自ら先陣切って突っ込んでいく場面を何度も見ている。  眼鏡の奥でこの目がすっと細められる様は、東城でさえ背筋が凍る。出来ればサシでの勝負は避けたいところだ。 「しかし今回は、どうフォローするおつもりですか」 「どうもこうもない。頭を下げるだけだ」 「……へぇ」 「俺だって頭ぐらい下げるぞ」 「……へぇ」 「今回は手加減を忘れた。……少し、やり過ぎたな」 「まったくです」 「詳しい話は聞いてないのか」 「これからその予定だったんですよ。聞き出しにくくなりましたがね」  憮然と言う東城に、真田が笑った。 「お前、よくそんなでヤクザが勤まるな」 「拾ったあんたが言うな」  そうはいっても、真田は、東城の直情的なところが気に入っていた。東城相手に腹の探り合いなど無意味だ。 「さっきのアレ、お前も知らなかったのか」 「俺も驚いてますよ。アレは……。すごかった」  真田もそれには無言で同意した。  ナイフは東城の物で、刺したのは真田だ。細工の入り込む余地など無かった。  肉を割き、骨と骨の間を刃が潜り込んでゆく感覚は、間違いなく本物だった。  夥しい血液も、血糊ではない。臭気を持った本物の血液だ。 「どうも話の感じからして、二人は研究所とやらで酷い目にあって逃げ出したらしいです。そんな研究所なんてもの、話半分に思ってましたがね……」 「あんな力が本当に存在するのなら、その研究所も本当にある、ってことなんだろう」  真田はそう呟くと、頭に手をやった。 「俺は運命論者ではないが、なんというか、あの二人がここへ来たのはタダの偶然じゃないような気がしてきたよ」  東城の旧友というツテから、二人はここへ来た。  これは偶然なのか、それとも。 「小野寺は……、あの二人を引き合わせた張本人は『奇跡』と言ってました」  奇跡としか呼べない事だと。 「しまったなぁ。今回の件に関しては完全に出方を間違えた」  真田が、改めて悔恨の言葉を口にした。珍しいこともあるものだ、と東城は思った。やはり真田も二人を気に入ったのだろう。  東城は組んでいた足を解き、主に相対した。 「組長」 「なんだ」 「二人をこのまま面倒見させてもらってよろしいですか」  真田が目を見開いた。が、すぐに穏やかな笑みに変わった。 「……本当にお前は直球勝負だな」 「俺の性分なんで、うやむやには出来ません」 「いいよ、好きにしろ」  そう言ってから、真田は言い直した。 「……いや、違うか。俺からも詫びを入れる。東城、俺の分も、お二方の世話を頼む」  東城は一度深く頭を垂れると、立ち上がった。 「それじゃ、俺は飴役に徹してきます。……あぁ」  東城の視線が、傷ついた座卓と、血で汚れた畳に流れた。 「ここの後始末は付けますが、予定外の出費ですんで、後で本部長に叱られて下さい」 「な……っ」  その顔が情けなくゆがむのを見て、東城は少し溜飲を下げた。

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