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第三章 終点と起点 2
柴浦は、早朝の公園のベンチに一人座っていた。
ここはつい先日、悠と瞬に出会ったあの繁華街の中の公園だ。
夜の世界が眠りにつき昼の世界が顔を出す、その狭間の時間は、人通りも絶えひどく静かだ。
柴浦は、手持ち無沙汰に懐から煙草を出した。
それを口にくわえ、火を付けようかふと逡巡する。そう吸う方ではなかったはずなのに、最近めっきり吸う回数が増えてしまった。
当てもなく考えを廻らせていると、それは徐々に悠の事へと収束していく。
夕べ、あの小さな身体を抱きしめてしまった。寝室で傷痕に触れてしまった。
その衝動の原因がどこにあるのか、柴浦は分からずにいた。
東城のような父性愛なのだろうか。それとも……。
柴浦の隣に音も無く座った男によって、彼の思索は中断された。
「よぉ」
男は一言声を掛けると同時に、煙草に火を付けた。
「少しは控えたらどうだ」
自分も煙草を持ったままのくせに、柴浦が言う。
「俺の勝手だ」
男が言った。皺の寄った量販店のスーツに皺の寄った安売りのシャツ、ワゴンセールのネクタイ。絵に描いたようなくたびれた様子に、柴浦が笑う。
「ちゃんとした格好をしろ」
「こっちは安月給でね」
「そんなんじゃ、逆に警戒されるだろう」
「親しみやすさが俺のモットーだ」
「胡散臭いの間違いだろうが」
柴浦の嫌みも聞き流し、男は美味そうに煙を吸った。
「最近は外でも、満足に吸わせてももらえねぇ」
と、ぶつぶつ呟く男を、柴浦は呆れたように見た。その視線を受けて、男がにやりと笑う。
「俺とお前が並んでいたら、間違いなく俺の方がヤクザだな」
そう言って男が煙を吐き出した。
「公安なんて、半分ヤクザのようなものだろう」
「……ちげぇねぇ」
異論は無いようで、男は尚も愉快そうに笑う。
「そう言やぁ、お前の所の若頭が子供を拾ったそうだな」
「そっちまで聞こえて行ってるのか」
柴浦はため息をついた。
「そのうち新聞にも載るんじゃねぇの」
「冗談でもやめてくれ」
柴浦は、手に持ったままだった煙草をくわえ直すと火を付けた。やはり吸わずにはいられない。
「あれは慈善でも何でも無い」
「へぇ」
まるで気のない返事に、柴浦は苦笑するほか無い。
「若頭の知人の子供だ。両親が病気で死んで身寄りがなくなってな。若頭にお鉢が回ってきたそうだ」
「……へぇ」
果たして信じたのか信じていないのか。男は気のない返事しか返さない。だが、迂闊なことを口にしないよう、柴浦は気を引き締めた。
柴浦の隣に座る男は、牙を隠した猟犬だ。
「お前こそ、最近姿を見なかったが」
「俺はいつもの事務仕事だ。資料係だからよ、ま、気楽なもんさ」
――お前が机に黙って座っていられるようなタマか。
内心毒づきながら、柴浦も気のない返事を返した。
男は、早々に一本吸い終わると、続けてもう一本取り出す。
柴浦がライターを出すと、相手はそれを断った。
「ヤクザから貰うわけにはいかないんでね」
「お堅いことだな」
「こう見えても公僕だぞ」
「……見えん」
男の年は柴浦と同じくらいだろう。見てくれは……どう好意的に見ても、くたびれきった平凡なサラリーマンでしかない。
だがその眼光は鋭く、いつも油断無く周囲に気を配っている。物音一つで、この男は獲物に飛びかかるだろう。
「で? 今日は何の用だ」
軽口の叩き合いに飽きた柴浦が、先に訊いた。
「男を捜している」
「うちのシマに関係あるのか」
「いや、……たぶん無い」
珍しく、男が口ごもった。
「たぶん?」
「手懸かりがないんだ。行方を追っているんだが、神出鬼没でな」
本当に行き詰まっているのだろう。そうでなければ、あてもなく柴浦にまで情報を求めるはずがない。
「……写真はあるのか」
男は、黙って懐の警察手帳を出した。挟んであった写真を引っ張り出す。
やけに写りの悪い写真だった。
数人の人間が行き交う中、一人振り返っている男がいた。
ピントが甘く、顔の特徴を見分けるのすら怪しい。
かなりの長身であることは分かるが、それ以外は特に見覚えも無い。
写真の男は口の端を上げていた。隠し撮りに気付いていたのだろう。
柴浦は写真を返した。
「知らんな」
「かなりいい男だ」
「見たのか」
「見た。話もした」
「それで逃げられたのか」
「……まぁ、色々あってな」
男は肩をすくめて見せた。
「身長は190程。お前ぐらいか。でかいし、顔を見ればすぐに分かる」
「何で分かる――」
「……もう何人も人を殺したような目をしている。お前らになら、匂いででも分かるだろうよ」
男は手帳をしまった。
「見かけたら、知らせてくれ」
「……分かった」
「まぁ、礼と言っちゃぁなんだが、情報。要るか?」
「聞こう」
「三好の動向だ」
三好、と聞いて、柴浦は居住まいを正した。
三好組は伊佐山組と会派を同じくする兄弟組である。
先代同士が五分の杯を交わした義兄弟ゆえ、長らくつかず離れずの関係を保ってきたのだが。
数年前現在の組長が病に倒れてから雲行きが怪しくなった。
すっかり弱気になった三好は、自分の息子に跡目を継がせようと躍起になった。それが問題だった。
三好には二人の息子がいた。長男は本妻の息子で、それなりに頭が切れ人望もある男だ。こちらに継がせるという話ならば丸く収まっただろう。
だが三好が可愛がったのは、妾腹の次男だった。馬鹿な子ほど可愛いという言葉通り、不出来な次男を三好は溺愛した。
そうは言っても、いずこの世界も親の愛情だけではいかんともしがたい。
実績作りのために三好の次男が目を付けたのが、伊佐山組だった。
「相変わらず東城を目の敵にしているそうだな」
男が言うと、柴浦はうんざりしたように頷いた。
東城は、元々三好組に籍を置いていた。……と言っても、今から十数年前、まだ東城が駆け出しだった頃の話だ。
ちょうど今の柴浦くらいの年に、東城は組を乗り換えた。真田が東城を引き抜いたのだ。
仁義を通したやりとりだったのだが、それを未だに根に持っているのが、三好組の次男坊とその薫陶を受けてしまった若い連中だった。
東城が真田の下で才覚を現し始めてからは、そのやっかみと侮蔑の色は日増しに濃くなり、ついには憎しみへと変わった。
「男の嫉妬ほど醜い物はない」
柴浦の言葉に男が頷く。
「その三好だがな。ここ数ヶ月、若い連中が定期的に姿を消すようになった」
「……どういうことだ」
「わからん」
「沢野」
「言うなよ。こっちは手が慢性的に足りねぇんだから」
沢野と呼ばれた男は、憮然と言った。
「奴らの根城からごっそり姿が消えるそうだ。三、四日もすると、また以前と同じように戻ってくるらしいが。松……何つったっけ」
「松永か」
「あぁ、そうそう、三好の次男の一番のお気に入りな。あいつがその中にいたのは間違いない」
「どこへ行っているんだ?」
「そこまではまだ。こっちは別件で手一杯で、追跡もままならねぇ」
「わかった、それはこちらで見張ろう。情報感謝する」
あくまでも堅苦しい柴浦に、沢野が茶化す。
「お互い上司では苦労するな」
「一緒にするな」
再び始まった軽口の応酬をどう切り上げようか、と柴浦が考え始めたとき、彼の電話が鳴った。
「……失礼」
瞬の名がディスプレイにある。珍しいこともあるものだと電話に出て……、柴浦は顔色を失った。
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