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第三章 終点と起点 6

 車中にあった東城と柴浦、そしてもう一人、森下という名の組員の三人が、車から降ろされた。  周りを十人程度の男達が取り囲んでいる。全員が、刃物を持って武装している。  とりあえず、銃はその手にはない。  ――三好のボンクラはともかく、手下はそうバカではないらしいな。  柴浦は、ふ、と笑った。  こんな狭い駐車場で発砲すれば、跳弾でどこに飛んでいくか分からない。  と、その笑みを嘲笑と受け取ったのか、一人体格の良い男が前に出た。抜き身の長い刀剣を手に、柴浦の前に立つ。 「久しぶりだな」  男が言った。  広く開けたシャツの間から、白い晒しと黒い彫り物が見え隠れする。 「やっぱりお前か」  溜息混じりに柴浦が言うと、彫り物の男――松永が答えた。 「気付いていたのか」 「いや、気付くのが遅れた」  あと一分早く気付いていたら、虎口を脱せたのだが、そう上手くは行かないらしい。 「ガキにうつつを抜かして、鈍ったか」  松永の言葉に、今一度柴浦が溜息を吐いた。 「そのうち本当に新聞に載るかもしれませんよ」  東城に言うと、東城は愉快そうに顎に手を宛てた。 「オヤジが率先して新聞社に売り込みに行くかもしれんな」 「あぁ……」  あの人なら、やりかねない……。  柴浦が内心頭を抱えると、松永が長ドスを閃かした。 「無駄口はそこまでだ。てめぇに掻かされた恥、今日ここで落とし前付けさせてもらう」 「それはお前さんの所の組長とうちのオヤジとで決着が付いているんだがな」 「それをけじめと思っちゃいねぇ者もいるんだ」  松永が言うと、包囲していた者たちが一歩前に進み出た。輪が縮まる。 「話し合いの余地は、無いか」 「ねぇな」  松永が笑う。 「長話で助けを待つつもりだろうが、その前にカタを付けてやるぜ」 「……仕方ない。森下」 「はい」 「死ぬなよ」 「……はい」  森下は、柴浦よりもいくらか若い。腕が立つと見込んで連れていたが、正直この人数と武器の差では、東城だけでも守れるか怪しい。  森下に構っている暇はなさそうだった。  もう一歩、輪が縮まった。  そして、松永が最初に動いた。 *  駐車場に向かう前に、二人はマンションのエントランスを外から伺った。  中は無人のように見えた。敵は駐車場の中だけ――そう二人が判断しようとしたとき、ふと悠が壁に設置されていた防犯カメラを見た。そこには黒いスプレーが掛けられたような痕跡があった。 「ここにもいるね」  悠の言葉に瞬が頷く。と言う事は、駐車場からロビーへ上がる途中で待ち伏せされている可能性が高い。  二人は状況を確認すると、急いで駐車場へ向かった。  地下駐車場の入り口は、頑丈なシャッターで遮られていた。パイプの間から中を見ることは出来るが、やはり奥で起こっていることを伺い知ることは出来ない。  シャッターの右手を見ると、操作盤があった。案の定、壊されている。  だが、それも瞬には関係なかった。 「どう?」 「簡単」  瞬が、壊されて剥き出しの操作盤に触れると、それだけでシャッターは上へと稼働を始めた。 「あまり開けないで。無関係の人が入ったら困る」  瞬が頷くと、シャッターは人一人が這い入る事が出来るほどの隙間を空けて、止まった。 「……瞬」 「なに?」  瞬が顔を上げる。と、そのすぐ間近に悠の顔があった。  声を上げる間も無い。  悠の唇が、瞬に触れた。  一瞬触れただけのそれは、次に少しだけ深くなる。瞬が応え、さらに追おうとすると、悠が唇を離した。 「悠」  悠は何も言わず、瞬の唇を指で触れた。そしてうっすらと微笑む。 「気をつけて」  そう言うと、悠はぱっと身を翻した。シャッターの隙間から中へと入る。 「悠!」  瞬が叫ぶと、悠が、しっ、と唇に指を当てる。先に行くね、と囁くと悠は瞬を待たず駆けだした。  瞬も、慌てて後を追った。 *  劣勢なのは誰が見ても明らかだった。  東城たち三人は皆、大なり小なり切り傷を負っている。森下は眉間を切られ、顔の半分が真っ赤に染まっていた。  東城と柴浦は刃物を携えてはいたが、如何せんリーチが足りない。  舐めるように襲い来る切っ先を受け流すのが精一杯だ。  その一方、襲撃者たちの傷は皆無だ。だがそれは、人数と得物の差、ではなかった。  東城が、愕然と言った。 「なんなんだ、お前ら……」  防戦一方とは言え、彼らは何人もの敵の骨を砕いた。腱を切った。相手の勢力を少しずつ削っていったはずだった。  それなのに、すでに戦意を喪失していてもおかしくないのに、傷を負ったはずの連中は、今彼らの目の前で平然と笑っている。 「そろそろ終いにしようか」  松永が傲然と言った。彼もまた傷一つ無い。  何度も柴浦と刃を交わし、幾筋もの傷を付けたはずだが、それは今跡形もなかった。  柴浦は松永との間合いを計りつつ、逃げ道を探る。主だけは逃がさねばならない。  エレベーターはおそらく死んでいるだろう。駐車場の入り口は塞がれている。先の悠の電話からまだ三十分ほどしか経っていない。援軍は期待できそうにない。  残る活路は、上へとつながる非常階段だ。  上の階に敵がいないという保証はない。だが、ここにいれば間違いなく殺される。  距離にして十五メートルほどだが、目の前の包囲を突破しなくてはならない。 「森下」 「……はい」  視線を交わす。さすが森下も肝が据わっている。片目を血で潰されながら、もう一方の目が爛々と輝いている。  じり、と、柴浦は背後に主をかばいながら扉の方へ位置を変えた。 「逃げられねぇよ」  松永が笑う。 「なぁ、怖いだろ?」  手に持った長ドスを、真横に払う。蛍光灯の白い光を受けて、刀身が不気味に光った。 「どんなに倒しても起き上がってくる相手ってのは、どんな感じかねぇ」 「……どうもこうもねぇよ」  言うと同時に、柴浦が床を蹴った。  相手の懐に飛び込む。リーチの不利を接近戦に持ち込むことでゼロにする。  切っ先が柴浦の頬を抉った。  ひるむことなく、相手の顎に懐剣の柄をたたき込む。  その衝撃に、松永が仰け反った。柴浦の刃が喉笛を割こうと閃く。だがその寸前、松永は柴浦の右腕を跳ね上げた。  皮一枚を削ぎ落としただけで、刃は空を切る。  松永がドスを逆手に持ち替えた。右下方から柴浦の腹を袈裟懸けに切り裂く。  咄嗟に柴浦の足が相手の鳩尾を蹴った。反動で後ろに離れる。そのすぐ側で、白刃が唸った。  辛うじて難を逃れたかに見えたが、先端が、彼の脇腹を引っかけた。鮮血がぱっと飛び散る。 「柴!」  体勢が崩れる。倒れ込みながら、柴浦の目が東城の姿を追った。  東城は、柴浦の元へ駆け寄ろうとして、森下に押しとどめられている。  ――さっさと逃げろお人好しめ!  そう怒鳴ってやろうと口を開いた、そのときだった。 「おわっ!?」  柴浦の目の前で刀剣を振り上げていた松永が、何かに突き飛ばされるようによろけた。 「……な……」  目の前には、突き飛ばした者など誰もいない。  それほど強い力ではなかったようだが、不意を突かれて、松永はコンクリートの床に倒れ込んだ。  誰が、いや、何が?  柴浦が疑問に思う暇はなかった。すぐに身を起こし、もう一度攻撃に備える。  と、その柴浦の前に、ふわりと小さな影が現れた。 「……ゆ、う」  柴浦は我が目を疑った。なぜこの人がここにいるのだ。 「遅くなりました」  突然の闖入者に、柴浦はもちろん、相手方の者たちも驚きを隠せない。 「悠さん、なぜ――」 「助けに来ました」 「何をバカな!」  柴浦が言うと、松永が嘲笑の声を上げた。 「はははははっ! 伊佐山組の若頭は、こんなガキに助けてもらおうってのか。こりゃケッサクだ!」  悠は相手の顔を静かに見た。  今、包囲の輪は二つに割れている。一つは、柴浦と悠を囲む三人。そしてもう一つは、東城達を囲む八人。  悠がゆっくりと息を吐いた。柴浦の手を掴む。  次の瞬間、その場にぶわりと《風》が走った。  衝撃波は松永ら数人をなぎ倒す。包囲が割れた。同時に悠が、柴浦の手を強く引いた。 「目を閉じて! ――瞬っ!!」  悠が叫ぶのと同時に、頭上の蛍光灯が大きな音を立てて爆発した。立て続けに何基もの管が砕け、細かいガラスの破片が倒れた男達の上に降りかかる。 「ギャァァァァ!!」  目を破片に射られ、男達が悶える。  倒れずガラスの洗礼を受けなかった男達も、突然の出来事に何が起こったのか理解できない。  動きを止めた男達を、車の影から飛び出した瞬が、後ろ回し蹴りでなぎ払った。 「坊!」  東城が叫ぶ。 「間に合って良かった」  側頭部に重い一撃を食らって、数人が昏倒している。一気に形勢が逆転した。 「東城さん、無事ですか!」  瞬が背後を確認する。スーツのあちこちに大きな裂け目が出来て血が流れていたが、大きな怪我はなさそうだ。 「若頭、外へ」  森下が、柴浦に手を貸しながら東城に言った。非常口の方へ足を向けている。 「そっちはダメだ。たぶん待ち伏せされてる」  瞬が言った。 「もうすぐ真田さんも来る。俺がシャッターを開けるから、あっちへ」  瞬は、立ち上がろうとした男の後頭部をもう一度蹴りつけると、東城の背に腕を廻した。  後に東城と、森下、柴浦が続く。  全員の目が、その場を離れた。  その隙を、松永は見逃さなかった。  ガラスに傷つけられたのは、片目だけだった。右目はまだ活きている。  激痛に顔を歪めながら、松永は床に這いつくばり、隙を窺った。  狙いは東城ただ一人。柴浦は脇を怪我して、動きは鈍い。  途中から現れた若い男が先を行く。東城が後に続いた。  若衆に抱えられた柴浦が背を向けた。絶好のチャンスだった。  だが、松永もまた、判断を誤った。  まだ悠がその場にいた。松永が猛然と身を起こし、こちらへ向けて駆けだしたのをその目で見ていた。   悠は、迷わなかった。  悠が、その身を東城の前に晒した。  柔らかい腹に、刀剣が深々と潜り込んでゆく。  その刃は、勢いのあまり悠の身体を貫通した。 「……あぁ……」  悠は、小さく呻いた。  その瞬間は、不思議と痛みは感じなかった。  ただ、焼けるように熱い。 「悠さんッ!!」  柴浦の叫びが、遠くの方で聞こえる。  悠は、柄を握ったままの松永の手を上から握った。  これを抜かせてはならない。これを抜けば、この人はまた東城を襲う。  悠は朦朧とする頭で手に力を込めた。  堅いものが潰れるような嫌な音が響く。 「ぐ、ぁぁぁ!」  松永が叫んだ。 「離せっ、手が、手がぁぁ!!」  悠の力が、松永の指の骨を砕く。 「悠ッ!」  駆け寄った瞬が、悠の身体を抱き留めた。 「くそ!」  瞬が、松永の身体を蹴り飛ばす。松永の手は刀を離れ、そのまま彼は床に転がった。 「あぁ、悠っ……何でこんな無茶を!」  刀が突き立てられたままの、悠の身体をきつく抱く。  傷からは血が溢れ、血溜まりがどんどん拡がってゆく。  と、駐車場の入り口の方が急に騒がしくなった。東城が森下に言った。 「援軍だ、森下、行け」 「しかし、若頭を置いては……」 「行け、ここはもういい」 「……はい」  森下が駆け出す。  後には、東城と柴浦が残った。二人とも、青い顔で立ち尽くしている。 「……瞬」  悠が荒い息の下から言った。笑顔だった。 「これ、抜いて」 「いかん!」  東城が叫んだ。 「出血多量で死ぬぞ! 今医者に連れて行くから、そのままで我慢しろ!」  だが悠は、穏やかな顔で首を振った。 「大丈夫。抜かないと、傷、塞がらないから」  口の端から血が零れる。咳き込むと、ごぼりと血を吐いた。 「悠!」 「……この方が、苦しいよ」  瞬は迷った。  悠の治癒力は知っている。しかし、治癒の力が出血に追いつけなければ悠はどうなる?  今ですらどんどん冷たくなって行く悠の身体を、このまま失ってしまうのだろうか。 「抜けば、血は止まるよ」  瞬の胸中を思ったのだろう。悠が努めて明るく言う。 「瞬」  悠の血だらけの手が、瞬に触れた。 「……抜いて」  瞬が、その柄に手を掛けた。 *  その刀身を抜いた瞬間、悠が痛みに仰け反った。同時に血が吹き上がる。  無駄と知りつつ、瞬はその傷を抑え込んだ。  出血はすぐに勢いを失った。とくとくと、悠の身体を伝って床へとこぼれ落ちてゆく。  そのとき、瞬の腕の中から悠が柴浦を見た。  視線に気付いた柴浦が、すぐに身を寄せ、その傍らに膝を突いた。 「悠さん……」 「柴、さん。瞬を」 「……」 「瞬を、お願い」 「悠っ、ユウッ!」  瞬が悠に縋った。 「俺を、一人にしないで……!」 「……しない、しないよ。……必ず、戻る」  悠はもう一度、痛みを堪えて笑顔を見せた。 「戻るよ……」  それだけを何とか呟くと、悠は、力尽きて目を閉じた。 「坊!」  東城が呻く。 「眠ってるだけです。眠っている、だけ……」  瞬は悠を抱き上げると、東城の腕に預けた。  戸惑いながら、東城がその軽い身体を抱く。  瞬は身を翻すと、悠の身体から抜いた刀を拾い上げた。白木の柄は血が染みて赤黒く変色している。  その柄を握り、瞬は床に転がり呻き続ける松永を上から見下ろした。 「許さない」  瞬が呟く声は小さかったが、はっきりと東城達にも届いた。 「悠を傷つける奴は、許さない」  瞬は、刀を振り上げると、そのまままっすぐ下へ向け振り下ろした。 「うぁぁぁぁ! い、痛いぃぃぃ!」  悠が刺されたのと同じ場所に、その刃を突き立てる。 「お前に治癒の力があるというのなら、治らないように焼いてやる」  ばちり、と大きな音がした。  続いて、虫の羽音のような音が空気を震わせる。  東城も柴浦も、声一つ立てられない。  瞬が、柄を握り直した。そのとき。  耳をつんざく大音響と共に閃光が走った。 「ギャァァァァ!!」  松永が絶叫した。  それは稲妻だった。  空気を切り裂き、松永の身へと鉄槌が落ちる。  高圧電流の嵐が身体を焼きながら駆け抜ける。  松永の身体が痙攣を始めても、瞬は力を緩めない。 「瞬さん!」  柴浦だった。  柴浦が、瞬の激情を押しとどめた。 「瞬さん、やめろ! やめるんだ!」  柴浦は瞬に駆け寄ると、その身を突き飛ばした。 「瞬!」 「どうして止める!」 「あんたが殺してどうする!」  柴浦が怒鳴り返した。 「こいつは俺たちが始末を付ける! あんたが手を汚すような価値もない!」  柴浦は、傷が痛むのも忘れて、瞬の頭を掻き抱いた。 「あんたの手は、悠のためにあるんだろう。……それを忘れたらいけない」  低い静かな声で、瞬を落ち着かせる。  瞬が呻いた。 「……殺してやる……悠を苦しめる奴みんな、殺してやる……」 「あぁ、分かるよ。でもそれは、今じゃない」  瞬の背を、優しく叩いてやる。 「いつでも殺せる。だから今は、悠の事だけ考えろ」  瞬が小さく頷いたとき、騒々しい足音が響いた。  周りが一度に騒がしくなる中、三人は無言で悠を見つめていた。

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